第三十七話

「……俺はさ、失恋するのが怖いんだ」

「んぅ……?」

「ツナが成長して「ヨルへの好意は恋愛ではなく親愛だった」とか「歳上への憧れだった」と思われたら……どうしたらいいか、分からなくなる」


 ツナは珍しく俺の言っていることがよく分かっていないような表情を浮かべる。


「どうしたらって、どういうことですか?」

「……例えば、俺のせいでツナに小さな傷がついたら、それはたまらなく苦しい。……治らない心の傷や、思い出したくない過去にしてしまうと、俺の小心では耐えられないんだ」

「……私が嫌な想いをするのが嫌ということです?」

「……まぁ、そうなるな」


 ツナから目を逸らしながらそう言うと、ツナの手は俺の手を握る。


「……汗、かいてます。緊張してるんですか?」

「暑いからだ」


 他人の汗なんて不愉快なものだろう。

 ツナは俺の手を触って恋人のように指を絡ませていく。


「……私は、きっと、貴方に傷つけられたいのです。人は人と関わると傷つくものですし、関わらないと関わらないで寂しかったりで傷つきます。……なら、私はヨルに傷つけられるのが、一等嬉しいんです」


 ツナは俺の人差し指をつまみ、その爪を自分の皮膚に押し当てて爪の跡を肌に刻む。


「この人に傷を付けられるなら。と、甘く想うことを、私は恋と呼ぼうと思っています」


 ツナの目は俺を見つめる。


「私は貴方に恋をしてます。……それは、誰にも否定させません、未来の私だろうとです。……ヨルは、どうですか?」


 ゆっくりと手を引かれて路地の裏に入り込む。足音や車の音が表から聞こえるなか、ツナに握られた人差し指が持ち上げられて、小さな唇にちゅっと触れる。


 子供らしい小さな口に俺の指が含まれて、まるで飴を受け入れるようにチロリチロリと濡れた舌先が俺の指を舐める。


 甘い痺れが指先から腕を伝って、背筋に電流のように走る。思わず腰を引いてしまいそうになっていると、ちゅぷりとツナの口が動く。


 それから小さな歯が指の第二関節を甘噛みし、歯が骨にずらされて内側に入り込む。

 それから俺の指の柔らかい肉に力が入れられて、少しの痛みの後に離される。


 口から離れた俺の指先はツナの唾液で濡れて、噛まれたところは小さな跡がついていた。


 ぞくり、と、妙な快感が背筋から首を伝う。


「……いやでした?」


 こてりと首を傾げるツナは子供っぽくて、何も分かってないように見える。


「いや、うん、嫌じゃない」

「……だから、私のことも傷つけてください」

「……ああ」


 連れ込まれた路地裏。小さな身体を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめる。


 ちいさくてかわいい。暖かくて愛おしい。


 ツナの望む通りにしてやりたいと思うのは、本当にそう思っているのだろうか。それとも、俺自身の欲望をツナを言い訳にして表に出そうとしているだけか。


 うじうじとした悩みのなか、ツナに言う。


「……少しずつな。恋人らしいことは」

「はい。……でも、もう一緒に寝たりしてるので、ヨルが避けてることもすぐそこですよ?」

「……それは、まぁ、はい」

「うへへ、でも、デートも楽しみになってきました。ダンジョンマスターになる前もあんまりお出かけはしてなかったので。ヨルの好きなところに行きたいです」

「俺の好きなところ……か」


 路地で抱きしめたまま少し考える。


「あー……ダンジョンの方についたら「縁」が切れるという話を神からされたよな」

「あ、はい。家族のこととかを思い出しにくくなるみたいな。捜索とかされなくなるみたいな、そんな便利機能でしたよね?」

「便利機能……というか、呪いじみたもので、俺からもあちらからも興味や関心を抱きにくくなる。元々子供で繋がりが家族ぐらいしかなかったツナには分かりにくいかもしれないけど。家族や友人、同級生や……その学校や土地。どうにも希薄になっていて。好きな場所とか思い出しにくい」

