第二十八話

 階段の終わりが見えて、ゆっくりと息を吐く。

 冷えて白くなった息は時間をかけて空気の中に溶けていく。


「……結城さん」

「気配があるのか?」

「はい。作戦……と言えるレベルでもないのですが、いいですか?」


 ヒルコは足を止める。


「おそらく、黒木とは最低で二度戦うことになります」

「……ダンジョンコアを取られない限りは死なないからな。一度倒してもすぐに復帰してくるのは間違いないか」


 一度戦って退けたあと、復帰してくるまでの間にダンジョンを攻略し、その後また戦う……か、まぁそうなりそうではあるか。


「そこで提案……というほどでもありませんが、私を信じてくれませんか。私は貴方を信じるので」

「意味が分からない。が、分かった」


 ヒルコの言葉に俺が頷くと、何故か提案したヒルコの方が驚いたような表情を浮かべる。


「い、いいんですか?」

「聞かれている可能性がある以上、詳しく話すのも悪手だろ。それにあったばかりの連携なんて、互いがやれることを擦り合わせる時間もない。「ヒルコは優秀で俺を裏切らない」それだけの情報で充分だ」


 基本アドリブで行けるだろう。そう思いながら階段を降りると……少し、寒さが和らいだ。


 目に見える範囲に冷気を放つ草がない。


「暖かい……というほどでもないですが」

「……居住エリアが近いからだろうな。寒いのは嫌だろうし」


 緩衝地帯とでも言うのだろうか。

 明らかに今までの階層とは毛色が違う。暗い草原ではあるが、気温は氷点下にいくかいかないか程度。

 寒いことには寒いが……冬の夜ならこんなものぐらいの気温だ。


 そんな中、地面に落ちていた紙が光り、紙からパチパチと拍手の音が響く。


『やあ、やあ、よくここまできたね』

「黒木! お前──!」


 以前にうちのダンジョンに届いたものと同じ、通信用の魔道具。

 ヒルコの顔は憎悪に染まり、今にも噛みつきそうな表情をしていた。


 落ち着けと言っても落ち着けるようなものではないだろう。


『君たちは……子供のパシリと、マヌケの女か。はは、よくここまで辿り着けたね』

「っ! 殺してやる! 殺してやるぞ!!」


 ホログラムに短剣を突きつけるヒルコを見て、ダンジョンマスターはヘラヘラと笑う。


「よくも、あんな卑怯な騙し討ちを!!」

『ははは、いやー、面白かったね、自分が騙されてると気づいたときのアイツの顔は。録画してなかったのを今でも後悔してしまうよ。女子供みたいにピーピー泣いて「ヒルコだけは……」なんてさ』


 ……ああ、ダメだな。今の俺は冷静じゃない。刀を紙に突き刺して無理矢理消す。

 情報を得られるかもしれない機会だったのに、感情的になって切ってしまった。


 待ち構えていたのだろう。生態系などを考えていない規模のモンスターが現れる。


 ……慰めの言葉のひとつでもかける時間すら用意するつもりがないらしい。


 斬る。近くにいたモンスターから順に、目に入った順に斬り捨てて進む。


 頭の中は酷く冷静なのに、身体は思考を無視して暴れるように不必要な威力の斬撃を放つ。


 過剰な威力の斬撃。普段は「疲れるだけ」と斜に構えてしたことのなかった「全力の斬撃」は、自分でも驚くほど、強烈なものだった。


 斬って斬って突き進む。

 上方から俺を叩き潰そうとする巨大な手が振り下ろされ──。


「【名喰いの偽典ロ・グリモワール】・天羽々斬アメノハバキリ


 それが真っ二つに斬り裂かれる。


 避けた方がいいに決まっている。そんなことは分かっているのにわざわざ迎え撃ったのは……絶望を与えたいからだ。


 消費が大きすぎる馬鹿げた奥の手であろうと、俺の方が強いと理解させる。


 ……普段は力を奮って人を怯えさせるようなことは好まないが……ああ、きっと、俺はキレているのだろう。


 何故だ? 自分とヒルコを重ねたのか? それともヒルコの言う「あの人」とか?



 ……冷静に分析など出来ない。ただ、分かるのは、あのヘラヘラとした顔をぶん殴らなければ気が済まないということだ。


「……進もう、ヒルコ」

「……はい」




 ◇◆◇◆◇◆◇



 昔の記憶。海の匂い。

 いつも学校では眠っていて、夜は街を歩いていた。


 母親の彼氏が家にいて、ベタベタと触ろうとしてくるから出来る限り、家にはいたくない。


 ……自分が不幸とは思ってはいない。


 母親は私よりも彼氏が大切と思っていることや、私が夜にふらついていても気にしないことは分かっていた。


 でも、大切にされないのはされないので心地が良い。

 好きに歩けて、好きに生きれるのは、それはそれで心地がいい。


 公園のベンチで、コンビニで買ったポテトを摘んでいるそのときだった。


 公園の街灯の灯りがぐにゃりと歪む。光が歪むという信じられない光景に目を丸くしていると光はそのまま人の形を取って、てくてくと私の方に歩いてくる。


 そして、光のシルエットが口を開く


「やあ、特別な人。僕は神様なんだけどさ」

「……へ?」


 意味が分からなかった。けれども「それ」が超常の存在であることや、ここから抜け出すことが出来るということは分かったので、特に何もか考えずに頷いたのだ。


 昔の記憶。海の匂い。


 そうしてダンジョンに関わることになって出会ったのは……。


「フハハハ! 我は闇の支配者! ダークルーラーだ!」


 紛れもなく、アホだった。

 二十歳そこそこの男の人で、意味もなく高笑いをして楽しそうに落ち着きなく動き回る。


 幸い……というか、私の嫌がることをするような人ではなかったため、環境は今までよりもいいものになっていた。


「して、闇の暗殺者よ。名前はなんだ」

「……お互い、無駄に干渉しないという約束でしたよね。名前は忘れました」

「ふむ、妙なことを言う。名前程度の話だろう。まさか、記憶喪失で名前を覚えていないというわけでもないだろうに」


 闇の支配者は不思議そうな表情を浮かべる。


「……まぁ、何か思うところがあるのだろうな。……ふむ、海の迷宮に流れついた漂流者か。……よし、ヒルコと呼ぼう」

「……ヒルコ?」

「一度海に流されて死に、流れ着いた先で幸運の神となったものだ。他所では冷遇されたのかもしれないが、我に取っては幸運の神だ、そういう意味でヒルコと呼ぼう」

「……嫌ですけど」

「なら名前を名乗れ。名乗らないならお前は今日から、高橋ヒルコだ」

「……高橋?」

「我の家名だ」

「へー。……へ? ひゃあ!? そ、そそ、それはいったい!?」


 私が大慌てで慌てると、彼は冷静ぶって頷く。


「苗字がないと不便だろう。この世の王の名だ。ありがたく受け取れ」

「……いりません。絶対に名乗りませんから」

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