第五十三話
行動不能。そう言ってもいい状態だった。
ぎゅっと手を握って言い訳を探す姿はいつものヒルコの雰囲気とは大きく違って、親や教師に叱られる子供のようだった。
……というか、子供なのだろう。
ヒルコはまだ、子供と言われる年齢だ。
「──ぁ。……その、えっと」
それは、少し哀れにも思える態度だった。
助けを求めるようにツナと水瀬を見て、それから俺の顔色を窺うように上目で覗く。
少し目を伏せてからまた目線でふたりに助けを求める。
死の覚悟を、特に表情のひとつを変えることもせずにした彼女は、少し怒られただけまるで世界が終わるかのようにで狼狽えていた。
真面目な話、食糧や水分の問題があるのだからこんなことをしている場合ではなかった。
探索しなければならないが現実問題として、ヒルコが正常な状態でない以上は探索は不可能だ。
罠が多少残っている可能性もあるし、何より探知範囲がヒルコがずば抜けていて、探索の効率が十倍は変わる。
俺はどうやら斥候は得意じゃないようだし、水瀬はソロなので色々出来るかもしれないが……練武の闘技場には基本アホアホ探索者しかおらず索敵のようなことを出来る人は少ない。
というか、うちのダンジョンだとそれの意味がない。水瀬にも期待出来ないだろう。
…………という、言い訳だ。
ヒルコが心配、だなんて、安い言い方だけれど俺が足を止めているのはそれが理由だった。
同じ家に住み、飯を食べて、ゲームをしたり、軽口を言ったり、文句を言い合いながら生活して、看病してもらったこともあれば、寂しそうなときに寄り添ったこともある。
俺もヒルコも、若い男女の割にはお互いのことを異性として見ておらず、けれども友人というには距離が近い暮らしをしている妙な関係。
妹のよう。と、評するのがたぶん一番近いのだろう。
妹はいないので、これが本当にそうなのかは分からないけれど。
「……とりあえず、階段の下まで降りよう」
とぼとぼと、ヒルコは歩く。
俺が階段に腰掛けるとまるで説教を待つようにヒルコは俺の前に立つ。
それは少し居心地が悪く、そもそも……怒るつもりはあっても叱るつもりはないのだから、説教を待つような表情はやめてほしかった。
叱るつもりはあって怒るつもりはないというのはよく聞くが、今の俺はその反対だった。
あくまでも、理屈ではなく感情の話。
何が正解かを語りたいのではなく、俺はヒルコが大切だと怒鳴りたいのだ。
正しいことを言うつもりは、これっぽっちもなかった。
「……ツナは、少し嫉妬深い」
「……?」
俺がなぜそう切り出したのか分からないようにヒルコは申し訳なさげに首を傾げた。
「俺が他の人と仲良く話せばヤキモチを妬くし、それが女の子で、可愛らしければ尚更だ。だからというのもあって、わりと俺なりに気を遣っていたつもりだ」
ツナが「えっ、あの距離感でですか?」と茶々を入れるが、そこまでヒルコとの距離感が近い覚えないのだが。
「まぁ、そういう事情……俺がツナに怒られたくないという理由で、あまりこういうことを口にしなかったし、するつもりもなかったけど。ハッキリ言うぞ。俺はヒルコを大切に思っている」
ヒルコはぼーっと、言葉の意味を頭の中で検索するような表情をしていた。
まるきり、理解出来ないという感じだった。
もう一度、口にする。
「俺はヒルコが大切だ」
「……。……えっ、あっ……えっ」
「生意気で、しっかり者で、けれどもそのくせ心配ばかりかけるような。そんな家族のように、妹みたいに、感じていた」
「……」
ヒルコはやっぱり狼狽えていて、俺はその姿を見かねて自分が座っている階段の横を何度か叩く。
俺の意図が伝わったのか、ぽすり、ヒルコが俺の隣に座る。
……少し、近いな。
「……まぁ、俺たち全員、一度は人との縁を全部捨ててるからさ、偉そうなことも正しいことも誰も言えないけど」
