第306話 それは確殺と言う名のオーバーキル

 ユーヘイ達がイージークエストからグランドクエストという、見た事も聞いた事もない状況に困惑しつつも、ゲーマー気質で立ち向かおうとしていた頃――


「ちょっと! 何で生活費が出ないのよ!」

『……はぁ……この間までは別居だった。その間は生活費を支払う義務があったのは認める。だが、もうお前とは離婚が成立した。だからお前に支払う生活費というのは無いし、お前から催促することは法律的にも出来ない。これは弁護士を通じて、しっかりとお前に説明したはずだが?』

「知らないわよ! 何で私が苦労しなければならないの! 貴方の勝手な理由で勝手に離婚させられたのよ! 然るべき誠意を見せなさいよ!」

『……はぁ……』


 かつては豪華な一室だったリビングは、その面影をすっかり消し、大量に溢れた生ゴミが詰め込まれた袋に占領され、とんでもない悪臭を発生させている。そのゴミ屋敷とでも言うべき場所で、わずかに残されたスペースに座り込む、中年の女性がメキメキに画面の割れた携帯端末に向かって吠えていた。


『もう電話をしてくるな。お前とは赤の他人だ。もう十分、私は罪を償った。お前に関わる事はもう無い。子供達もお前とは会いたくないと言ってる。もう良いか? 切るからな』

「待ちなさいよ! 貴方が私を大介から奪ったんでしょ!? その責任を果たしなさいよっ!」

『……お前が大介を真っ先に切って捨てたの間違いだろ? 俺の最大の過ちは、親友だった大介を裏切った事だよ。その償いは子供達が成人した事で終わったと思ってる。大介にもちゃんと謝ったよ。アイツは相変わらず良い男で、朗らかに笑って気にしてないなんて言ってくれたがね』

「ちょっ! 大介はどこにいるのよ?!」

『教える訳ないだろうバカか? もう切るぞ。番号もブロックするからもう二度と関わる事もないがな』

「待ちなさい! ちょっ?!」


 相手が電話を切った音がし、虚しくプープープーと音が鳴り響く。


「切りやがった! 畜生っ!」


 女性は般若のような表情を浮かべ、端末に登録されている元旦那の番号を選択し、再びコールする。


「あああああああああああっ! 繋がらない! アイツ本当にブロックしやがったっ!」


 女性はまるで手に入らないおもちゃを強請る子供のように、ダンダンと床を蹴り叩き、端末に登録されている子供の番号へコールするが、どの番号も通じない。


「子供達まで私の番号をブロックしてるって事っ?! 何でっ!?」


 彼女はユーヘイの中の人、大介の幼馴染であり、大介が一番最初に彼女にした人物だ。


 強面の大介を勝手に哀れみ、同情から交際に発展したのだが、その後、大介が連れてきた親友である男性(イケメン、良家のボンボン)の方が良物件と判断し、さっくり大介を捨ててその親友に乗り換えた。


 これだけなら女性の性格が最悪だが、世間的にもありふれた失恋で終わった話だろう。だがその後に、この女性は散々大介を貶めるような事をし、大介のそれからの人生で何度か襲われる女性不信を植え付けた最初の女でもある。


「どうして上手くいかないのっ!?」


 大介の事があって、実家からは絶縁されていたが、それでも若い頃はルックスと抜群のスタイルで、面白いように若い男を手玉に取れた。元旦那は見て見ぬ振りをしてくれていたし、好きなだけ面白いように遊べた。全てが自分の思い通りに進められた。


 だが、子供が生まれてからは全てが上手く回らなくなる。


 まず、一人目の妊娠から出産で大きくスタイルが崩れた。また、産後肥立ちが悪く、外見が思いっきり老けた。その事で八つ当たり気味に元旦那との行為で発散してたのだが、異様に妊娠する率が高く、二回もすれば妊娠が発覚し、最後の子供に至っては一撃必殺であった。結果として六人もの子供を出産する事となった。


 子供を産めば産むほど、自分の美貌は失われていき、男達を魅了してきた肉体も醜く膨れ上がった。それもこれも彼女自身が、自分を思いっきり甘やかした結果でしかないし、何ならその後に自分でフィットネスやらジムやらで頑張れば、元通りとまでは行かないかもしれないが、それなりのレベルまでは持ち直せたのだが、自分の降りかかる全てを他責し、自責しなかった結果でしかない。


「これもあれも全部大介のせいよ……アイツが全ての元凶に違いないわ……」


 黒い何かが挟まった親指の爪を、思いっきりガリガリかじり、狂ったように床を端末で擦る。


「アイツよ、アイツが悪い。そうよ、私がこんな惨めな事になったのも、全部全部全部全部大介が悪いのよ」


 ブツブツと怨念を吐き出すように、出会った当時の姿のままなイメージの大介を思い浮かべて、呪うように呟き続ける。


 彼女は人生で自分の思い通りにならなかった時、必ずこうして大介に向かって呪詛を吐く。それはこうする事でわずかながらではあるが、成功した体験から来ている。だが、相手を呪うという行為は、どんな形であれ悪影響を及ぼす。


