第十五話



「……とりあえず、ここで立ち話するのもまずいし、座れるところに行こっか」


 そんな提案に頷いて移動した先は、先ほど俺が話題に出したばかりの喫茶店だった。


「懐かしい……とは、あんまり感じないね」


 本当なら懐かしい景色だったのだろうが、そう思えないのは俺も同様だった。

 ある程度は取り戻せていても実感はまだ足りておらず、どうにも腹の中に落ちることはない。


「まぁ、そうだな。久しぶりではあるんだけど」


 お互いに、何をしにきたのかなんて質問には意味がないだろう。

 同じ目的であることは分かりきっていて、表情を見れば結論も分かる。


 話の流れなんて踏まえない、唐突とも言える言葉を朝霧簪は口にする。


「法律上の親戚にはいなかったよ。あと、これ」


 朝霧簪は隠したり駆け引きに使うつもりもないのか呆気なくそう言ってから、スマホを取り出して最近撮ったばかりの写真を見せる。


「私の子供の頃の写真」


 その写真を見て、ヒルコは瞬きを繰り返し、俺は「やはりか」とため息を吐く。


 めちゃくちゃタイプだ。ではなく……似ている……というか、服装や表情の作り方や髪型は違うが……ツナと同じ顔をしていた。


「……え、えっと、これはどういう」

「見ての通りだろ。たぶん、同一人物だ。クローンとかそういうのじゃないか?」

「そういうのじゃないかって……。実在してるの? クローン人間って」


 ヒルコが顔を引き攣らせながら俺に尋ねると、朝霧先輩は俺にメニューを手渡しながら代わりに答える。


「動物なら君が産まれるよりもだいぶ前にね。倫理的な問題があるから人体実験はしてはいけないことになってるけど、技術的にはそれほど難しいものではないかな」


 メニューをぼーっと眺めたあと、ヒルコに「コーヒーでいいか?」と尋ねると「マジかコイツ」みたいな表情で見られる。


 いや……だって喫茶店に入って何も注文しないわけにはいかないし。


「飲み物はなんでもいいけど……。技術的に難しくないって……」

「雑に言えば、卵子から核を取り除いて別のを入れるってだけだからね。数十年前には出来ていた技術だし、それなりに有用だから隠れて人体でも研究してる人ぐらいいそうだし、クローン自体に驚きはないかな」


 問題は……朝霧先輩はまだ知らないはずだけれど「朝霧絆」という自分の子供につける予定だった名前をツナが名乗っていることと、ツナの生まれ育った環境が朝霧先輩のそれと酷似していることだ。


「……隠していても仕方ないからこちらも提示するが、ツナ……あの子の話を聞くと、さっき行った朝霧先輩の家に住んでいて、この辺りの保育園と小学校に通っていたようだ」

「……いや、流石にそれはないよ。私、あの家にも時々帰ってたし、さっきもいろいろ見て回ってたし」

「分かってる。ツナの発言がおかしい。……けど、年齢的に、その嘘を吐くのも無理だったはずだ」


 ヒルコは俺たちの話を聞いて、よく分からなさそうに首を傾げる。


「クローンなら同じ記憶を持ってないの? 映画とかで見たけど」

「それは創作の話で……基本的には元になった人間と同じ遺伝子を持っていること以外は普通の赤子と変わらない状態で産まれる。まぁ、まだクローンと確定したわけでもないけど、どちらにせよ、ツナの記憶はおかしい」


 メニューを閉じて店員を呼んで注文し、それから朝霧先輩を見る。


「当然の話として、人間は遺伝だけで性格や能力が変わるものではない。勉強すれば賢くなるし、運動すれば強くなる。有名な才女であった朝霧簪をまんま再現するには同じ人生を歩ませるのが確実だ。……けど、それは現実的じゃない。20年近い時代の差もあれば、周りの人達という大きな環境は真似出来ないし、何よりもその人が生まれ育った環境はどうだったかなんて、大まかなところはまだしも細かいところなんて本人にも把握出来てないだろ」

