第九話

「……」


 バスローブを抑えながらスッと目を細めた女性はアメの顔を見て「少なくとも全くの嘘を吐いていない」と判断を下す。


 いや、俺たちが嘘を吐いているかいないか以上に、唐突に王手がかかったため信じるというか話を聞かなければならない状況ということだろう。


 こちらは武装済みの二人組で、相手は裸にバスローブを羽織っただけで武器すら持っていないので話し合いをしようというのは当然の判断だろう。


 警戒の様子を隠すように軽く微笑み、それからぴちゃんと足を湯につけて、バスローブを少したくし上げながら足湯のようにして座る。


 ……ハッタリの強がりだな。だが、この状況でハッタリをかませるのは……なかなかやる。


「……それで、たまたま迷い込んだって?」

「ああ。……その様子だとわざと繋いだって感じじゃなさそうだな」

「そりゃ、あんなおっかない人に自分から関わったりしないよ。……えっ、というか、攻められてるの? 今?」

「いや、迷い込んだだけだから具体的なことは分からないけど、多分違うな。第三のダンジョンが共倒れを狙ってくっつけた可能性が高そうに思える」


 女性は少し考える素振りを見せて、それから俺とアメにも座るように目で伝えてくる。


 足湯はせずにその場に座るとアメもおずおずとした様子で座った。


「いやー、それにしても、知らない人と話すのは久しぶりだー。ちょっとテンション上がるね」


 女性はぱちゃぱちゃとお湯を蹴りながら笑う。


「裸を見られちゃったのは恥ずかしいけどね。あ、名乗るのが遅れたね。私はここ【ゴブの湯】のダンジョンマスターの弓削みなもだよ」

「ああ、結城ヨルだ。悪いな」

「え、えっと、夕長アマネです」

「ヨルくんとアマネちゃんね。よろしくね。これも何かの縁だしさ」


 警戒を解いてるフリが露骨すぎるな。いや、まぁ普通に警戒されるよりかはやりやすいし、アメはすっかり騙されて「いい人だー」みたいな顔をしているので効果はあるのだろうが。


「あ、そ、そういえば、勢い余って撮っちゃってたので消さないと。えっと、えっと……ど、どうしたら消せるんですか?」

「えっ、撮っ……? えっ!?」

「す、すみません。風景を撮ろうとしてたんですっ。すぐに消しますから」


 二人してパタパタ慌ててるのを見ていると、アメはワタワタしながらスマホを操作する。


「えっ、こ、これ、どうやったら消せるんですか? よ、ヨルさん、やってください」

「いや、俺に渡したら一番ダメなやつだろ」

「うわわわわ!? 男の人に見せないで!?」

「ほら…… 俺のでやり方を教えるから。ここのところを押したらゴミ箱に入るから、ゴミ箱の方からもう一回削除したらいい」

「……な、なるほど?」


 ワタワタしている弓削を見ながら周りを見回す。


「……俺のとこのダンジョンをアホのダンジョンって言ってたけど【ゴブの湯】の方がアホ感あるよな。なんだよゴブの湯って」

「あ、言ったな。言っちゃいけないことを言ったな。ダンジョンのテーマとか名前はこっちで決められないんだから仕方ないじゃないかっ!」

「……いや、でもアホっぽいよ。ゴブの湯」

「こっちも好きでゴブの湯をやってるんじゃないんだ!」


 というか【ゴブの湯】って何……?


