第三十五話
物を投げるという動作を細分化していくと、まず物を拾うために全体を見るところから始まる。
基本的に剣技は動いているものを注視するが、物を拾うには止まっている物を見る必要がある。
瞳は動かさずに意識の切り替えのみで落ちている物を認識する……それが最低条件。
加えて、物を拾い上げる動作の隙は大きい。物の位置は目で見える範囲しか分からないのだから基本的に前方にあるものを拾うことになる。
……つまり、真正面に相手がいる場合には無力な技術だ。
アメさんとの模擬戦。早速投擲を試してみようという話になって道場の床に物を散らかして見たのはいいが、お互いに拾いにいけるような状況にならない。
刀は握っていないが、隙だらけの相手を蹴り飛ばすぐらいはお互いに容易であり、隙を見せるわけにもいかないのでひたすら見つめ合うという状況になっている。
かれこれ五分近く、完全な硬直により見つめ合っていた。
素手なら勝てるが、それだと模擬戦の趣旨とはズレる。
……まずい、このままだと俺は負けるだろう。
……見つめあっているという現状……かなり神経を張っていないと、アメさんの可愛らしい顔に見惚れてしまって隙を見せまくってしまう。
少しずつ、少しずつ、足の指先の力で動いていき、位置を調整する。
アメさんと俺では、基本的に全ての動作は筋力で上回る俺の方が速い、が、いくつかの例外はある。
ひとつは旋回性能、というか、小回りだ。俺の体重で高速で動いたときとアメさんの体重で同じ速さで動いたときでは大きくエネルギー量が違い、細かく動く分にはアメさんの方が有利だ。
もうひとつは、しゃがみ込む動作。
単純にアメさんの方が背が低く地面に身体が近い分だけ動作が早くなる。
地面に落ちている物を拾って投げる戦い……という、今回の特別なルールにおいて、身体能力の差が幾らか埋まっていた。
故に、同時に地面から物を拾い上げると同時に投げつける。
アメさんが投げた物を俺が手で掴み止め、俺が投げた物をアメさんが掴む。
そしてまたほぼ同時に投げるが、それをまた二人同時に止めて相手に投げ返す。地面に落ちてあるものを追加で拾って投げるがそれも止められて投げ返される。
投げながらもうひとつの手で受け止めてそのまま投げ返す。それを俺とアメさんの二人で行い……。
ジャグリングみたいだな。というかこれだと決着付かないな。
投げるのをやめて掴むのに徹し、全てを掴んだ後に一斉にばら撒くようにそれを投げ──る、必要はないか。
刀がなければアメさんがそれを防ぐ手立てはない。
アメさんもそれが分かってか、どこか嬉しそうに降参のポーズをする。
「むぅ……やっぱり勝てませんね。同じことをしようにも……」
アメさんは手のひらを俺に見せる。
俺の手よりも小さなそれでは、今俺が握っているだけの数の物を持つのは不可能だろう。
「やっぱり手とかも大きさが違いますね。物を投げるのにも違いが出てしまいます」
「まぁ、そこはな。…………アメさん、あんまり自分の体格のことを卑下してないよな。戦うのには不利なのに」
アメさんは少し驚いたように俺を見て、それからコクリと頷く。
「体格はちっこいですけど、他は丈夫なぐらいなので才能が劣っているとは思いません。それに、戦うのは好きですけど、そこまで最強にこだわるというわけでもありませんしね」
「……そんなもんか」
「ヨルさんとか、男の人の強い体に憧れがないというと嘘にはなりますけどね。……でも、そうするとヨルさんに好いてもらいにくかったでしょうし、今が一番です。それよりも、いつもの模擬戦しませんか?」
「……あー、いや、そろそろ夕飯の準備しないと。それにアメさんも今日はもう疲れてるだろ」
アメさんは少し「むー」とした後に「あっ」と声を上げる。
「そうだ。お母さんに、ヨルさんに料理を振る舞うように言われてたんでした」
「あー、いや、料理は割と好きな作業だから気にしなくても……。しばらくしてなかったしな」
