第2話
午後三時。
朝からバタバタだった仕事がようやく落ち着いたところで、椅子にもたれ背中をグっと伸ばした。首を二、三回左右に振る。まったく肩のこらない体質だったが、三十を過ぎたあたりから少し重みを感じてきた。
グラフィックデザイナーという職業柄、ほぼ一日中パソコンとにらめっこでは当たり前かもしれないが、二十代では感じなかった身体の変化を思うと少しだけ悲しいものがある。
頭の後ろで手を組み数十秒、物思いにふけっていると一本の電話が鳴った。
もしもし、【アイ・ディ】です、と自分の会社名で応対する。
「高末放送サービスの青田です」電話から細い声で話す男は、進行中の携帯電話チラシの担当営業マンだった。
「あのー、情報の追加がまた入ったんですけれど…、それに、もう少し赤やイエローを使って派手派手しくお願いしたいんです」申し訳なさそうに言うその声に、またか、と苛立つ。
ぼくは気持ちを抑えつつも少し強い口調で、「これ以上増やせば他の内容が小さくなりますし消費者に提示したい事がどんどん解りづらくなるって昨日もお伝えしたはずですが」と、早口で青田に伝えた。
「そうなんですが、店側がどうしても入れたいと言ってきて…」これも、またか。
でも言われれば仕方ない。
制作費を出すのはお客から代理店なのだから。食いぶちには逆らえない。
小さい頃から絵を描くのが好きだった。
将来は画家か漫画家になりたいと本気で思っていたが、大きくなるにつれ夢に近づくどころか実現できないものとして遠のいていった。
なれるのは一握りの人間だ。これで食べては行けない。そう勝手に決めつけた思春期の自分が、今にして思えば寂しい考えの若者だったと思う。
デザインの世界に進もうと決心したのは高校生の時だった。理由は何となく自分にで出来そう、おしゃれそうだからだったからだ。
専門学校に進む学費はかなりの出費だったに違いないが、快く行かせてくれた母には今でも本当に感謝している。
なぜなら、この学校で人生の仕事が決まり、この学校で生涯と思える友人ができ、四年の歳月を連れ添った女性とも出会った。
あの頃に戻りたいと思うこともある。
無知で馬鹿で、でも本気で生きていたあの頃。
デザインに対する情熱も、今よりずっと大きかった。
午後五時五十分。新聞チラシの修正を済ませ、青田宛に圧縮したファイルをメールする。
確認用に出力したカラープリントには、斜めになった赤い値段が乱立し、[今がチャンス!][期間限定!]のマゼンタやイエローを主体にした書体が縦横無尽に走る。
携帯電話の広告がスーパーの安売りチラシにしか見えなかった。
店側の要望を全て盛り込み、出来るだけ伝わりやすいデザインにと努めたつもりだったが、目がチカチカする。
伝わるも何も、それ以前の問題だなと呟く。
しかし、それでも要望するものを作るのがプロだと言われれば、今の自分では反論できないのも確かだった。
ぼくは逃げているだけかもしれない。
正論で立ち回ることによって苦手な事を隠し、正当化しているのだ。
嫌な大人になったな…、口に出さずに言ってみた。
冬の夜は早い。
真っ暗な外を見ながら事務所のガラス窓に映る自分を見る。
モノトーンに映し出された自分にも、赤や黄色はあるのだろうか。
ふと今の自分が何色か、だれかに聞いてみたくなった。
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