第九話

「ヒルコ。昼食が出来たぞ」

「……後で食べるよ」

「あー、やっぱりなんか嫌か?」


 ヒルコの部屋の前で、扉から顔だけ出したヒルコに尋ねると彼女は表情をあまり変えずに首を横に振る。


「今は大丈夫だけど、あの二人絶対揉めるだろうからあんまり一緒にいたくない」

「まぁ既にちょっと揉めてるけども。……そこのところ、俺が悪いからなぁ」


 と、俺が言うもヒルコは首を横に振る。


「アマネも似たような関係だけど、仲良く出来てる。単に相性が悪いよ」

「相性?」

「ツナちゃんはワガママだし、朝霧……簪さんは、間違ったことを訂正したがるタイプだから」


 ワガママ……まぁ、それは否定出来ないか。

 ツナの根深い人間不信を改善するためとか、単に俺があまり子供との関わりが分からないとかで、二年間かけてみっちりとだだ甘に接してきた結果である。


 そして、それをあまり指摘する気にならない理由もある。


「ワガママだけど、悪い子じゃないんだよね。……自分にも他人にもすごく甘いって感じで。簪さんは、その反対って感じがする」

「……あー、まぁ、少しあるかもな。先輩、中学生のころ友達いなかったのに色々な人に会いに旅をしてたし。……優秀ではない人とは関わるのが苦手って感じがする」


 ヒルコはこくりと頷く。


「そんな感じだから絶対揉めるよ。ご飯は後で食べるから置いといて」

「……間に入って仲裁してくれないか?」

「え、やだ」

「……頼むよ……俺が間に入ると角が立つだろ」


 ヒルコは呆れたように俺を見る。


「誰彼構わず手を伸ばすからそうなるんだ」

「いや……別にそんなつもりは……。別に女の子に限ったわけでもないし」


 ヒルコは俺の方を見て、視線を落として自分の指先を見る。


「知ってるよ。人に手を伸ばすとき、何ひとつも下心がないことなんて……嫌いだな」


 ヒルコは自分の手をつねるように握り、それから俺を見る。


「……それはそれとして、頼むよヒルコ……!」

「この男、私にだけ押しが強くない?」

「いやだってヒルコだし……」

「私だからなんなの……もう……」

「引き受けてくれるのか? やったぜ!」

「私に対してだけやたらとウザさがあるのは本当になんなの……?」


 ヒルコは仕方なさそうにパチリと電灯を消して俺の後ろをついて歩く。


「俺がヒルコに対して他の人と若干接し方が違う……というのは、あまり自覚はないけど。俺よりも強いかもしれないからじゃないか?」

「いや、どう考えても無理」

「いや、そうじゃなくて、俺を殺し得るのはヒルコぐらいだろ」

「どう考えても無理だよ」

「寝込みを襲われたらどうしようもないと思うんだけど」

「首に刃物を当てることは出来るかもだけど、刃物が皮膚をほんの0.01mmでも刺す前に斬られると思うよ」


 さすがにそこまで速くはない。


「まぁ、とにかく、ヒルコはすごいやつだから頼れるって思ってるんだ」

「……仲裁はしないからね。いるだけ」

「ああ、もちろん」


 と、話をしながらリビングの扉を開くと、ツナと先輩が「ふにゃー!」「うにゃー!」と威嚇し合っていて、それを見てアメさんがあわあわと慌てていた。


 俺はゆっくりと振り返って、無言で自室に帰ろうとしていたヒルコの手を掴む。


「た、助けて……助けてくれ……ヒルコ!」

「五秒前にした約束を忘れないでよ」


 くっ……いや、でも、こんな短期間に揉めるなんて思ってなかったんだよ。

 喧嘩のスピード感がすごい。


「アメさん……なんで喧嘩してるんだ?」

「いえ、その……どちらが昼食でヨルさんの隣になるかで……」


 しょ、しょうもない。これが人智を越える神と天才の言い争いか……?