「むう……? そういうものですか」

「あと、今の俺と学生の頃の俺はだいぶ違うぞ。性格とかも」

「そうなんですか?」


 そりゃ……と思いながら路地裏から出て街を歩く。


「ツナと同級生だったらよかったのに、と何度か思ったことがあるけど、同級生だったら俺の片想いだったろうな……」

「そんなことはないと思いますけど」

「……割とアホ寄りだったからなぁ」

「でも、同級生でも私のことを好きになる想定なんですね」

「……いいだろ別に、そこは」


 ツナは機嫌良さそうに俺の手を引っ張る。


「ヨルは運動神経抜群ですし、やっぱり部活動で大会とか行ってたんですか?」

「いや、運動部には入ったことないな」

「……勝っちゃうからですか?」

「……いや、チーム戦なら勝つとも限らないし、単にやる気がなかっただけ」

「個人競技なら負けないと」

「……意地悪なことを言うな」

「ぬへへ。それで、どこに行きます?」

「あー、何が好きだっけな。ダンジョン側の人間になってから趣味も捨てちゃったからな……。あー、コンビニでお菓子を買い込んで、ネットで映画とかよく見てたな」


 ツナは少し考えた表情を浮かべてからクスリと笑う。


「今とそんなに変わらないです」

「ホラーとか好きだったな」

「ホラーですか意外……あ、自分でも勝てないかもしれない心霊という敵対者を欲していたんですか?」

「そんなバーサーカーではないです」

「じゃあ、そこのコンビニで何か買って、帰って見ましょうか」


 ツナと二人でお菓子とジュースを買い込んでからダンジョンに帰る。


 パソコンで映画を見る用意をしているとアメさんとヒルコがやってくる。どうやらやることがなくて退屈していたらしい。


「んー、四人だとパソコンの画面小さいですね。どうしましょう。DPで大きいモニターを出すか……」

「私のダンジョンではありましたよ。大型モニター。何人か呼んで説明するときに使うと便利と」

「……まぁ、人数も増えましたし、アリですね。……ヒルコさんのダンジョンについてまた聞かせてもらってもいいですか? うちのダンジョンよりも上手くやっていたみたいなので、参考に出来るならしたいです」


 そう言いながらツナはかなり大きな普通の電気屋では売っていないぐらいのモニターを出してコードを繋げていく。


 ……止める間もなく出してしまったな。狭いリビングに対して大きすぎて圧迫感がある。……後で別の部屋に持って行こう。


 ツナは大きなモニターを見ながら俺の膝の上に座り、アメさんはホラー映画と気づいたらそそくさと逃げていく。


「ヒルコはホラーとか大丈夫なのか?」

「観たことないですね。まぁ、平気でしょう。闇の暗殺者もホラーと同属性ですし」

「タイプ相性みたいなのあるんだ」


 ポップコーンを開けて、コップにコーラを注いでモニターを見る。


「……あの、これ、観てるときに喋ってもいいですか?」

「映画館でもないんだし大丈夫だろ。どうした?」

「いえ、不気味な雰囲気なので、ちょっと怖いなって」


 まだ始まったばかりで日常的なシーンなのに、ツナはぴくりぴくりと反応して俺の手を握っていた。


 ヒルコの方を見ると、俺が買ってきたお菓子に気にいるものがなかったのか戸棚からお菓子を取ってきてから俺の隣にペタリと座った。


「……ヒルコさんは、ヨルのこと好きじゃないですよね」

「……? あ、うん」

「なら良しです。あ、怖くなったときはヨルではなく私を触るように」

「うん、分かった。……ツナさんは……いや、ごめんなさい。なんでもないです」


 ツナは不思議そうにヒルコの方を見るが、映画の最中だからか、聞くようなことはせずに視線を画面の方に目を向け直す。


 ……ヒルコの心のことも考えないとな。あまり暇すぎると思い出して辛いだろうし、好きそうな娯楽とか探すか。

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