第二十六話

 アメさんの手が俺の手を握り、ふにゃあとゆるみきった笑みを浮かべる。


 俺がまだ起きていることに気がついていないのか、そのままぺたぺたと身体を弄って、頬にキスをしたり、唇を指先でちょんちょんと触ったりと好き放題である。


 …………これ、絶対初犯じゃないな。

 初犯でこの大胆さはないだろう。


 注意した方が……いや、日中はあまり構ってやれてないし、これぐらい好きにさせてやった方が……。


 などと考えている間にも体を弄られる。

 ……これはむしろ起きない方が不自然だろうと考えて目を開けると、ちょうどキスしようとしていたアメさんと目が合う。


「……」

「……」


 アメさんはそのまま狼狽えることもなく俺の唇に唇をくっつけ、離したと思ったら俺が何か言う前に俺のお腹の上に乗っかって俺の肩を抑える。


「……あの、アメさん、俺が起きたらちょっとバツ悪そうにするとかないのか……?」

「嫌ではないって分かってますから」

「それはそうなんだけども」


 廊下の方から微かに漏れる光で、アメさんの頬の赤さが少しだけ分かる。


 よく考えれば、俺がいつも好きな女の子と一緒にいて欲求が溜まっているようにアメさんもそうであっておかしくない。


 特にアメさんの年は思春期も真っ盛りで、どうにも本能的なところに忠実な彼女の性質を思うと、こうされることはある種当然なのかもしれない。


 どうしたらいいかという思考の間にアメさんにちゅっちゅとキスされて、本能が刺激されて思考がまとまらない。


「っ、ぷはっ……。いや、その、アメさん、廊下の灯り見えるし、たぶんまだアメさんのお母さんが起きてるんじゃ……」

「静かにしたら平気ですよ。……だから、静かにしましょうね」


 立場が……立場が逆なのではないだろうか。

 小さな手が俺の頭を撫でて、むふーっと満足そうな笑みを浮かべる。


「……ヨルさん、僕と初めて会った日、覚えてますか?」

「えっ、ああ、まぁ……いつも通りの作業かと思ったらめちゃくちゃ強くてな。あのときはびっくりしたから印象に残ってる」

「やっぱり、覚えてないです。……この近くのダンジョンから溢れたモンスターを倒しに来てましたよね?」

「えっ……ん、あっ、ああっ、そう言えば制服の小さい女の子が……アメさんか、あの子」


 アメさんは珍しく悪戯そうな笑みを浮かべる。


「だから、実はツナちゃんがヨルさんのことを好きになる前に僕の方が好きになってたんですよ?」

「もっと早くに言ってくれたらよかったのに」

「んー、えへへ、せっかくなら独り占めしてしまおうかと」


 なんだそれ、と、笑うとアメさんにこれ以上キスをされないように抱き寄せると、彼女は小さな体を俺に寄せて、心音を聞くように俺の胸に頭を引っ付ける。


「……アメさんにはいつも気苦労をかけるな。色んなところに引っ張って」

「旅行みたいで楽しいですよ?」


 旅行ではないだろ……ああ、まぁアメさん旅行とかしたことなさそうだしな。


「俺に出来ることなら何でも言ってくれよ。少しぐらい返したい」

「こうして実家に来てくれてるのに」

「あー、そういえばそうか。でも……なんか、感覚としてはもらってばっかな気がするんだよな……」


 アメさんは「なんですか、それ」とくすくすと笑う。


「……アメさんのためのことなら苦にならないから、もらってばかりな気がするのかも」

「じゃあ、僕がヨルさんに何かしてもらっても、ヨルさんはずっともらってばかりな気分になるだけです」

「それはそうかも」


 俺が笑うとアメさんも釣られて笑う。


「けど、何かしたいな。もらってばかりで、申し訳ない」

「……。じゃあ」


 アメさんの目は黒目が大きく、まるで動物のようにも見える。こくりと喉を鳴らす姿は獲物を捕食する前の肉食獣を思わせた。


 少し怖く、けれども引き込まれるほど綺麗な瞳だ。


 ──ああ、これは、まずい。

 そう理解しながらアメさんの体を抱きしめて……。


