第7話 学生ノリ

 あの後俺は仕事が残っていたため”先に言っててくれ”と伝えた。今日の授業に出した小テストの採点が、少しだけ残っていたからだ。これを正直に言うと二人は俺のことを待ちかねないので、先に行くように伝えたというわけである。


 今日はどうやら知佳の行きつけの店らしい。俺が伝えた時間をやや超えてしまったことが懸念材料ではあるが。果たして大丈夫であろうか。知佳のお気に入りの居酒屋の居心地の良い雰囲気に足を踏み入れると、笑い声とおしゃべりの音が俺を迎え、バックで流れるジャズのメロウな音色に溶け込んだ。焼肉とビールの泡の香りが漂い、薄暗い照明が点在する木製のテーブルと椅子に温かさと親密さを添えている。


 俺の目は、角のテーブルに座る、アルコールと幸福感で顔を紅潮させた2人の人物をすぐに見つけた。俺は乱れた黒髪と不格好な姿勢で店内に入ったわけで、活発な先生方の中にあっては場違いな存在だと思った。だが二人の先生は笑顔と優しい眼差しから、優しさと誠実さを感じた。


 穏やかな表情で酒のグラスを手にしているのが知佳である。ショートヘアが柔らかなウェーブを描いて顔を縁取り、その穏やかな存在感は、酒場の賑やかな雰囲気を和らげているようだった。

 一方由美は、小柄な体に流行の服とおしゃれなアクセサリーを身につけ、遊び心と媚びないエネルギーを漂わせている。ロングヘアーが華奢な顔立ちを際立たせ、明るい瞳がいたずらっぽく輝き、直樹をからかいながら、クスクスと笑っている。

 俺が彼女らのテーブルに近づくと、知佳は顔を上げて俺の目をとらえ、笑みを広げた。"あっ直くん、間に合ったね!"と言って、俺に座るように指示した。


 俺は彼女の隣に座り、彼女の存在の温かさを感じた。"悪い、少し遅れた"と、俺は壁の時計に目をやった。


「仕事で思ったより長引いた」


「大丈夫だよ 」


 と知佳は言って、俺に酒を注いでくれた。


「私たちはこれから夜を楽しむんだよ。一杯飲んでリラックスしてこう」


 俺はうなずき、酒を一口飲んで、滑らかな液体を舌の上に流した。席に着くと、その場に居合わせた先生たちに囲まれ、居酒屋の居心地の良い雰囲気に包まれて、俺は満足感を感じずにはいられなかった。


 知佳は、柔らかい声で、しかし真剣に語りかけた。


「今日はどうだった?」


 俺は彼女の質問に微笑み、彼女の純粋な心の気遣いに感謝した。


「まさか俺のところに生徒の恋愛相談なんて来るとは思わなかったが、生徒の役に立ったようでよかった」


 ユミは好奇心で目を輝かせながら、身を乗り出してきた。


「あっ、その話私気になってたんですけど? それと恋愛相談なら私に任せてくださいよ」


 俺は首をかしげた。


「いや、なんでだよ。こういうのはカウンセラーの知佳に来るから、相談相手は知佳だろ」


 知佳は少し笑って


「スクールカウンセラーって本来は生徒のトラブルなんかに対応する者であって、恋愛相談する先生じゃないんだよ」


 と本来のスクールカウンセラーについて語った。


「でも来るのは恋愛相談ばっかなんだろ」


「そうだね。もういつものことなんだけど」


「それが何で佐藤に任せてという話になるんだ」


「何でって私がモテるからに決まってるからじゃないですか」


 自信満々に言う佐藤。確かにこいつはモテてた。でも相談する相手に最適かというと少し怪しい。やはり、相談を受けまくってる知佳に任せた方が無難だろう。それにもし相談するならやはりあの人の方がいい。まあそれは今は良い。


「慣れないことをしたから少し疲れた」


 知佳はうなずき、思慮深いまなざしを向けた。


「いつものこの時間が癒しだよね」


 俺たちは皆、黙って飲み物を飲み、ジャズの心地よいメロディーを楽しんだ。俺はテーブルの上に置かれたキャンドルの揺らめきを眺めながら、安らぎを感じていた。

 ところが、どこからともなく、佐藤がいたずらっぽい表情で飛び出してきた。


「ねえ、カラオケしない?」


 俺は驚いて目を見開いた。知佳も同じように驚いていたが、次第に笑顔になっていった。まだ学生ノリでいるのかこいつらと頭が痛くなった。ちゃんと先生である自覚を持ってほしいところだ。


「いや、俺は歌は歌はあまり得意じゃないんだけど...」。


 知佳は笑いながら、俺を優しくなでた。


「行こうよ、直くん。きっと楽しいよ」


 俺はあきれたが、知佳の笑顔につられるように笑って、自分の中にワクワク感が湧き上がってくるのを感じた。


「……分かった。俺もやる」


 由美は歓声を上げ、すでに財布を持って会計に向かっていた。


「じゃあ、行きましょうか!近くにいいカラオケ屋があるんですよ」


 居酒屋を出て、夜の涼しい空気の中で、俺は少しだけ期待に胸を膨らませた。これからどんな夜が待っているのか、そしてこの素晴らしい友人たちともっと一緒に過ごしたいと思った。たまにはこんな夜を過ごすことも少しは良いかと思った。


 カラオケ終わりで地獄を見た俺は、やはりこんな夜はいらないかもと思いなおすことになる。そう後悔するのは居酒屋を出た数時間後の出来事だった。


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