番外編:夕長遍

 ──お前の剣には鬼が宿っている。


 祖父の言葉だ。ついぞ彼が亡くなるまで、その言葉が撤回されることはなかった。


 事実として、僕の剣はおよそ手加減というものを知らない。

 竹刀であろうと人に向かって打てば面を叩き割り人体を破壊するだろう。


 それは技術という物の問題というよりも僕の精神性の問題だ。


 …………たぶん、僕は人を斬りたいのだと思う。

 分かっている、斬ってはいけないと。斬りたくないとも思っている。


 けれども、頭とは違う部分がその攻撃性を強く持っていて、剣を手に取り人に向ける時に姿を現すのだ。


 ……今が現代で良かった。世が世なら、辻斬りとなっていたという確信がある。


 道場の隅で竹刀を振る。

 あるいはこの家の生まれでなければ、剣のことを知らずにいたかもしれない。


 ただ一人の道場の中、隠れるような隅で竹刀を握り続け──ピピピピ、というアラームの音で我に返る。


 学校に行く準備をしなければならない時間だけど、ただぼーっと竹刀を眺めてしまう。


 ……父母の寝室に、真剣がある。夕長の一族に伝わる名刀らしい。

 刃は潰してあるらしいけれども、簡単になら研ぎ方も知っている。


 少し考えてから、深く、深く、息を吐き、もうほんの少しだけ竹刀を振るう。


 シャワーを浴びて、お弁当を詰めて、鞄を持って家の前で待っていると同級生の友達がやってくる。


 元気よく「おはよー!」と挨拶する彼女に「おはようございます」と返すと、彼女は僕のことをじっと見つめる。


「ど、どうしました?」

「ふへへ、相変わらずちっこくてかわいいなぁと思ってね、ほれほれー」


 彼女の手が僕の頬に触れてむにむにといじくりまわす。


「や、やめてくださいよ……」

「うへへ、かわゆいかわゆい。あ、そういえば今日全校集会だって」

「あれ? そうなんですか? 変な時期ですね」

「なんでも剣道部の竹内先輩が全国大会で優勝したとかで。はー、すごいよね、イケメンでしかも強いだなんて」

「はぁ……そうなんですか」


 剣道で全国大会優勝……と、なると、やっぱり強いのだろうか。そんなに強いならと考えて首を横に振る。


「あれ? 剣道場の跡取り娘なのにあんまり興味ない感じ?」


 剣道の道場ではなくて、剣術の……。と思いながら首を横に振る。


「剣道には、あまり興味ないですね」

「えー、もったいない。私がアメの立場なら剣道にかこつけてイケメンをゲットするのに」

「……竹内さん、確かうちの道場に通ってたので来たら話せると思いますよ?」

「えっ、ほんと!? どんな人!?」

「部活終わったあとに来てるみたいなので、ほとんど話したことないですよ。僕も道場のお手伝いはしてますけど、夕方には家の方に戻るので」

「剣道に興味ないのに道場のお手伝いしてるんだ」

「小さい子に教えるぐらいは出来ますから」


 トコトコと二人で歩いて学校に通う。

 僕の人生は、たぶんずっとこんな感じなのかもしれない。


 たぶん高校には進学しないだろうから、道場の手伝いを仕事にしていくのだろう。


 それまでには……この人を斬りたいという欲望も我慢しなくては。


 そう考えながら生活している日、全校集会のときに先生達が混乱した様子で慌ただしく走り回っていた。


 あとで調べてみると世界各地で変な生き物が発生しているらしい。そのため一部の地域が危険なことになっているとかなんとか……。


 後日、ニュースを見ていると迷宮やモンスターなどの、話が連日流れ続けて、まるで世界の終わりかのような話ばかりだった。


 まるで震災が発生したような慌ただしいテレビを見て……思った。思ってしまった。


 モンスターなら、斬ってもいいのではないか? と、ダメだ、ダメだ。そう思いながら日々を過ごして……。


 ついに、限界がきてしまう。

 探索者と呼ばれるモンスターと戦う存在がまるでヒーローのようにテレビで放送されたのだ。


 ずるい。ずるい、ずるいずるいずるい。

 僕は、こんなにも我慢してるのに。


 学校は苦ではない。道場の手伝いも家の手伝いも、貧乏なのも辛くない。


 けれども、今の生活に満足してるはずなのに思うのだ。「斬りたい」と。


 ある日「友達の家に泊まる」と、父母に伝えた。いつも家の前まで来てくれている子だから父母も疑わずにいてくれた。


 中学校が終わり、鞄を持たずに外に出る。


 現在は三時半、お小遣いは先月の母の誕生日に使い切ってしまったので持っていないから電車は使えない。


 一番近場のダンジョンまで歩いて八時間。

 学校は八時に来たらいいから、十一時半に現場に着いて、三十分だけ、三十分だけ……。


 本気で、戦うことが出来る。


 対人戦は父としかしたことがない。だから自分の実力は分からないけど、所詮は女子供でしかない。


 力及ばないかもしれない。けど、けれども……それが命に関わるとしても、戦いをしたいのだ。


 そうして、やっとの思いで辿り着いた戦場。

 ダンジョンと呼ばれる穴から大量に出てくる異形と、それに押されて傷つき倒れていく大人の男の人たち。


 ぞくり、と、背筋に痺れが走る。背負ってきた竹刀を握りしめて、立ち入り禁止を乗り越えてそこに踏み込む。


 ああ、勝てないだろう。こんな同級生よりも小さな体、歩き疲れてクタクタで、おまけにただの竹刀が武器だ。


