第五十二話

「ヨルさー、なんか最近冷たくない? 釣った魚に餌をやらないタイプ?」

「水瀬は釣った魚じゃなくてなんか勝手に陸に打ち上げられてグテってしてるタイプの魚だよ」

「ヨルって勝手に陸に打ち上げられてグテってしてるタイプの魚に餌をやらないタイプ?」


 それに餌をやるタイプはこの世に存在していない。


 それはさておき……居住スペースも結構あのモサモサゴーレムが出てくるな。


 決して遅れを取ることはないが、だからといって戦闘中にあまりにもどうでもいい雑談を仕掛けてくる水瀬はどうかしてると思う。


「んで、ヨル……このまま調べながら歩いて上手くいくと思うか?」

「……なんだ。歩き疲れたから休もうという話か?」

「いや、これでもソロで探索してるような探索者だぞ。人よりも体力はある」


 そういや、水瀬はソロだったな。

 ……ソロでうちのダンジョンの探索って、よく考えたら結構な戦闘力だな。実際そこら辺の探索者よりも遥かに優秀だ。


「そっちのちっこいのの話を聞いてると、最近までは空気が繋がっていたけど今は埋まってる可能性が高いってことだろ?」

「いや、別にそこまででも……」


 と、俺が口にすると、ヒルコが首を横に振る。


「空気の流れは感じられない。……階段とか見つけて登ったらまた別かもしれないけど」

「だろ? ということで、割とマジで生き埋めになった可能性は高い。……初期案で行こう。死んで脱出だ」

「いや、だからそれはあまり現実的じゃないだろ。ダンジョンとしての機能が残ってなくてそのまま死ぬ可能性もあるし、残っていても生き埋めになる可能性もある」

「ヨルならいけるだろ? ダンジョンから排出されるレベルだけど、排出されなくても回復魔法が間に合う程度の致命傷」

「……俺の職業は祈祷師といって、治癒は専門じゃない。ツナはダンジョンの職についていないし、ヒルコは……」

「一応、魔法使い。ほとんどスキルを使ったことはないけど」

「俺はこれでも回復魔法が専門だ。ヨルと俺のがあればなんとかなるだろ」


 いや、やはりリスクが高いだろう。

 いざとなれば試す他ないが、まだ追い詰められていない。

 現状だとあまり賛同出来るような手ではない。


 俺が眉を寄せると、水瀬はいつも通りにヘラヘラと笑って俺の頭に手を置く。


「大丈夫だ。その場合、斬るのは嬢ちゃん達じゃなくて……俺だ」


 水瀬の言葉に少し驚く。あの邪悪な男が……。

 俺が惚けている間に水瀬は言葉を続ける。


「当たり前だろ。斬る役のヨルはダメで、もちろん女の子にそんな役をさせられないしな」

「……もしダンジョンの機能が残ってなければ、自分で自分に回復魔法かけられるのか? 無理だろ。ダンジョンから排出されるのは、本当に死ぬ直前だ。心臓が止まった程度じゃない」

「まぁ気合いでなんとか。自己治癒はソロだから慣れてるしな」


 適当な……。


「運良くダンジョンの機能が残っていて、生き埋めにならずに地上に脱出できたら、夕長の嬢ちゃんに連絡を取ってダンジョンの拡張機能でここまで練武の闘技場のダンジョンを伸ばして脱出すればいい」

「生き埋めになったら」

「……まぁ、そんときはそんときって感じで」

「アホか。頷けるわけないだろ」


 却下に決まっている。

 考慮にすら当たらないような低レベルすぎる提案だ。


「えー、ヨルって陸に打ち上げられてグテってしてる魚に餌をやるタイプ?」


 ヘラヘラと、水瀬は冗談の続きを口にする。


「餌はやらなくとも、海に帰してやるぐらいするだろ。……はぁ、バカ言ってないで探索続けるぞ」

「いや、外に繋がる道がある可能性が低いなら、体力がある今のうちに試した方がいいんじゃないか?」

「却下だ」

「繋がる道があったとしても、さっきの道みたいにガスが溜まってて通れないかも」

「俺が全力で走れば全員背負って突破出来る」

「……強情だな、ヨル」

「それに最悪、地上まで俺が掘り進めたらどうにでもなる」

「化け物? ……それは崩落の可能性あるだろ」


 水瀬と俺で口論のような形になり足が止まる。

 前を歩いていたヒルコは脚を止めて、それからスッと目を細めて俺を見た。


 どうしたのだろうか、と、思っているとまたヒルコは前を歩いていく。


 それから微妙な空気の中しばらく歩くと登り階段が見つかる。

 居住区の奥に階段……うちのダンジョンと同じ発想なら地上への隠し通路だが、ダンジョンにずっと引きこもっていたヤツがそんなものを作っているかも、作っていたとしても埋まっていないかは微妙だ。