「んー、じゃあ、一緒に作りましょうか」
家事なら俺がするんだけどなぁと思いながら頷く。
キッチンに立つと、帰ってきたという実感が強くなる。
……戦うのが嫌いってわけでもないけど、どちらかというと料理の方が好きだ。
まぁ、戦いと違って才能はないが。
料理を作り終えて皿を運んでいると、ノートパソコンを閉じたツナが手伝いにトテトテとやってくる。
「パソコンで何してたんだ?」
「あ、アメさんのお父さんからもらったUSBメモリの中を見てました。ダンジョンコアの研究でしたけど、基本的に解析不能な謎物体なのでほとんど新しい情報はないです。けど……「ダンジョンコアは解析不能なのではなく、解析を阻害されているのだ」という仮説な面白かったですね」
「神を見たダンジョンマスターならではの視点ではあるな。……まぁ、あり得なくはないか」
夕飯を食べて、久しぶりにこの家のベッドで眠る。
明日は竹内くんに連絡やら白銀の城に関してどうやら……と考えているうちに、ゆっくりと眠りに落ちていく。
いつも、いつまでもこうであればいいのに。
そんな俺の願いとは裏腹に、ピンチというものは、いつも唐突に訪れる。
いつも通りベッドで三人で転がって、ゴロリと寝返りを打つ。
俺が動いたことによる隙間を埋めるようにツナがぺたりと俺にひっつき、そのまま俺の身体をキュッと握ろうとした手が、寝ながらのせいか俺の奥にいるアメさんの服を握りしめる。
ツナに服を引っ張られたアメさんは俺の方にピッタリとくっつくことになり、それで眠たげな目をあける。
「んー……えへへ」
アメさんはそのまま甘えるように俺の胸に顔を埋める。……それから数秒後、赤くなった顔をあげて俺の方を見る。
「あ、あの、あ、えっと……あ、当たって……ます」
後ろにいるツナのせいで離れられないアメさんは恥ずかしそうにそう言い、もじもじと体を動かす。
柔らかいアメさんとツナの体の感触のせいで収まるものも収まるわけがなく、それどころか恥ずかしそうなアメさんを見たせいで余計に反応してしまう。
「……」
「……」
暗い中、気まずいと思いながらもアメさんと見つめ合う。
「……こ、これ、その……辛かったり、痛かったりは、しないんですか?」
「ああ、大丈夫だけど……。その、悪い」
「い、いえ……その、中学校の保健体育ぐらいの知識しかないんですけど……。そ、そういう気持ちになっちゃったって、ことなんですか?」
……ピンチである。アメさんはツナの手がなくても逃げるような様子はなく、それどころかキュッと身を寄せるようにひっつく。
「そ、その……や、いやじゃ、ないですよ」
「……知ってる。だから困ってるんだよ……」
ダメだ、このままだとまずい。
俺の弱い理性がこのまま保つわけがない。ベッドから起き上がり、風呂場に行って頭から水を浴びる。
「あ、あの、ご迷惑をおかけしてしまいましたか?」
不安になって追ってきたらしいアメさんが扉越しに俺に尋ねて、少し冷静になった俺は慌てて否定する。
「ああ、いや、ちょっと頭を冷やしたくて……。アメさんに迷惑をかけられるどころか、アメさんに迷惑をかけそうになって」
「ん、んぅ?」
アメさんは扉越しにくぐもった不思議そうな声を出す。
とりあえず、アメさんのことを変な目で見ないように……と頭から水を浴び続ける。
充分に頭が冷えた後、身体を拭いてベッドの方に戻り、アメさんとふたりでもう一度目を閉じる。
よし、なんとか今夜も耐えることが出来た……と、考えた翌朝。
どうにも鼻水が出て、喉が痛い。
朝食の準備をしようと考えてベッドから起きあがろうとして足元がふらついてやっと気がつく。
「……もしかして風邪ひいた?」
と。
……自分で冷水を浴び続けて身体を冷やしたせいという、めちゃくちゃしょうもない理由で。
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