第三十八話
夢は睡眠が浅いときに見るものらしい。
高熱で寝苦しく、けれども無理にでも寝て体力を回復させようとしていれば、当然眠りは浅くなる。
単に寝る時間が多く試行回数が多いのもあるだろう。
風邪を引いて見る夢は大抵が悪夢だが、妙に俺の記憶から消されたあの女性のことを見る。
あちらも俺の記憶を消されているだろうし、会ったとしても気づくことはないだろう。
……というか、幼い娘に手を出しているので普通に気まずくて会いたくない。
それに俺やツナが言えた義理ではないが、娘を捨てて神の誘いに乗っているわけで……。
正直なところ、あまり好感は抱けない。
……そういえば、ツナの見立てでは夕長一族の男なら武力で神に選ばれるだろうって話なのに、アメさんはアルバムを見ても何も違和感を覚えていなかった。
それはつまりアルバムの中に見知らぬ人はいなかったということで……。
……「今」から逃げた俺達とは違う。そう思わされる。
現状に不満はないし良い選択をしたと思っているが、当時の俺は逃げていただけだ。
就職が上手くいかなかったから──。
本当に、そうか?
……俺は当時、就職しようと思っていた。不採用ばかりだった
それは事実だが……俺にはあるだろう、人並み外れた運動能力が。
当時は探索者なんて仕事はなかったが、やろうと思えばスポーツでも格闘技でもなんでも、身一つで出来るようなものなら金を稼げることは理解していた。
努力してないのに努力しているものを蹴落とすのは好きではなかったが、そこまでのこだわりがあったわけではないし、事実として今も似たようなことをやっている。
親や友達もいて、別に金に困っているわけではなかった。
じゃあ、俺はなんでダンジョン側の存在になった。怪しげな誘いに乗って、全てを捨ててまで。
理由が思い出せない。……記憶が塗りつぶされているのか?
だとしたら、俺の「理由」は……同じくダンジョン側の人物だったから、その人物の記憶が塗りつぶされたことで思い出せなくなったのだろうか。
「……水、飲むか」
スマホを見るともう夜中だ。熱も少し下がって身体も楽になっている。
キッチンの方に向かってコップに水を注いで口に含む。高熱でかいた汗の分の水分を補給するようにそれを飲み干す。
フラフラと洗面所の方にいき、バシャバシャと顔を洗って頭を少し冷ます。
洗面所に置かれた四つの歯ブラシ、その中の子供用の物を見つめる。
……もし、ツナが言ったみたいにダンジョンが出来る前も恋人で、年齢差の問題で社会におれずダンジョンに駆け落ちしたみたいな感じだったら嫌だなぁ。
流石に二年前のツナは年齢が。……恋人ではなくとも、友達の娘なのだとしたらツナとも知り合いだった可能性もある。
……本当に二年前のツナと駆け落ちしてたらどうしよう。いや、流石にないと思うが。
何にせよ思い出せないのだからどうしようもない。
俺がダンジョン側になった本当の理由も不明だ。もしかしたら普通に就活が嫌だっただけの可能性もあるし、何も分かっていないのと変わらない。
「……平気?」
「うおっ、ヒルコか……。急に現れたな」
「ずっといたよ。気配を断っていただけで」
「家の中で気配を断つな。薬が効いたのか、今はだいぶ楽になった。ありがとう」
いたずらに笑うヒルコを見て、ふと視線を落とすと右手の端が黒くなっていた。
「……勉強してたのか」
「……?」
「ほら右手、シャーペンか鉛筆の跡がついてる。……手伝えなくて悪いな」
ヒルコは恥じるように左手で右手の黒くなった場所を隠し、俺はそれを見て思わず少し笑ってしまう。
「隠さなくてもいいだろ」
「……笑うし。笑ったし」
「悪い悪い。……世界を旅するなら、英語は優先的に覚えた方がいいな。読み書きなら俺も教えられるけど、英会話ならアメさんが話せるかもしれないから頼んでみたらいいんじゃないか? あれで親父さんが英語圏の人だし」
「うん。……あ、お腹空いてるでしょ。なんか作っちゃうね。座ってて」
熱でしんどいので食欲はないが……まぁ、たぶん、俺のために起きていてくれたようだし甘えた方がいいか。
机で待っていると暖かい湯気の香りがして、少ししてからうどんが持ってこられる。
「ありがとう。……ふたりはもう寝てるのか?」
「うん。心配してたから、早く治しなよ」
「仲良くしてたか?」
「……まぁ、心配なのもあってずっとソワソワしてたけど、大丈夫だよ」
ならよかった。
アメさんなら食べ始めて俺が感想を言うまで待っていただろうが、ヒルコはすぐにキッチンの方に戻って調理に使った道具を片付けていく。
なんか気楽な距離感だな。
「……ヒルコはさ、なんで全部を捨てて神の誘いに乗ったんだ?」
「どしたの、急に。……捨てるものがなかったからかな」
「……んなもんか。……なんというかさ、神の誘いに乗る奴は当然ながらそんな感じで、基本的に能力の割に社会的な立場は弱いやつが多くなると思う。……なんで強制じゃなくて、そんなやり方にしたんだろうな」
「……不幸な人を減らしたかったから?」
洗い物をしているヒルコの方を見るが、特に気にした様子も見えない。
……不幸な人を減らしたかった、なんて発想は俺にはなかったな。
「……あ、うどんありがとう。美味いよ」
「結構熱ありそうだけど、味分かるの?」
「鼻詰まっててよく分からない」
ヒルコは少し笑う。
「ありがと。……ふたりほどじゃないけど、私も少しは心配なので、はやく良くなってくださいね」
「ああ。……もう一回寝るけど、ふたりが目を覚ましたら「だいぶ元気になってた」って伝えてほしい」
「ん、了解。でも、私よりも先に起きてきそう」
まぁ、今はもう遅い時間だし、今から寝たら起きるのは昼近くか。
ヒルコは昼夜逆転しているのか、いや……朝は普通に起きていたし……。
「……本当にいいやつだな」
「どうしたの? そろそろ休みなよ?」
「ああ。……おやすみ」
◇◆◇◆◇◆◇
朝、目を覚ますと鼻をずるずるとさせたツナが俺の隣で寝ていた。
……思いっきり、風邪引いとる。
俺もまだ治ってないのに。
「……ツナ。風邪うつるから一緒に寝れないって言ったよな? で、今なにしてるんだ?」
「う、うぅ……。誤解です。昨日の夜、目を覚ましたとき、もう風邪っぽかったんです。だから、もう移ることはないと判断して甘えにきたんです」
「そんなことするから移るんだろ……」
「違います……。風邪の潜伏期間を考えると、既に私はヨルと同時期に感染してました」
ああ、まぁ、そりゃそうか……一日で移ったりはしないか。
「ぬへへ、しんどいですけどラッキーです。こうして引っ付けるので」
「ラッキーではないだろ……」
ツナは顔を赤く上気させて、しんどそうにしながらもぺたりと俺の身体にひっつく。
額に手をやって体温を確かめようとするが、俺も熱があるからか分からない。
ぺたりとした汗の感触。近くに置いていた体温計を取り出してツナに手渡す。
「……むぅ」
ツナはパジャマのボタンを開けて、白い肌を覗かせる。
そのまま俺の方に「んー」と手を伸ばして、言外に「わきに体温計を入れてほしい」とねだる。
白くやわらかそうな肩とわきが見えて、俺は目を逸らす。
「……んー?」
「……自分でやってくれ」
「んー、えへへ、照れてますー?」
「……照れるだろ。そんなの」
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