第三十一話

 アメさんの方を見て、なんとなくその頬に手を伸ばす。

 ふにふにとした感触は子供のほっぺたという感じがして気持ちがいい。


 俺の手の方に寄るように頭を傾けたアメさんは、俺が何の意図もなくそれをしていると分かったのかふにゃふにゃと笑う。


「……親父さんに勝てる見込みあるのか?」

「所詮は模擬戦なので、そもそも勝つために挑むわけでもないです。……ダンジョンで編み出したみぞれ流の技と、ここで身に覚えさせた夕長流の教え、片方は若く未熟で、片方は僕の小柄な体格に合っていません」

「厳しいか」

「はい。……ヨルさんが僕なら、お父さんにどう挑みますか?」

「……挑む勇気はないけど、まぁ、そうだな。……なんとかして竹刀を破壊して無理矢理リーチの差を埋めるか」


 格下ならまだしも、同格か格上相手ではリーチの差があればそれだけで封殺される。


 それに男女の差で反射速度もアメさんは劣っており、隙を突いても、その隙を突かれた上でリーチと反射神経で対応されるだろう。


 何はともあれリーチ差がなくならないか、勝らない限りは可能性すらない。……いや、雪の色斬りなら反応も間に合わずに切れるかもしれないが、ダンジョン外で使っていいような技じゃない。