 彼女が吐き出し続けた呪詛は、長い間蓄積し熟成され、ヘドロのような禍々しい生霊となって大介にすがりついている。それは大介の人生に少なくない影響を与え、大介が日常的に不運体質と言うか不遇体質と言うか、他人よりアンラッキーな事が多いのは、この生霊の影響が強い。


「全部大介のせいよ、大介が悪いのよ、私は悪くない、私は悪くない、私が一方的な被害者なのよ」

「本当に?」

「っ!?」


 床をジッと見つめ、いつものように大介に向かって呪詛を吐き出していると、ごく至近距離の耳元で囁くように声がした。


 女性は驚いて、バッと逃げ、ゴミの山にめり込みながら声がした方を見る。


「はぁーい」


 そこには白面に糸のような目、きらびやかな稲穂のような豊かな長髪をした美女が、まるで長年の親友に挨拶でもするような気安さで、女性に手を振っていた。


「貴女の思っている貴女が上手く行かない部分は、ほとんど貴女の責任よ? 残念ながら大介君には一切関係ないわ」

「っ!? アンタ誰っ!?」

「うふふふふふふふ」


 こんなゴミの中にあって、全ての穢れを寄せ付けない、清冽な気配を放ち、全くの人間味を感じさせない美女は、仮面のような美しい笑顔を貼り付けて、コロコロと鈴の音ように笑う。


「全部ぜぇーんぶ、貴女の日頃の行いの結果でしかないのよ? 元旦那さんの責任でもなければ、貴女の美貌を奪ったと信じているお子さん達の責任でもないし、もちろん貴女が一方的に裏切った大介君の責任でもないの。そろそろ大人になったらいかがかしら?」


 ニコニコと嘘っぽい笑顔で美女は淡々と女性の心を追い詰める。


「違う! 全部全部大介が悪いに決まってる!」


 だが女性は眦を上げ、目を血走り、口から白い唾を吐き出しながら吠えた。


「そう、残念ね。ここで自責の念を思い出し、心を入れ替えて、反省しながら人生をやり直す決意をしてくれれば良かったのだけど」


 美女は細長い顎先に指を添えながら、困ったように微笑み、『コン』と小さく呟いた。


「は、ぇ?」


 瞬間、女性は自分の何かが消滅した消失感に襲われ、それまで体にみなぎっていた負の力がごっそりと無くなったのに気付きつつ、へなへなと腰が抜けたように座り込む。


「残念ね、本当に残念。ワタシには呪い返しの力は無くてね、悪縁を切る事しか出来ないの。本当は大介君をあそこまで拗らせた貴女に、それなりの報復をしたいと思っていたんだけど、ワタシではちょっと力不足なの。だから、安心して? ちゃんとエキスパートを呼んできたから」


 自分の根幹に関わる何かを喪い、美女が言っている事が耳に入ってこない状態だったが、それでも女性は何かとんでもない事が自分の身に襲いかかっている事を、今になって悟る。


「じゃ、お願いね?」

「心得た」


 美女が女性の後ろに向かってウィンクをすれば、地の底から轟いてくるような陰鬱な声が聞こえてきた。


「大願成就とうそぶき、己の怨念を相手になすりつける……いつの時代も、人の業というのは愚かで救いようがない」


 周囲のゴミ袋が腐り落ち、そこから大量の毒蟲が湯水のように溢れ出す。部屋の温度がドンドンと下がって行き、臭気が瘴気に変換されていく。


 女性は恐怖に震えながらも、背後にいるだろう人物を見ようと首をよじる。


「っ!?」


 そこにいたのは落ち武者のようなざんばら頭に、ランランと輝く巨大な双眸、半三日月型に開いた口からは、真っ黒な瘴気を吐き出す化物のような男性だった。


「お前の中途半端な呪詛を、にして返してくれよう。己が吐き出した恨み辛みを噛み締めて生きよ」

「っ?! ぎっ!? ぎゃあああああああああああああああああっ!?」


 男性の青白い指先が女性の額に、ちょん、と触れた。その指先から、何かとてつもない冷たい何かが流れ込み、それは体の中心へスルリと潜り込んだ。そして次の瞬間、心臓をむちゃくちゃにする何かが暴れ出した。


「しっかり受け止めよ。なぁに、お前が大介に及ぼした影響の、ほんの四分の一程度の痛みだ、大した事あるまい?」


 ぐっぐっぐっぐっ、とくぐもった笑い声はもう女性には聞こえない。彼女は体の中で暴れる、自分自身が吐き出した呪いに翻弄されるがまま、ただひたすらに体を床に叩きつける。


「あと二人?」

「しかり」

「何だってこんな地雷を踏むのかしらね?」

「大当たりを今引いている」

「そうね、あの子には頑張ってもらいたいわ」

「うむ」


 無感動に女性の姿を見下ろす二人は、淡々と会話を交わしながら、やれやれと肩を竦めて姿を消したのだった。

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