 廊下の方から漏れてくる灯りが少しだけ暗くなったことに気がつく。


 何の気なしに扉の方を見ると、少しだけ開いていた扉の隙間から目がこちらを見ていることに気がつく。


「……」

「……」


 隙間からこちらを見ていたアメさんの母は、こくりと頷く。

 ……頷かないでほしい。


「あの、どうしたんですか? ヨルさん。その、続きを……」

「…………いや、その」

「……僕じゃダメですか?」

「いや、その……アメさんのお母さんが、こっちを見てるので」


 アメさんはバッと俺から離れて、扉の方を見て「わーっ!」と声を上げる。

 そのまま扉の方に向かって、扉を開けてぱしぱしと手で母の腕を叩く。


「な、なに見てるんですか! お母さんのあほー!」

「い、いや、その、アマネが頑張ってるところ見ないとって……ね?」

「見ちゃダメなやつです! 出歯亀なんて最低ですよ! しかも娘の!」


 アメさんの方が一般的なことを言うことってあるんだ。


 急に明るくなったことやアメさん親子が騒いでいるせいでツナがもぞりと体を起こして「何を騒いでるんです」とばかりに二人の方を見る。


「せっかくいい雰囲気だったのに、もう! もう!」

「ごめんごめんって、そんなに怒らなくても」

「怒りますよっ! もう、本当に……」

「でも、お母さんの気持ちも分かってほしいな」

「なんですか、お母さんの気持ちって」

「……娘の恋路を出歯亀するの、めちゃくちゃ面白い」


 純粋に最悪だ。


 アメさんはポコポコと叩く。


「いい雰囲気になってたのに……。一人目が出来てたかもなのに……」

「いや、ツナの横だからな?」

「むう……ちょっとトイレに行ってきます。夜に騒いだらダメですよ」


 ツナは眠たそうにペタペタと歩いていってしまう。


「あ、どうぞどうぞ。続きを」

「……アメさん、寝よう。あと子供は気が早すぎると思う。あまりにも、あまりにも気が早すぎると思う。オリンピックの陸上競技でF-1カーがアクセルベタ踏みして参加してくるぐらい早すぎると思う」

「むう……でも、人生は有限なんですよ。ヨルさんが何人子供が欲しいかによりますけど」

「少なくとも今から頑張らないとダメなぐらいの人数は求めてないです……」


 というか、子供のことなんて一切考えていなかった。


 そりゃ、俺はアメさんを引き込んだ責任があるからいずれはそういう話になってもおかしくないが、まだそんな話をする段階じゃないだろう。


「僕は……関ヶ原の戦いで勝てるぐらい欲しいですね。えへへ」

「今、俺はアメさんに恐怖を抱いています」

「あ、大丈夫です。勝つと言っても西軍の方です」

「ああ、なら大丈夫……とはならないからな? 普通に……普通に、ふたりとか……多くても三人ぐらいじゃないか……?」


 俺がなんとか答えると、アメさんは「考えてくれてるんですね」と照れた様子を見せる。


 っ……これは、交渉のテクニックであるドア・イン・ザ・フェイス……!


 始めに過剰な要求をすることによって、自分の本命の要求を通すという高等な交渉術だ。


 ……いや、そうか? 本当にそうか?

 流石に関ヶ原は過剰すぎない?


「……アメさん、今すぐじゃないからな? せめてもっと何年か経ってからな? そういう計画の話をするのもまだまだ早いからな?」

「はい。分かってます。また帰ってから話しましょうね」

「まぁ分かってるなら……」


 ……あれ、おかしいぞ。


 俺とアメさんはもっと微妙な、恋人と言っても大丈夫なのかも少し不安になるぐらいの関係だったはずなのに、いつのまにか既に夫婦ぐらいの関係になっている。


 どうなっているんだ。

 アメさんの会話術……なのか?


 関ヶ原を持ち出すことにより、結婚ぐらい普通と思わせる、高等なテクニックなのか……?

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