「むぅ、やはり難しいですか」

「別に今、無理に挑む必要もないんじゃないか? もっとあとからでも」

「……いえ、父よりも強くないとヨルさんに「やっぱり親父さんの方をもらっておけばよかった」と思われかねません。お父さんにヨルさんを奪われます」

「俺、親父さんに手を出すと思われてる? まぁ、命の危険があるものでもないから模擬戦はしてもいいと思うけど」

「……はい。挑もうと思います」


 しばらくして三人が起き出して、何故か不思議なことにヤケに疲れているアメさんの親父にアメさんが模擬戦を申し込み、彼は当然というばかりに頷いた。


 軽い朝食と休憩のあと全員で道場に向かい、道着姿の二人が向かい合う。

 合図はなく、動きもないが、すでに戦いは始まっているのだと理解した。


「……どう見ますか?」

「九割六分と言ったところか。本来ならほぼ勝ちはありえないが、今の親父さんは疲労状態にある」

「筋疲労ですか? ダンジョン攻略の」

「いや、どちらかというと虚脱感や脱力感みたいな感じだと思う」

「えっ、なんでですか?」


 純粋に不思議そうなツナはこてりと首を傾げる。


「…………」

「あの……」

「達人には、それが分かるのだ」

「……漫画とかである、なんか相手の体調がわかるやつですね。なるほど」


 なんかツナが納得した。達人でよかったー。


 そんな話をしている間に戦いは始まっていて、案の定アメさんの攻撃は通じていなかった。


 当然ながら筋肉量が多いほどに速く動くことが出来る……が、旋回性能は体の重さに足首などの関節が耐えられないことで落ちる。


 速さでは負けていても小回りや方向転換においてはアメさんが圧倒していた。


「おお! 押してるじゃないですか!」

「……いや、あれじゃダメだな」


 見た目では大きく動いているアメさんが手数で圧倒しているように見えるがその全てを軽々と受け止められていた。


 ……勝ち筋が見えない。

 そう見ているとアメさんの親父はゆっくりと竹刀を降ろす。


「……本当は、剣を教えるつもりはなかった。幼い頃から体が小さく、線はか細い」

「……はい」

「誰でも、一目見れば分かる。アマネに武は向いていないと」

「……はい」

「道場の手伝いをしたいというのは、嬉しく思った。それで俺から技を習うのも。……けれど、少し、ほんの少し、お前が怖い。何故、強さを求める」


 アメさんは荒れた息を整える。それから俺の方を見て、首を横に振った。


「……お父さんは、幽霊が本当にいると聞いてそれを信じられますか?」

「……」

「でも、目で見れば信じられるでしょう。僕にとって、目で見えるものとは、触れられるものとは、金銭ではなく力でした」

「……」

「実感がありません。お金があれば幸せになれると、いい成績を取って、いい学校に入って、いい職業に就いて……そうするべきと、実感が」


 アメさんの雰囲気は変わる。


「力があれば大切なものを守れるという、確信があるのです」

「……愚かだ」

「……はい。分かっています」


 親父さんは模擬戦を終わらせようと竹刀を持ち上げ直す。

 ……これは無理だな。と、俺が考えていると、アメさんが深く息を吸い込み、構えを夕長流のものから見慣れたものに変える。


 みぞれ流の技を使うつもりか? 止めるべきかと判断するが、アメさんは俺の方を見て首を横に振る。


 危険の少ない技……なんて、みぞれ流にあっただろうか、そう思っていると、アメさんの体がその場から掻き消える。


 これは。


「あ、アメさんが消え……」

「ヒルコの技か。だが、あれでは」


 だが、完成度は低くギリギリで影が捉えられる。速さで誤魔化しているが、明らかに未完成だ。


 影さえ捉えられるのならば、十分に反応出来る。

 絶技ではあるが、現状、効果を発揮しているとは言い難い。


 そもそものヒルコも真正面から見えなくするなんて使い方はしていなかった。

 あくまでも土煙の中に紛れるというもので……。


 いや、違う。気配を消す技が本命ではない。


 アメさんが練習をしていた技は、ヒルコの気配を消す技と……俺の威圧……気配を強く出すことでフェイントを仕掛ける技、そのふたつだ。


「──」


 虚と実が入り乱れ、それを速さによって相手へと押し付ける。

 反射神経と運動能力の高さで親父さんは耐える──反撃へと移ろうとした、その瞬間だった。


 アメさんでは腕力差で勝ち目がないはずの鍔迫り合いの形。


 普通ならば隙を突き防御の薄いところを狙うものだが、それとは真逆の相手の竹刀に自分の竹刀をぶつけるような動き。


 本来ならばありえない力押し。だからこそ……それは有効な一手として働いた。


 あらゆる場所に警戒を張っていたからこその意識の隙間。防御を必要としていないからこそ防御を怠っていた、竹刀の正面。


 アメさんの一撃は親父さんの竹刀を押して……親父さんの構えていた竹刀が彼自身の体にぶつかる。


 数秒、時間が止まったような感覚。

 大きく息を切らしているアメさんに、汗ひとつかいていない親父さんが言う。


「……強くなったな。俺の負けだ」

「っ……。ありがとう、ございました」


 薄氷の一本。色々な要因が重なった上の奇跡。

 ……と、言う気にはなれなかった。


 喜んでいるツナと、「仕方ないなぁ」という表情をしているアメさんの母が労いに行くのを見ながら先程の戦いを思い出す。


 どこかツギハギめいた、付け焼き刃の技の数々。……人はそれをきっと成長の過程と呼ぶのだろう。


 アメさんの母はアメさんに困ったような表情を向けてから「アマネ、渡したいものがあります」と口にする。


 それが何を指すのか、俺にも簡単に分かった。


 妖刀【夕薙】。夕長家に伝わる魔の刀だろう。



 と、思いながら家に帰ると、アメさんの母は神妙な表情でアメさんにファッション誌を手渡す。


 表紙には「気になる男子をオトシちゃう今かわコーデ!」なる文言が書かれていた。


 ……妖刀じゃないんだ。


「アマネ。昨夜、実家に置いていた服を持って帰ろうと包んでましたね」

「え、は、はい。せっかく帰ったので、持っていこうかなって……」

「それ、小学校のときのでしょう」

「えっ、でも、まだ着れますし……着ないのはもったいないかなって」


 アメさんの母は、アメさんの肩に手を置いて首を横に振る。


「アマネ……それはね、ダメですよ」

「えっ、でも……」

「……オシャレをしなさいとまでは言わないけど。年頃の女の子がそれでは……ダメです」


 めちゃくちゃ真剣な表情でアメさんの母は言う。

 ……まぁ、うん。アメさんってそういうとこあるよね。


「置いていきなさい」

「えっ、でも……じゃあ、向こうでもお料理したいので、エプロンだけでも……」

「ダメ。アマネのエプロン……ドラゴンのじゃない」


 アメさん……エプロン、ドラゴンだったんだ……。

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