第二十一話

 武術家。というものは基本的にダンジョンに向いていない。

 そもそもが対人の技術であり、拳はモンスターには通じず、技では攻撃を防げない。


 普通に銃でもなんでも使った方が手っ取り早く強いというのが常識で、それ以上にスキルや魔法が有用であるというのが共通認識だ。


 俺やアメさんのように剣技のスキルがない方が強い奴もいるが、それでも武器がなければかなり厳しい。


 というか、素手でやるぐらいならそこら辺の石でも棒でも拾えばいいだけだ。


 けれども素手……防具とも言えない服装。馬鹿……と言えば簡単なのだろうが、俺にはそれが矜持のように思えた。


「……どうします?」

「荷物持ってないな。普通に食料がないからどんなに強くても……それこそモンスターがゼロでもここまで歩いてくるのは無理だろうし、放ってもいいんだけど……。アメさんとそういうことをする空気でもなくなったしな」

「空気の問題なんですか?」

「…………いや、まぁ、うん。……そういう空気じゃなくても触りたいけど、そうじゃなくて。どう考えてもダンジョンの攻略を目標にしてない。……たぶん、目当ては俺だろう」


 そうなると、放っておくのは可哀想に思える。


「お酒いっぱい飲んだけど平気ですか? 顔も赤いですけど」

「あー、手加減は出来なくなるけど、倒すだけならどうにでも。おっとっと」

「フラフラじゃないですか……」

「大丈夫大丈夫。……うし、行くか」

「着替えなくていいんですか?」

「ああ。あ、でもアメさんは着替えた方が……。あんまり、寝巻き姿を他の男に見せたくはないし」

「んんぅ? じゃあ、着替えてきます」


 酔った頭を覚ますために顔を洗って気合いを入れる。


 強い……すごい武芸者なのだろうとは思うが、それでも倒すことは容易だろうと感じる。

 普段着に着替えたアメさんと共に老人の元に向かい、すぐに来るだろうフロアで待ち構える。


「うっぷ……飲み過ぎて気持ち悪い。

「……平気ですか? というか、やっぱり戦うのは避けた方が」

「いや、平気だ」


 そう話していると扉が開かれて、奥から枯れ枝のような手足の老人が脚を踏み入れようとして、その脚を止めて俺たちを見る。


「……夜分遅くに申し訳ない」


 まるで近所の家を訪ねるかのような声色。

 俺の存在に驚く様子も奥する様子も見られない。


「中ボス。結城ヨルでお間違えないか」

「ああ……。まぁ、夜も遅い。お互いにさっさと済ませたいだろう。何の用だ?」

「手合わせを」

「……まぁ、そうだろうな。アメさん、刀を預かっていてくれ」

「えっ、いいんですか?」

「こういう手合いは言い訳がない方がいい」


 アメさんに刀を渡して軽く身体を動かす。酔いは強く、万全とは言えないが…………。

 申し訳ないぐらいには余裕がある。


 お互いに構えて、見据える。


 息を吸い、吐き出す。老人が地面を蹴るのに合わせて俺も地面を蹴り、老人の腕をすり抜けて俺の脚が老人を捉える。


 ぐにゃり、妙な感覚が脚を絡めるが、構わず振り抜いて吹き飛ばす。


「……躱されたか」


 吹き飛んだ老人は壁にぶつかって地面にゴロゴロと転がり、血を吐き出す。

 かなりダメージは大きいが……今の上手く加減出来ない俺の蹴りを受けてその程度なのは驚嘆の一言だ。


 威力の大半を逸らされて散らされた。だが、それでも……体の性能が違いすぎる。


「っ……ぐふっ……」

「……続けるか?」


 老人は頷く。

 ……強い。間違いなく、素手の技量に関しては一級品を超えているだろうし、敬意に値する。


 だからこそ、こんなつまらないことをやめたい。


 立場上、負けてやることは出来ないが……けれども「人生を賭けて得た技量」を踏み躙ることにいい気はしない。


 頑張って作ったであろうドミノを蹴っ飛ばすような罪悪感。


 老人は立ち上がり、構える。


「──見切った」


 血を吐きながらの言葉ではないだろう。