 その答え合わせは思いの外すぐのことで、階段を登ってしばらくしたところで土がなだれ込むような形で埋まっていた。


 これはどう見てもダメだな。と、一目見て分かる中、ヒルコは土に手を当てて短剣で軽く触って奥の様子を確かめる。


 少ししてから、ふるふると首を横に振った。


「奥が空洞ということもないかな。完全に埋まってる」


 ヒルコはそう言いながら土のついた手を俺の服で拭う。


「やめろ。ヒルコ、俺の服で拭くな」

「……」

「無言で短剣の鞘も拭くな。それは少なくとも今そうする必要ないだろ。ヒルコ、おーい、やめてくれ。おい、高橋、高橋さん?」


 俺の服で短剣の鞘をピカピカにしたヒルコは「ふー」と息を吐く。


 どうしたのかと思うと、俺が瞬きをした一瞬、ヒルコが短剣を引き抜く。


 完全な油断。まさかヒルコがこの場で刃物を抜く意味が分からず、本来ならいくらでも動けたはずなのに短剣を抜いたヒルコをぼーっと無警戒で見てしまう。


 信頼していた。しすぎていた、だから……あまりにも反応が遅れた。


 ヒルコは音もなく、短剣の刃を首へと向けて突き立てる。


 ──ヒルコ自身の、首へと。


「ッ──! 何やってんだ!?」


 慌てて、短剣の刃を握り込んで短剣が止まる。


 だが、俺の反応が遅れたせいでヒルコの首に微かに刃先が触れて、その赤い血液が短剣を伝って俺の握った手に触れた。


 俺の血と混じり落ちたそれが地面に溢れ落ちる。


「ッ! 水瀬! 回復魔法! 俺にじゃなくてヒルコにだ!」


 慌てて水瀬に頼みながら短剣を捻り上げてヒルコの手から奪って放り投げる。


 手から血がぼとぼととこぼれ落ちるのを無視してヒルコに回復魔法をかけ、首の傷が塞がったのを見てホッと息を吐く。


「……何やってんだよ。マジでさ」

「……おじさんが言ってたの。私が最適だったから。おじさんはうちのダンジョンの裏口を知らないからアマネに会うのも大変だし、ダンジョンの端末の操作方法も知らない。アマネもダンジョンの端末の操作をしてるところを見たことない。もしものときの回復魔法も怪我した本人がかけるよりも別の人がかける方が安全。それに──」


 ヒルコは何も悪びれる様子もなく、効率的で合理的だとばかりに説明していく。


 そして、俺には到底受け入れ難い言葉を口にしたのだった。


「──ヨルくんにとっても、諦めがつくでしょ? 私なら」


 と……。おそらくそれは、ヒルコにとっては何でもないことなのだろう。


 水瀬の策は、水瀬本人が行うのはヒルコが言った通りの不向きで、ダンジョンの中で俺という戦力が消えることはリスクがある。


 だから残りのツナと自分を比べて「自分は大切ではない」……そう見切りをつけた。


 息が荒くなるのを感じる。

 治療し忘れていた手が痛むせいか、それともヒルコの言葉を受けての精神的なものか。


 どちらが正解なのか、自分のことも分からない程度には頭に血がのぼっていた。


「……するな。自分のことを粗末にするのも、大切じゃないと卑下するようなことを言うのも。……もう、するな。しないでくれ」


 ポタリポタリ。血が垂れる。


「……でも、ヨルくん」


 俺の様子を見てだろう。

 ヒルコのいつもの涼しげな表情は崩れて、隠してはいるが狼狽しているような表情で、生来の可愛らしい顔を崩していた。


 それは自分の首を突き刺す前よりも、よほど、遥かに、比べ物にならないほど、うろたえて困惑していた。


 「自分を雑に扱うな」そんな月並みな言葉に、ヒルコの瞳は大きく揺らいでいた。


 まるで信仰が崩れているかのように、そう見えた。

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