「俺はダンジョンマスターじゃないから捨ててないぞ」
「水瀬は捨てただろ、今。クソほど余計なことを言って捨てたぞ」
「まぁまぁ、俺たちは家族だろ?」
俺は無言で刀を持ち上げる。水瀬は黙った。
「……妹」
ヒルコは小さく、けれども言葉を抱きしめるように大切そうにそう口にする。
「正論じゃなくて感情論として。……ヒルコも、自分が死ぬかもしれないのよりも、俺たちが死ぬのが嫌だったからそうしたんだろ。俺も同じように思っている」
ヒルコはまた少し停止して、水瀬を見て、ツナを見て、俺を見る。
「もう、好きな人が死ぬの。いやだな」
溢れたように、ぽつり。
俺はそんな縮こまった少女の頭をがしりと掴んでガシガシと強く撫でる。
髪が乱れていき、ヒルコは目をぎゅーっと瞑ってそれに耐える。
「わ、わわっ!? ん、うあああ」
「死んでほしくないなんて。んなもん誰でもそうだろ」
馬鹿なことを言う。
ヒルコは、本当に。
「……でも、そんなの、分かってるけど。じゃあどうするの? ……たぶん、ないよ、道」
「俺が上を掘る」
「……へ?」
「見たところ、古いだけで大したダンジョンじゃない。掘りまくれば、地上に着くだろ」
ヒルコは俺を見て、首を横に振る。
「いや……無理だよ」
「いける。その自信がある」
「どう考えても無理だよ。……やっぱり、私が脱出を試すべき」
ヒルコは「ごめんね」と、俺に言う。
「怒られても、やっぱり、私がそうするべきだと思う。私はそういうワガママな人間で、変われないから」
「変わってくれ。死ななくとも、そういう考えに行きつく時点で、もう嫌だ」
「……人間は、変われないよ。そう思ったから、ヨルくんもみんなも人の縁を切ってダンジョンに来てさ。……ここの人も、座敷牢から抜け出したのに、ずっとここに篭ってたんだから」
ヒルコの言っていることは、分かる。分かってしまう。
変われないからこんなところにいて、誰も彼もが苦しんでいるのだ。
それでも、ヒルコの行動は看過出来ない。
何かを言おうとしたとき、ヒルコが顔を上げる。
「……またあのモンスターか。本当に多いな」
俺はそう言いながら立ち上がり、しばらくしてやってきたそれを八つ当たり気味に倒してしまう。
……説得、出来るだろうか。
今回の話だけではない。これからのことだ。
今から全員で脱出しても、これから何かピンチを迎えるたびにヒルコが自分を犠牲に俺たちを守ろうとしては、きっと意味がない。
だから説得を……。そう考えていると、ずっと考えていたツナが顔を上げる。
「…………本当に、人は変わらないんですか?」
「……うん」
「…………本当の、本当にですか?」
「そうだよ。一生、変わらない。ここのダンジョンマスターがそうであったように」
ツナは俺が倒したモンスターを見て、確信を覚えた表情をして、こくり、深く頷いた。
「脱出の手立てはないよ。歩いているうちに、確信に変わった。生き埋めになってる」
「だから、俺が上を掘るって」
また俺とヒルコが言い合おうとしたとき、ツナが割って入る。
「脱出の手段、見つけました」
「……へ?」
感覚が人並み外れて鋭いヒルコでも、人よりも圧倒的に強い俺でも、経験に優っている水瀬でもなく、ツナが確信した様子でそう口にする。
ヒルコは驚きと疑いを隠せない様子で口を開く。
「ど、どうやって?」
そんな問いを待っていたとばかりに、ツナはダンジョンの奥を指差す。
「そんなの、決まってます。ここはダンジョンですよ? 攻略するのです」
ダンジョンを攻略したところで出口が出てくるわけでも、地上に転移するわけでもない。
そんなことはツナも知っているだろうに、けれども自信満々に繰り返す。
「ダンジョンを攻略するんです」
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