 まぁ、おそらく温泉地をテーマにしたダンジョンで、ゴブの部分はゴブリンのことだろう。


 ……ゴブリンがいっぱい浸かってるのかな。居住エリアでこの広さとなると……確かに持っている熱量は凄まじいものがありそうだ。


 アメは小さく首を傾げて弓削を見る。


「……大丈夫なんですか? その、極夜の草原の主の人、すごく乱暴な人ってツナちゃんから聞いたんですけど」


 裏表なく心配するアメの言葉に弓削はぽりぽりと頰をかく。


「……んー、ちょっとまずいかも。今までは相性の問題で攻められることはなかったけど……わざわざ繋げてきたってことは……」


 弓削はそう言いながらも慌てた様子は見せない。

 信じていないのか、策があるのか、開き直っているのか。


 ……迷う状況だ。予定通りにいけば弓削みなもを守る形になるが、余波がいかないとも限らない。


 例えばゴブ蔵に追い返された紅蓮の旅団を筆頭にした攻略組が、このまま解散するわけにはいかないから近くのダンジョンを攻略するということにならないという保証もない。


 だが……だからと言って、そもそもがルール上の敵同士だ、守ってやる義理もない。

 余計なことをせずにさっさとツナの元に帰りたいというのが本音だ。


 ……後味は悪いよな。見捨てる理由でもあれば別だけど。


 俺がそう考えていると、弓削はパンパンと自分の頰を叩く。


「よし!」

「えっ、ど、どうした?」

「警戒おわりっ! 敵だったらどの道勝ち目がないんだから、開き直って仲良くするしかない!」

「お、おう……」

「じゃあ、こんなところもなんだし、部屋まで行こうか」


 ぱちゃっとお湯から脚を上げた弓削は少し離れたところにある温泉旅館風の建物をピシッと指差す。


「あそこに住んでるの」

「わわ、すごい立派なお宿です! すごいです!」

「ふへへ、温泉旅館を参考にして……まあ、従業員はいないからそれっぽいってだけだけどね」

「でも一面、自分だけの露天風呂に大きな旅館ってすごいです」


 ……湿気とかすごそうだなぁと言っていいのだろうか。


「自分だけってことはないんじゃないか。一応、副官はいるだろ。……呼ばないのか?」

「あ、うん。いるんだけど……今はデイサービスに行ってるから」

「……デイサービスに行ってるんだ」


 まぁ……ツナみたいな子供もいるんだから年配の人がいてもおかしくないだろう。


「あ、ちょっと待って、ほら、ここに……おっと」


 旅館に入る前に、弓削は岩の隙間にあった網を引き上げて卵を取り出す。


「も、もしかしてそれは……」

「そう、温泉卵だよ!」

「お、おお!? いただいていいんですか!?」


 アメ、こういうところ好きなのかな。ずっとテンション高いけど。


「もちろん。これを肴に温泉に浸かりながらお酒をくいっと飲むのが最高なんだよね。あ、アマネさんは子供だからフルーツ牛乳とかでいい?」

「えっ、いただいていたんですか? ふへへ……。あ、でも……その、ヨルさんのいるところでお風呂は……」

「バスタオル巻いてても大丈夫だよ。私しか入らないし、すぐに流れていくし」

「バスタオル巻いてても恥ずかしいですよ……」

「いや、無理に一緒に入る必要はないだろ。あと、着替えとかないんだし今は遠慮しておいた方がいい」


 油断して温泉に入ったところをモンスターに囲まれましたみたいになったら面倒だしな。


「ん……温泉……。はい、そうですよね、諦めます」

「……まぁ、また連れていくから」


 そう言いながら室内に入ると、内装も温泉旅館風の落ち着いた雰囲気ながらも綺麗なものだった。

 人がいないため広さが少し寂しいが、ここを独り占めというのは確かに贅沢だ。


「おおー」

「いいでしょ。うちのダンジョン、色々と嫌だけど温泉がほとんど無料でいくらでも湧かせられるし、こういう温泉グッズみたいなのも格安なんだ」

「へー、そういうのがあるんですね。僕たちのダンジョンでもそういうのってあるんですか?」

「空間を広げるのとか罠が割高で、代わりにモンスターが安いな。あと石畳とかほぼ無料だ」

「色々あるんですねー」


 とアメは言いつつも目は温泉卵を追っている。

 結構食い意地張ってるよな、この子。


 俺としてはバスローブだけの女性が近くにいるとあんまり落ち着かないんだが……と思っていると、弓削は廊下をパタパタと走っておまんじゅうを持って戻ってくる。


「これもあげるよ。ちょっと着替えてくるからこの部屋で待ってて」

「あ、はい。えっと、ちょっと服とか汚れてますけど……」

「いいよいいよ。それぐらい自動で掃除させられるから。あ、もし良かったら着替え貸そうか? 浴衣だけど」


 いたれりつくせりだな……。まぁ、流石にこちらも警戒を解くわけにはいかないから着替えたりは出来ないが。


「えっいいんですか?」

「もちろんだよ!」

「ありがとうございます!」


 ……アメさん。

 ……本当に警戒心薄いな。


「結城くんもいる? 温泉入るでしょ?」

「……」


 冷静に考えて断るしかないが……。このバカみたいな広さの温泉、普通に入ってみたいとは思う。


 迷った末に首を横に振る。


「いや、とりあえず今はやめとく。話をしてからにしよう」

「あ、それはそうだね。じゃあ、ちょっと話そうか」


 そう言って旅館の一室に三人で座り、ゆっくりと話し始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る