「……まぁ、やるところまではやるか」


 再び振るった蹴りは躱されて、反撃のように腕を掴まれる。

 ぐにゃり……と、俺の力が歪められる感覚がして、身体が宙に浮く。


「我流奥義──」


 と、老人が何かを言おうとするが、身体が浮いた状態で腕力によって無理矢理身体を引っ張って地面に叩きつける。


 だが、老人の下の床は大きく破壊されるが老人は軽く吐血するだけだ。けど、もう立てないだろうな。


 地面に着いてその場を離れてアメさんに預けていた刀を受け取ろうとしたとき、老人は立ち上がる。


「──もう一度だ」

「…………そっちには、多分何かしらのドラマみたいなのがあるんだと思うけどさ。それに付き合う義理はないんだ」

「──もう一度。それとも、逃げるのか?」


 苦しそうだから介錯してやろうと思ったが……まぁ、仕方ないか。


 再びアメさんに刀を預けて振り返る。


 瞬間、目突き。額で受けて反対にその指を折るが、構わず拳が振るわれる。


 俺の腹に拳が触れ──。


「ああ、こんな感じの感覚か」


 衝撃が体の中を伝って地面に落ちる。

 老人の目が一瞬見開かれ、その瞬間、俺は拳を振るってその顔面に叩きつけた。


 ぐにゃり、と再び力が歪められ、今度は俺の方に返ってくるが、もう一度それを返して吹き飛ばす。


 ゴボッと、老人は血を吐き出し、笑う。


「……なんで初見の技を真似られて、俺よりも上手いんだよ」


 ──もう一度。そう言って立ち上がった老人は、光に包まれて消えていく。

 致命ダメージによるダンジョン外への排出……外なら、立ちながら死んでいたんだろうな。


 ふうっと息を吐いてから振り返る。


「アメさん、ちょっと外出てくる」

「あ、えっと、どうかしました?」

「いや、外、雨降ってたろ。それに深夜だから困るかも」


 急いで傘を二本持って外に出ると、先程戦った老人が雨の中立ち尽くしていた。


 俺の姿に気がついた彼はスッと構えるが、俺の手にある傘を見て拳を下げる。


「……追い討ちに来たんじゃないのか」

「違うって。ほら、濡れて風邪引いたら不味い歳だろ」


 傘を差し出しながら街灯の光を頼りに周りを見回す。


「どうやって来たんだ? 車? 電車?」

「新幹線だな」

「もう終電はとっくに過ぎてるだろ……もうちょっと計画性を待ってだな……。あー、俺ももう酒を飲んじゃったから車は無理だし……」

「いい。歩いて帰る」

「新幹線の距離をか……? 今からホテルとかはないだろうし……。あー、そういや、探索者の連中がダンジョンの中に宿泊施設作ってたな。そこならいけるか」


 老人の肩を掴んでダンジョンの方に戻ろうとすると、彼は抵抗を諦めたように俺を見る。


「俺は、弱かったか」

「いや、めちゃくちゃ強い化け物だと思う」

「……どうしたら、それほどまでに強くなれる」


 ……もう相当な老人だろう。強くなる云々の年ではない。

 言葉に迷い、それからもう一度彼を見る。


 強い目をしている。勝つことを諦めていない。


「……俺のところに挑みにきたのはなんでだ」

「お前が最強だと聞いた」

「ああ、まぁ、よくいる」

「それに、もう俺には残された時間は多くない」

「……病気か?」

「……医者はアレコレと名前をつけたがるが……一言で済む言葉がある。老いだ。死ぬ前に、最強に挑みたかった」

「…………そうか」


 そんな重い話を押し付けられる方の気持ちにもなってほしい。

 ……俺は大した人間じゃないのに、度々、最強、それを期待される。


「……情報に疎い俺でも知るほどだ、これから、他の人も挑みにくるだろうな」

「……まぁ、そうかも」

「また挑みにくる。それまで負けてくれるなよ」


 ……ああ、と、頷く。

 本当は断りたかったが……立つことも、歩くことも辛そうな老人の言葉を否定することは難しかった。

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