第3話

「あの俺は何をしたらいいんですか?」

「何もしなくて大丈夫です。ただ娘に貴方の顔を見せてあげてください」

「はあ…それくらいなら…」

と、言うと、軋む廊下を一歩づつ進んでいった。

カスミは部屋のドアをノックすると「楓花。ママよ、入るわね」と、声をかけてからドアを開けた。

6畳程の薄暗い部屋に、電気も付けずにスタスタとカスミは入っていく。

ポッんとベッドしかない部屋を見て、横田は入るのを躊躇っていると、後ろから優しい声で「ほら、楓花ちゃんはそこにいるよ。入って、入って」と、ハシノキが背中を押した。

横田は勇気を振り絞り一歩一歩、進んでいった。そしてベッドの前まで行くと、そっーと覗き込む。

そこには痩せ細った楓花が、一点を見つめて横たわっていた。

まるでミイラのような姿に息を呑んだ。そして静かに後退りした。

「楓花、聞こえる?光彦さんが来てくれたわよ。貴方の婚約者の光彦さんよ。分かる?」

と、訊きながら、パサパサの髪を優しく撫でた。

微動だにしない楓花は【光彦】という言葉に反応して、眼球だけを徐々に動かした。

月明かりで横田の姿を捕らえると、瞳孔が一回り大きくなった。

そして「…ぁっ…ぁ……」と、声にならない声を発しながら、横田に向けて、細い腕を差し出した。

知らない人とはいえ楓花の痛々しい姿を見ているうちに、横田の恐怖感は徐々に薄れていった。

ゆっくりと楓花に近づく横田を見て、ハシノキは、ホッと胸を撫で下ろした。そして、静かに部屋を出ていった。


ハシノキは、手すりを掴みながら、一歩一歩慎重に階段を降りる。

足音に気づいた老夫婦と坊さんは、階段の方へ目を向けた。

「おや、皆さん、どうしました?」

と、目を丸くしながら尋ねた。

すると坊さんが立ち上がった。そして、風呂敷に包まれた大きな荷物を担ぎ上げて背負うと、ボロボロの笠を被った。

「そろそろ、わたしは帰りましょう。可愛い子供たちが待っていますからね」

と、言って、錫杖をシャンと鳴らした。

たちまち坊さんは闇に包まれて跡形もなく消えた。

「相変わらず夜道怪さんは粋じゃなー。ばあさん、そろそろワシらも帰るか?」

「……帰るもなにもワシらに帰る場所など無かろう。ここを出たらすぐ亡者が待っているだけじゃわ。つまらん!」

と、言って、お猪口の酒を飲み干した。

ハシノキは苦笑いしながら「まあまあ、そんな事を言わずに…」と、お婆さんのお猪口に酒を注いだ。

「貴殿方がいないと、亡者たちは成仏どころか生まれ変わる事も出来ないまま、この世で永遠の苦しみを抱えてながら彷徨うことになってしまいますから、宜しくお願いしますよ奪衣婆さん」

「ふん、お前さんに言われなくとも、しっかり閻魔の所へ向かわせてやるわ」

と、言って、喉を鳴らしながら酒を食らった。そしてまた手酌で酒を注ぐ。

見かねたお爺さんは「ばあさん。ワシは先に行くよ」と、言って、店を出ていった。

「あぁー懸衣翁さん、行っちゃいましたよ。追いかけなくって、よろしいんですか?」

「お前さんさー」と、言って、ハシノキの顔を食い入るように見つめる。

「いつまで此処にいるつもりだい…水木…」

と、言って、手袋をしている側の腕をスポッと取った。

水木は、目を細めて、ニコッと笑った。

「僕は妖怪になれるまで、此処に居続けますよ。貪欲でお金の為に平気で戦争を起して殺し合う人間にはもう生まれ変わりたくないですからね」

「気持ちは分かる。だが水木や、あの世とこの世の狭間に何年居る?」

「……八年…」

「そんなに居てもまだ腕も生えんし、姿形も人間のままじゃないか。もう諦めたらどうじゃ?水木とは長年の付き合いがある。この奪衣婆が直々に閻魔の所まで届けてやる」

水木は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとうございます。お気持ちはとても嬉しいのですが、僕は懸衣爺さんの話を信じて此処にいます」

奪衣婆は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「あの爺、余計な事を吹き込みやがって……狭間に居続けると、生まれ変わることが出来ず、鬼にもなれず妖怪になるなんって、人間界でいう昔話じゃよ。本当に妖怪になる保証はない!」

「それでもいいです。人間に戻るより、此処に居た方が楽しいし、居心地がいいんです」

と、言うと、二階から凄まじい断末魔が聞こえた。

すると奪衣婆は、ほくそ笑みながら「お前と同族の人間の悲鳴が聞こえるこの場所が居心地がいいのか?」と、訊いた。

「あれは食事ですから。人間も鶏や豚、牛などの生き物を殺して食べているので、なんとも思いませんよ」

と、にこやかに言うと、腕義手を持って、カウンターに戻った。

その姿を見ながら奪衣婆は高笑いした。

「こりゃ昔話じゃなくなるかもしれんな……水木、もう少し此処の生活を楽しめ。じゃワシも戻るかのう」

と、言うと、重い腰を上げて、三途の川へ戻っていった。

水木は布巾を持って、テーブルの片付けをしようとしたが、最近よく発症する背中の痒みが我慢できずに腕義手を持って服の中に入れた。

「あー痒い痒い」と、言いながら、腕義手で背中を掻いた。

そして痒みが落ち着くと、片付けを始めた水木の背中には小さな突起物が三本、服を突き破って生えていた。

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