第301話 胎動 ①
あ、これは夢だ。大田 ユーヘイの中の人、
それは現在の会社に勤める前、そこそこ規模の大きな会社で、それなりの地位でそれなりの仕事を任されていた頃の記憶。
「あ、大介さん。お疲れ様です」
夢の中の出来事だが、その女性が出てきただけで動悸と息切れ、壮絶な不快感を覚える。だが夢の中の自分は、それは嬉しそうに笑って会話を続ける。
当たり前だ。彼女は結婚を約束した相手で、この記憶の時には色々計画を練って、ゴールインまで間近だった。
しかし、それはもうすぐ破綻する事となる。
彼女は、
ちなみに大介は堂々と直接、彼所有のPCから情報を引き抜かれていた。勿論、ちゃんとセキュリティロックをしていたのだが、セキュリティを担当する部署の人間も咥え込み、大介が所属していた部署の全員のパスワードを握られていたという、とんでもない状況だった。
そんな事は知らず、ただただ幸せだった時間の記憶が流れ続ける。普通の恋人、もうすぐ妻となる女性との、甘くて優しい時間。
だが、その時間は終わりを告げる。
「どうして?」
愛する人だった女の、憎悪と憤怒と害意に歪んだ表情を向けられる。
度重なる悪行はやがて隠しようのない数字となり、その流れに大介自身が彼女の行為に気づいて会社に告発したのだ。そして彼女は逮捕される。
機密情報の漏洩だけではなく、巨額の横領も行っており、それは自社だけじゃなく他社にまで波及する大事件へと発展した。
折悪くと言うかタイミングバッチリと言うか、この時期に刑法の改定が行われ、各種量刑の厳罰化が決定したばかりだった。そして彼女はめでたくその新しい刑罰の第一号、完全ある生贄として捧げられた。
さすがに死刑にはならなかったが、面会謝絶、外とのやり取りの完全封鎖、現在でも彼女と数人の犯罪者しか下されていない、完全無期懲役刑という一番思い量刑が確定した。
「お前は! 自分の愛した女を売ったのか!」
彼女の父親にそう言われた。
「姉さんが何をしたって言うんだ! お前が唆したんだろう! お前の方が怪しい顔をしてるじゃないか!」
そう彼女の弟になじられた事もある。
「権堂君、会社での君達への風当たりも強い。これ以上はこちらでもかばうのは難しい」
直属の上司から会社に出社する度に苦言を言われ続けた。
結局、全部が嫌になって会社を辞め、どうせならと上京して今の会社に就職した。入った当時はブラックじゃ無くて、入社して良かったと思える会社であった。
しかし、入社してから五年後ぐらいに前社長が病気でリタイアし、彼の息子が新しい社長として経営を開始してから、会社はどんどんおかしくなっていった。そして、大介の過去が追いかけてきた。
「権堂くん、君、あの茨伊の元フィアンセだったんだって?」
現在の直属の上司にそう言われたのは、どのくらい前だったか。クソ上司はその事を会社全体に吹聴し、会社での大介の居場所を完全に消し去った。
この時も会社を辞めようとしたのだが、前社長にそれだけは勘弁して欲しい、せめて自分が生きている間は、踏ん張って欲しいと懇願されて残る事にした。
死んでいるように生きて、生きているのに死んでいるように、そんな無味乾燥とした時間をずっとずっとこれからもずっと――
「っ!?」
布団を思いっきり蹴飛ばし、真っ暗な部屋の中を確認して、大介は思いっきり息を吐き出す。
「ぷふぅぅぅぅぅーっ」
寝巻き代わりのTシャツがベッタリと肌に張り付き、頭から汗が顎先にまで滴り、心臓がドックンドックンと別の生き物のように脈打つ音がうるさい。
「俺は中学生かよ」
弱々しく呟きながら、大介は膝を立ててそこに頭を乗せる。
「もう十年以上前の事をまだ引きずるのかよ、俺は」
最近はスペースインフィニティオーケストラやらイエローウッドリバー・エイトヒルズ・セカンドライフストーリーズ等で充実していたから、すっかり忘れていたのに、まるで私を忘れないでと言わんばかりの悪夢に、大介は上ずった声で吐き捨てた。