「環境を似せることは出来るだろうけど、あまり意味はないだろうね。タイムスリップとは違うけど、バタフライエフェクトは起きるだろうしさ」


 結局、クローンだろうがなんだろうが、個人は個人でしかない。……はずである。


「分かりきっている欠陥。クローンを作る研究者がそれを理解していないはずもない。だから、やっぱり朝霧絆の記憶がおかしい」


 そう言い、持ってきてもらったアイスコーヒーに口をつける。

 カラリ、と、氷とガラスがぶつかる音が鳴る。


「まぁ、手詰まりだね」

「いや……ひとつ、類似の現象を知っている」

「……類似の現象?」

「ああ……ウチにいたゴブリンのゴブ蔵なんだけど、教えていない関西弁をペラペラ喋るんだよな」


 朝霧簪はメロンクリームソーダを飲む口を止めて、可哀想なものを見る目を俺に向ける。


「……ヨルくん。ゴブリンは喋らないよ?」

「いや喋るんだよ! めっちゃ流暢に! あと、近所のダンジョンの猫が関西弁なのはヒルコも知ってるだろ。……つまり、モンスターはなんらかの記憶を保持した状態で発生している」


 俺がそう口にした瞬間、ヒルコがバッと立ち上がって俺を見る。


「つ、ツナちゃんは──!」

「ヒルコ、分かってる。別にツナをモンスターと呼んでいるわけじゃない」


 俺の言葉を聞いたヒルコは、それでも俺を見て口を動かす。


「よ、ヨルくんにそんな風に思われたら、可哀想で……」

「分かってる。……ありがとうな、ツナのために怒って」

「……怒っては、ないけど」


 ヒルコはゆっくりと座り直して、顔を俯かせる。

 朝霧簪はそんなヒルコの様子を気にした様子もなく口を開く。


「でも、一番ありそうではあるんじゃないかな。……少なくとも、君はそう思っている」

「……記憶を精密に操作する技術なんて、ダンジョンぐらいしかないからな。モンスターじゃなくとも、ダンジョンがどうこうしている可能性は考えているよ。少なくとも人間技じゃない」


 からり、グラスの音が鳴ってため息を吐く。


「……これ飲んだら帰るか」

「えっ、いいの?」

「いいのも何も、別に今までと何か変わるってわけでもないしな。ああ、いや、ダンジョンで死んだときに復活出来るか不明だからツナが戦闘に巻き込まれないようにするのには一層気をつけた方がいいか」

「……う、うん。そうだね。けど」


 まぁ、仲良くしていた人が人間じゃない可能性が高いですなんて言われてすぐに納得出来るものでもないだろう。


「それでさ、ヨルくん。前の提案は受けてくれる?」

「提案……なんだっけ」

「私を仲間にしてほしいって話だよ」

「ああ……人質、ダンジョンコアを渡すからどうのって話か。……まぁ、一考には値するけど、普通にすり替え出来るからなぁ。いや、そういう問題でもないか」


 事の本質はそうではなく……。


「朝霧先輩、記憶がだいぶ戻ってきて、また俺に対して……思うことがあるんだろ」

「…………うん、そだよ」


 いつものような軽い返答だけど、少しの間があった。


「……ダンジョンの仲間としてなら協力出来るけど、異性として仲良くしましょうというのは……まぁ、問題がある」

「……」


 表情が変わらない。

 ……表情が変わらないなんてことは、本来ならあり得ないことだ。意図的に表情を隠しているだろうことは簡単に分かった。


「……私のこと、嫌いかな」

「まだよく思い出せてない。それに結構長いことあってなかったのもあって、昔馴染みという感じだ」

「じゃあさ、これからダンジョンの仲間として仲良くなって……お互いに知って、思い出して……」

「……好きな子がいるから」


 中高生のような、断り文句。

 表情を崩さないようにしていた朝霧先輩の顔は一瞬だけ歪み、すぐに戻る。


「……ズルいよ。ズルい」


 静かだけど、その言葉は店内によく通った。


「ヨルくんは、弱い人に優しいじゃんか。……「もしかしたら神によって生み出された可哀想な存在かもしれません」だとか「ダンジョン側の存在だから他に頼れる人がいません」だとか……」


 朝霧先輩は自分の膝に手を置いて、服ごと自分の脚をグッと引っ掻くように握りしめる。


「ヨルくんがいないと困ります。みたいな……。そんなの、ズルい。ズルい……。私が、ほしいのに」


 賢いとか、そういう雰囲気は消えて……まるで駄々をこねる子供のように見えた。

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