第2話 比較は喜びの泥棒
俺はONとOFFがはっきりしている。それは自他ともに認めるものである。教壇に立つときと目上の人との話以外は疲れるから校舎では基本OFFである。これは良いように言っているだけで、ただの面倒くさがりなのである。それに相談事なら俺じゃないほうがいい。こんなだらしのない先生に相談する時間は無駄であると俺は思う。
「相談事なら俺じゃなく他の先生を頼れ」
突き放すような言い方だが、これが賢明だ。俺に相談しても身にならない話にしかならない。それはこの子にも悪い。そうだというのに女子生徒の方を見ると諦めていない様子である。
「私は橋本先生に聞いてほしいんです」
「だから俺じゃなくてほかの先生に……」
「橋本先生に聞いてほしいんです!」
「いやでも俺は忙しいからまた今度に……」
「橋本先生に聞いてほしいんです!!」
俺の言葉をさえぎって女子生徒は大きな声でそう言った。
どうやら何か譲れないらしい。俺は観念することにするほかない。
この子の恐らく相談事?とやらを聞かないといけないらしい。困った事になった。
3年生からの悩み事というのは将来や進路のこととなると増えていくもので、俺もそれなりに対応してきた。なぜか女子の方が多いが。3年生は俺に慣れたのか、どうでもいいようなことまで相談しに来るから厄介極まりない。
だが、この生徒はネクタイの色からして1年生だ。最近は3年生だけでなく2年生、まれに1年生まで相談してくる。しかも1、2年生の生徒はもれなく女子である。一体どうなっているんだ。新手の教師のいじめか。本当にそうならやめていただきたい。
まあ考えるまでもなく、女子高生に限らず、女性特有の繋がりってやつでこうなっているんだろう。
”あいつになら迷惑かけてもいいから”みたいな感じで1、2年生に広がっているのか。
幸いなことに、相談してくる内容はしっかりしているものを持ってくることだ。
しかし、そのせいで俺はその後の業務が遅れてしまうことが多々あった。1年生は俺の担当ではないため名前からの確認が先だ。俺は目の前の女子生徒の名前を聞く。
「お前、名前は?」
「伊藤彩です」
女子生徒の名前は伊藤彩というらしい。覚えておかないとな。
「3階の空き教室で話を聞くから今日の授業終わりに来てくれ。」
「! 先生聞いてくれるんですね」
「ああ。次の授業始まるから俺はここで」
「はい。ありがとうございます」
俺は伊藤の感謝の言葉を背中で受け、次の授業の教室に向かった。
その日の放課後、先に空き教室についていた俺は次回の授業に使う資料に目を通していた。その時、教室の外から声がかかった。
「橋本先生、伊藤です。入ってもいいですか?」
俺が顔を上げると、1年生の一人、伊藤の顔が見えた。俺が頷くと、伊藤は部屋に入って俺の机の向かいの椅子に座った。まずは相談内容の確認が先だ。そのことを目の前の伊藤に尋ねる。
「それで伊藤、俺に聞いてほしいことって?」
伊藤は答える前に躊躇した。それはそうかもしれない。1年生とは俺は無縁の先生だからな
「私は学校でストレスを感じているんだと思います。」
と彼女はついに言った。
「課題に追われているような気がして、授業ついていく方法がわかりません」
うちの高校はいわゆる進学校というやつで、授業の時よりも難しい課題が出ることも珍しくない。
俺は椅子にもたれかかり、伊藤の様子を見た。彼は彼女の額に刻まれた心配の線と、彼女が手を握り締めているのを見ることができた。
「わかった」
と俺はそっと言った。
「学業面のプレッシャーに対処するのは非常に難しい場合がある。でも、それはおまえ一人じゃない。多くの学生がそう感じてるものだ」
伊藤は俺を見上げ、顔全体に驚きを隠せないでいた。
「本当ですか?」
と彼女は尋ねた。
「それはそうだろ」
と俺はさも当然のように答えた。誰もが抱える問題そのものだ。
「そんで、おまえがする最初のことは、一度落ち着いて自分を俯瞰してみろ。プレッシャーに圧倒されるな。必要なときに休憩を取り、十分な休息をとれ。」
伊藤は俺のアドバイスを受け入れて頷いた。
「でも、私の成績はどうですか?」
と彼女は尋ねた。
「私は皆に合わせられる余裕がありません」
「俺はお前の成績を知らないが」
「そ、そうでしたね」
俺は心配させないように微笑んだ。
「成績は重要だが、重要なのは成績だけじゃない。おまえは学業成績以上のものがあることを忘れるな。おまえの興味や関心も同様に重要だ」
伊藤は思慮深そうに見えた。
「……それはおっしゃる通りだと思います」
と彼女はゆっくりと言った。
「でも、私の周りの皆が私よりもうまくやっているように見えると、そう思うことは難しいです。」
俺は前かがみになり人差し指を立てた。
「比較は喜びの泥棒だ」
と俺は言った。
「自分を他人と比較するな。誰もが自分の長所と短所を持っている。自分のことに集中することだ」
そう締めくくり、伊藤の相談事を終えた。
「先生ありがとうございました。私の話を聞いてくれて」
「別にいい」
「先生のこと誤解してたかも……」
「誤解って何のことだ」
「いえ、何でもありません。本当に今日はありがとうございました。先生、さよなら」
伊藤は足早に帰っていった。
俺はその場に取り残されたかのような気分だった。生徒の相談事をどうにか終えて、職員室に向かおうとすると一人の女性の教職員が俺の方に向かって歩いてきていた。
「お疲れ様です。
その顔にはとびきりの笑みを浮かべていた。
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