 馬鹿なことをしている。けど、それでも────。


「なっ!? こ、子供がなんで──」


 驚く大人の人は、銃を構えていたものの負傷しているのか動けない様子だった。


 ごめんなさい、ごめんなさい。けれどもそれでも戦いたいのです。たとえ絶望が待っていたとしても。


 その悲壮と興奮は……次の数秒で消え失せた。

 ただの一振りで巨大な人型のモンスターの身体が吹き飛んだ。


 感触は軽かった。

 僕と同じ程度の体格のモンスターを薙ぎ払い、持っていた剣を奪ってそのまま竹刀と二刀でモンスターの群れを一蹴する。


「……あれ」


 戦った……という、感触はなかった。

 本当に呆気なく、つまらないぐらい簡単にそれは成し遂げられた。


 嘘だろうと思って戦場を進み、歩いてモンスターの多い方へと向かい、獣を斬り、鎧を斬り、竜を斬って、魔物が溢れ出てくる穴の前にまで辿り着く。


 ダンジョンの出現とそこから溢れ出てくるモンスターは世界的な脅威である。と、ニュースで言っていた。


 ……これが? と、思う。

 この程度で? だって、まだ何もしてないのに。


 穴から出てくるモンスターを斬って、斬って、斬って、やっと自分の中の絶望に気がつく。


 幸福のジグソーパズルがある。友達がいること、家族がいること、ご飯を食べられること、学校に行けること。


 ……僕のジグソーパズルに必要なピースはひとつ欠落していた。斬りたいという思いは、埋まらない。


 ……帰ろう。帰って、いつも通りの日常に戻ろう。

 そう考えていたとき、乾いた足音が聞こえた。


 こんなダンジョンの発生源の近くに人がいるはずがないと考えて反射的にそれに向かって剣を振ったその瞬間、グニャリ……と視界が歪んだ。


 妙な浮遊感と歪んだ視界の中、素手の男性が僕の剣を受け流して投げたのだと気がつく。


 モンスターではなく人間。他の武装した人とは違う、まるで近所のコンビニに歩いて行くときのようなラフな格好。


 素手で剣を受け流されたという事実に、あるいはそんなありえない芸当を成した彼に、思わず見惚れてしまった。


 着地や受け身を忘れた体を彼に受け止められる。


「あ……す、すみません! モンスターかと思って!!」

「えっ、ああー、まあ、それは方向性としては間違ってないというか……。怪我はないか?」

「あ、はい」


 ジグソーパズルの欠けていたピースが、カチリとハマったように感じる。


 ……おおよそ武道の立ち姿をしていない素人のようにも見える彼は、けれども隙のひとつもない。


 実体を捉えられない亡霊や伝承の鬼のような、僕の妄想を形にしたようなそんな男性だった。


「ここら辺、危ないぞ。夜も遅いし帰った方がいいぞ」


 まるで不良少女に大人が注意するような言葉。見惚れているとスッと彼は僕をおろし、そのままどこかに歩いていく。


「あ、あの! その、あの!」

「……ん?」


 名前を聞かないと、とか、連絡先を聞けば、とか、色々考えるが、言葉が出てこない。


「ど、どこに行けば、また貴方に会えますか?」

「まぁ……ダンジョンにいるけど」


 彼はそのまま立ち去っていき、僕はただぼーっと彼のことを思いその場に立ち尽くす。


 ……ダンジョンに行けば、また会える。


 また歩いて帰路に着く。予定よりも三十分ほど早く帰れたのでシャワーを浴びてから友達の家にまで行く。


「あれ? アメが迎えに来てくれるなんて珍しいね。というか、目の下の隈すごいけど大丈夫?」

「あ、はは、ちょっと寝てなくて」

「もー、ちゃんと寝ないとダメだよ? あ、そういえば朝のニュース見た? 近くのダンジョンの周辺のモンスターが全滅したんだって、他の国でも手こずってるのに日本の探索者や自衛隊ってすごく強いんだね」

「……あ、はは。そうですね」


 誤魔化すように笑ってから、ダンジョンの前で会った彼のことを思い出す。

 ……ダンジョンに行けば、また会えるかもしれない。


「そんなことよりさ、竹内先輩紹介してよー」

「いや、その紹介と言われても僕も話したことないので……」

「アメは本当に男の子に興味ないよねー。まぁアメにはまだまだ早いか、うりうり」


 友達は僕のほっぺをいつものように触り、僕はされるがままになりながらポツリと呟く。


「……気になる男の人は、います……けど」

「えっ!? アメが!? どんな人? 先輩? 同級生?」


 グイグイと友達は僕に詰め寄り、僕は昨夜会った男の人のことを思い出しながらもじもじと口を開く。


「……その、大人の男の人で」

「わー、アメのそんな表情初めて見た」

「む、むぅ、まぁこんなのは初めてですけど」


 ……少し暴れたからか、それとも憧れる人が出来たからか、たった一夜にして辻斬りをしたいという願望は消えていた。


 代わりに、もう一度あの人に会いたいとか、話したいとか、手合わせをしたいとか、触れてみたいとか、そんな欲望が溢れてくる。


 出会いから少し時間をおいて、中学校を卒業したのち、練武の闘技場という迷宮で再会を果たした。


 ほとんど顔も見れていなかったので、幽鬼や中ボスと呼ばれていた彼とあの夜の男性が結びつくのには少し時間を要したけれど。

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