「特級呪物かよ」
漫画のネタを呟き、あまりにピッタリな言語チョイスで乾いた笑いが浮かぶ。
「……まだ夜中じゃねぇか」
緩慢な動きで現在の時間を確認すれば、夜中の三時。眠気なぞすっかりどこかへ消え去り、完全に目が冴えてしまって、もう一度横になって眠るような気分でもない。
「はぁ……仕方ねぇ、シャワーでさっぱりするか」
ベットから抜け出し、バスルームに向かう。体に張り付いたTシャツを脱ぎ捨て、洗濯機の中へ放り込み、ふと顔をあげる。
「何で今になって夢に見たんだ?」
確かに忌まわしき記憶だ。夢の内容も完全なる悪夢と言って良い。だが、リアルが充実していれば忘却の彼方へ消えてしまう程度の苦みに薄れているのも間違いないのだ。実際、一時期人間不信、女性嫌悪だった頃はあれど、それだって瞬間的な発作だったかのように克服したし、もしも仮に彼女が目の前に現れたら夢のように動悸や息切れをするだろうかと問われれば、首を傾げるレベルでしかない。
「いやいや、現実世界でそれはない」
ふと一瞬、『第一分署』の仲間達がニヤニヤと笑っている姿を幻視したが、それは無いと大介はピシャリと頬を叩く。そんなフラグがあってたまるかと、魂の奥から力強く否定しておくのも忘れない。
「明日も仕事があるんだ……いやまぁ、出社しても窓際作業しかやらねぇから良いんだけども」
前社長の体調がそろそろヤバいとは聞いているし、会社を去る日も近いだろう。
「パルティのヤツが、もしもその気があるならウチで働きなさいな、とは言ってたけど……アテにしていいのかねぇ。俺、初見での第一印象最悪な人間だし、さすがに無理か?」
大介は力無く笑いながらバスルームへと入った。
――――――――――――――――――――
「え?」
「そんなに意外な事ではないでしょ? 『第一分署』の男性陣相手だったら、もう距離感とか関係なく話せるようになったでしょ。リハビリとして見たら順調どころか快調じゃない。だからこっちでもリハビリをしないかって話」
「は、はぁ……で、でも、まだちょっと怖いなぁーって」
「気持ちは分かるわよ? でも、貴女の歌は錆びつかせて良いモノじゃないのよ、マジで」
「……」
いつものように会社へ出社した浅島 アツミの中の人、
「もちろんライブ配信でやれ、って言ってるわけじゃないわよ? 歌ってみた動画という形で、リハビリですーって感じにアップしない? っていう提案よ」
「歌ってみた、ですか」
「そうそう。今度ジュラがサードソロライブをやるんだけども、そのライブの応援動画という形で、会社所属の娘たちでセカンドソロライブのメインテーマだった曲をアップする、っていう企画があるの。それをやってみない?」
「……」
自分と同期というか、一方的に迷惑を掛けている人物の名前を出され、温香はきゅっと唇を結ぶ。
「勿論、無理強いはしないし、そこは温香の判断に任せるけども……やってみない?」
パルティの優しい笑顔に、温香は少しだけ目を閉じる。すると『第一分署』の仲間達の顔が浮かび、最後にはユーヘイがいつもの笑顔で親指を立てる情景が目に浮かんだ。
「……すぅー……やってみます」
力強い意志が宿った瞳をパルティに向け、温香は戦場に挑むような、そんな気概で言った。
「いや、そこまで気張らなくて大丈夫なんだけどね?」
本当にもう真面目なんだから、パルティはやれやれと肩を竦めながら、やる気になった温香の肩を叩く。
「それじゃまず、ボイストレーニングからやりましょうか。さっくり終わらせて、『第一分署』のみんなと遊んでらっしゃい」
「頑張ります!」
温香がグッと両手を握って気合を入れる姿を見て、パルティはようやく前に進めそうね、とそっと安堵の息を吐き出すのであった。
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