第十話

 朝霧絆……結城絆は、頭がよく……けれども精神的な発達は普通の子供と変わらない。


 むしろ……他の人よりも多くのものを分かってしまうがゆえに、簡単にキャパオーバーする。


 小さな手がすがるように俺の手を握って、瞬きが繰り返される。


「……ダメ、ですか?」

「……アメさんとお風呂入ってたろ? 特に何も言われなかったなら普通だったんだろ」


 そういうことではないのは分かっていた。


 ツナが感じているのは「自分の感覚」が他者と共有出来ないという、人間が社会性の高い生き物がゆえに感じる孤独だろう。


 ……きっかけは、アメさんやヒルコとたくさん話したせいで感覚の違いを強く感じたせいか。


 アメさんもヒルコもどちらかというと勉強は苦手で体を動かすのが得意なタイプだからなぁ……。


 仲良くは出来てもあまり話は噛み合わなかったのかもしれない。


 最近は控えめだけど、会ったばかりのツナは俺でもよく分からない難しいことを話しがちで、テンションが上がったり反対に眠くなったりすると、その昔の悪癖が出てしまう。


 おそらくちゃんと頭が働かずにぼーっとしてしまうと、他の人のレベルに合わせるということが疎かになって話が小難しくなってしまうのだろう。


 ……今回、ツナがこうなっているのは俺のせいもあるか。最近はしっかりしていたので油断していた。


「……パジャマパーティー、楽しくなかったか?」

「楽しかったです」

「そうか。なら、それでいいんじゃないか? 人のしている話がよく分からないとか、こっちの話が伝わらないとか、普通によくあることだ」

「……ヨルは、私を人間だと思っていますか?」


 そりゃそうだろ。……どう見ても可愛い女の子だし、普通に事実としてもそうだ。

 ツナの指は確かめるように俺の手を強く握る。

 それから、絞るように声を出す。


「……父母は、私をそうだと思っていませんでした。記憶はぼやけて、よく思い出せないのですが、けれども分かります。怯えられていました。化け物と思われていました」


 あまり話したがらないツナの過去。

 それは思い出というよりもトラウマと呼ぶ方が適切なのかもしれない。


 眠気と不安、その両方があるのか、ツナはとろりとした瞳で俺を見つめる。


「普通の家庭。が、分かりません。私の人間関係は狭く、友達も話し相手もほとんどいなくて……。アマネさんのご家庭と自分の家しか知りません」


 ツナの頭を撫でる。


「……アマネさんのご家庭と違うのは、ハッキリとわかりました。怯えられていて、話したくないと思われていた。「悪い親」にはなりたくなかったのか、ご飯はちゃんと用意してくれましたし、私が望めば本も買ってくれました。……ただ、気味の悪い子供だったんでしょう。私は。話は、ほとんどした覚えがありません。好きなものも嫌いなものも知らず、黙々と、淡々と、業務のような生活だったように思えます」


 特にツナの頭を撫でる。

 柔らかく細い髪からシャンプーの匂いがする。俺の好きな優しい匂いだ。


「誰が悪かったのか。決まってます。私でしょう。私です。私が産まれたせいで、私に怯えてくつろげない家になったのです」


 ツナは頭が良い。

 それこそ、ツナが言うように「本当に人間か?」と、思ってしまうほどなのだろう。本人も、両親も。


 けれども、やはり、俺からすると普通の可愛い……愛しいひとりの少女にしか思えない。


 事実としても、人よりも見えるものが多くとも、感性はなんら変わらない。


 化け物扱いされて辛い。けれども生活には困らないという状況で、ツナは神を名乗る存在の話にのって不安定なダンジョンを選んだ。


 それは少なくとも当時の状況を鑑みれば「正しい」行動では決してなかっただろう。

 損と不安定を選ぶ、馬鹿な選択だ。


 分かっていながらもそれを選択したのは、ツナが合理性よりもそのときの感情を優先したからだ。


 雑な言い方をしてしまえば、逃げた。

 迷子の子供が道の隅でグスグスと泣くような、解決とは程遠い行いをした。


 ツナは、賢いけれどもそういう子供だ。

 俺がいないところで人と関わらせるのは急かしすぎたかもしれない。


 アメさんやヒルコがいい人とか悪い人とかの問題ではなく、話が上手く噛み合わずに孤独感を覚えて寂しくなったのだろう。


 俺とやたらと性的な行為をしたがるのは、実際に興味があるのも嘘ではないだろうが、俺以外とマトモな人間関係を築けたことがないから俺が望んでいそうなことに合わせようとしている……と、思う。


 まぁ、単純に好きな人との関係を深めたいとか、ひっついたときの肌の感触が好きとかもあると思うが。


 言葉通りに受け取って「ふたりともしたいと思っているのだからしてもいい」と、安易に考えていいものではないだろう。


 これはツナが子供だからとかでも、俺がロリコンだからでもなく、法律や道徳を無視しての勘定だ。

 たとえツナが俺よりも年上だろうと我慢しなければいけないところだ。


 もう一度頭を撫でる。俺の胸元にはツナの涙の跡が残り、俺にへばりついていたツナは体力の限界がきたのか寝息を立て始めていた。


 ……話し合えば解決出来る、と、昔、賢い知やつがよく言っていたのを思い出す。

 アニ研に誘ってくれた松本の口癖で、確かにアイツは人を説得するのが得意なやつだった。


 けれども、今こうしてツナを抱いていると。

 結局、話し合いなんて出来ずに弱音を零したまま、寝てしまったツナの安心しきった寝顔を見ると。


 案外、話し合いなんてしなくても、賢くなくても上手くいくときもあるものだなと思う。


 親しく愛しい人の温もりを感じているだけで、解決出来る問題もあるものだ。


 ……ソファで寝てしまったけど、どこかに運ぼうか。

 いや、流石にあのベッドで四人は狭いし、いつも寝てるアメさんはまだしもヒルコがいるし……。ヒルコのベッドを無断で借りるのもな。


 仕方ない。ふたりだと狭いけどこのまま寝るか。寝違えてしまうかもしれないけど。


 ツナを抱いたまま目を閉じる。



 ……柔らかい、あったかい、いい匂いがする。

 心の中で色々と考えて、ツナのためにツナに流されて手は出さない。


 ツナが何歳だろうと、ツナの精神的な問題がなくなるまで我慢する。


 そう決意したが……もしかして、それは好きな女の子から毎日のようにされる誘惑を耐え続けなければならないという、修羅の道なのではなかろうか。


 ……もはや、一国と争う方が楽な気がしていた。



 翌日、昨夜なかなか寝付けなかったせいでいつもよりも遅い時間に目を覚ます。


 既にみんな起きてリビングに集まっていた。

 アメさんが用意してくれたのか朝食の匂いがして、ツナとヒルコが勉強道具を片付けている。


「あ、おはようございます!」


 ツナは昨夜のことは忘れたようにすっかり元気で、手の横にシャーペンの跡が付いている。


 ヒルコに勉強を教えていたのか。パジャマパーティーの時に約束でもしたのだろう。

 ……ヒルコが歳下に勉強を教わるのは嫌かと思ったが、杞憂だったようだ。


 仲良くなれたなら、悪いことだけでもなかったな、パジャマパーティーも。少し寂しくなってしまったようだが。


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