「嘘にゃー!」「わぎゃー!」と、言い争っているというか、言語を捨て去って威嚇し合っているふたりを見てゆっくりと目を閉じる。


「人はどんなに賢くなっても、愚かなままなのかもな……」

「元凶が悟ったようなことを言うな」

「これ、俺が元凶なの……?」


 と、話していると先輩がこちらに目を向ける。


「ふぎゃー」

「……日本語で頼む」

「ヨルくんは愚かだね。完全な利益の相反関係にある相手と議論は意味をなさない……。戦うしかないんだよ。パワーこそがこの世の全て……!」

「戦闘能力で言えばこの場でワースト二位のやつが……。大人なんだからワガママ言うなよ」

「やだよ!」

「は、恥も外聞も捨て去って堂々と……」

「ふふふ、隣の席に座るためには、大人としての全てを捨て去るよ」

「いいのか? 積み重ねてきたものを捨てるタイミングが今でいいのか?」


 仕方ない、こちらにも作戦はある……と、ヒルコの方に目を向けると、既に着席してこちらを肴に麦茶をコップに注いで飲んでいた。なんだこの野郎。


「……ツナは、嫌だよな?」

「嫌です。……と、言いたいところですが、いいとしましょう」

「えっ、いいのか?」


 と俺が尋ねるとツナは頷く。


「ふふふ、ここでヨルが困らないように引き下がることで好感度をあげる作戦です。これが知能……! 知性……! ふっはっはっはー!」


 俺がよしよしとツナの頭を撫でると先輩が「ぐぎぎ」と悔しそうに唸る。


「くっ……なんてインテリジェンスなんだ……!」


 ヒルコに「早く食べたいからさっさとしてくれない?」と視線を向けられて、ツナをいつも使っているのとは違う椅子に座らせて、隣に朝霧先輩が座り、対面にアメさんが座って食卓に着く。


「じゃあ、いただきます」

「あ、いただきます。……ん、このお魚、ダンジョン産だね」

「分かるのか?」


 確かに先程DPで購入したものだが……と、思って尋ねると、先輩は自慢げに箸を動かす。


「脂の乗りがこの季節のものじゃないし、冷凍した感じもないからね」

「旬とかと違うって話か?」

「というか、同一個体なんだよね。あ、遺伝子調べてみたんだけど、魚に限らず牛とかも、どんなに出しても同じ遺伝子だったの」

「変わったことを検証してるな」

「あと、ポテトチップスも同じ形らしいよ。聞いた話だけど」


 変な検証してるやつって多いんだな。

 と思いながら自分でも食べてみるが、生憎バカ舌なのでよく分からない。


「生き物……というには、死んだ状態で発生するからおかしいかな。死に物とでも言うかな」

「それはおかしいんじゃないか?」

「殺生をしてはいけないお坊さんとかって、これを食べてもいいのかな」

「さぁ……いいんじゃないか? 動物を殺したりしてるわけでもないし」


 朝霧先輩は首を傾げてからパクリとご飯を口に含む。


「これからどうしよっか。……友達になる方法、知らないや」


 俺が作った料理を食べている先輩を見て、どれぐらい本気なのかと考える。


 ツナとは……まぁ、それなりに仲良くしていると思う。


 少なくともツナの方は他所行きとは違う感情を見せていたし、たぶん仲良くしようという考えは持っていそうだ。


 だが、けれど、朝霧先輩はたぶんそれなりに演技が出来る人だ。


「ん、どうしたの?」

「……いや、そうだな。みんなのことは知らないだろうし、自己紹介から始めようか。友達」


 なんとなく、ふたりがしていた将棋盤の方を見る。


 一瞬、ツナの方が押しているように見えて……よく見ると、だいぶ先に先輩がツナを詰ませる道が見えていた。


 ……あのツナが負けたのか。


 と、驚きながら食卓の方に目を向けるとヒルコと目が合い「おかわり」と視線で訴えかけられる。


 それぐらい口で言えよ。というか自分でよそいにいけ。


 そんな視線を返しながら茶碗を受け取ってご飯をよそいに行く。

 ……さて、どうしたものかなぁ。


 今まで適当に会わせてたらいつのまにか仲良くなってたけど、今回はそういかなさそうである。

 まぁ、今までがツナに甘えていただけか。

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