第297話 旋風 ⑦
周囲の状況が着々と整えられ、善良なるプレイヤーの活躍で自分達の退路が切断されていく事に気づいていない犯罪者達は、まるで自分が全能であるかのように振る舞う。
そのあまりに鼻につく行いに、具体的にはいたいけな少女の命とも言える髪の毛を引っ張るクソ親父に、不動が飛び出そうとしたが、ダディが軽く胸を押さえて留めた。
「気持ちは分かる。出来れば自分も同じ事をしたい」
拳銃のグリップを握る手が震え、ギチギチと妙な音を出しているダディの言葉に、不動は少しだけ冷静さを取り戻し、胸に添えられた手を静かに払う。
「ならどうする?」
自分の気持ちを落ち着けようと、帽子やネクタイ、ジャケットの位置を手直ししながら不動が聞けば、ノンさんがちょいちょいと指を差す。
「?」
なんだろうと視線を向ければ、ユーヘイとヒロシが前に出て、ムカつく犯罪者を挑発し始めた。
「これでアイツらは、あの二人にしか注意が行かないわ。この隙にアタシ達は、あのバカ共の後ろへ回り込む」
ノンさんはそう言うと、軽く不動の肩を叩いて、足音を殺しながら走り出す。ダディも不動について来いと素振りを見せて、見つからないよう低い姿勢で移動を開始する。
「ここでDEKAと協力プレイか」
不動は拳銃のマガジンを外してちゃんと弾が入っているか確認しつつ、苦笑を浮かべて溜息を吐き出す。
イリーガル探偵はDEKAと協力する事で、その本来の能力を発揮できるジョブである。しかしそれは、不動 ヨサクが求めていたダークヒーロー像では無かった。
だからこれまで、頑なにDEKAプレイヤーとの協力プレイを拒んできたし、拒んだからこそまともにクエストをクリアーする事が難しかった。別にそれで良いとすら思っていたのだが……。
「ま、これでしまいって決めた事だし、最後くらいは協力プレイも良いか」
何より、ダークかどうかは別として、これからやろうとしている事は間違いなくヒーローの仕事だ。これで有終の美を飾れるのであれば、それはそれで悪くない。
「……ふぅ、行くか」
長い手足を不器用に折り畳み、デカイ図体をなるべく小さく縮ませて、不動は『第一分署』の二人を追いかけた。
――――――――――――――――――――
「おん?」
がむしゃらにこちらを責め立てる城ヶ崎の部下達をいなしていると、視界脇に運営からの緊急システム情報がポップアップした。
「……ふっ」
その情報を流し読みしたユーヘイは、楽しげに口角を持ち上げ、レオパルドに隠れているトージ達の方へ向けて、指をパチン! と鳴らす。
緊急システム情報の内容を確認していたトージは、その音で顔を上げ、ユーヘイが踊りながら指差す方向を確認すると、リョータの背中を叩く。
「移動するから、僕の後ろに貼り付け。浅島先輩」
「大丈夫、心配しないで行って」
「ありがとうございます」
リョータに合図を送り、自分の拳銃を引き抜いたトージは、ゆっくりと城ヶ崎と和治の死角になる方向へ動き出す。
「余っ程、頭に来たんだろうなぁ、GMちゃん達」
ゆっくり慎重に動くトージとリョータを見送りながら、アサミは緊急システム情報を読む。
――緊急アップデートのお知らせ――
現在、イエローウッドリバー・エイトヒルズセカンドライフストーリーズに、犯罪者が観光チケットを悪用してログインしている件につきましての対応。
これより、システム『オモイカネ』の制御の元、リバーサイド限定で『ティンダロスの犬』の実施が決定しました。これにより、犯罪者が使用している不正ツールが除去される予定です。
現在、犯罪者が持ち込んだ不正ツールで増殖されたゲーム内通貨は、すでに除去が終了しております。これにより、ゲーム内の犯罪系NPCに行われた依頼は無効となり、暴徒化していた犯罪系NPCは依頼を破棄された状態となり、各自勝手に解散していきます。状況の対応に当たっていたプレイヤーの皆様方はありがとうございます、これより沈静化は広がっていきますのでご安心ください。
『落とし前』希望のプレイヤーの皆様は、このままリバーサイドで運営GMと合流し、GMの指示に従っていただければ、『落とし前』会場へとご案内しますので奮ってご参加下さい。
「この『落とし前』会場ってのに、そこはかとない激怒の感情を感じるんだけども」
アツミはヒクリヒクリと口の端を震わせながら、リボルバーのシリンダーを動かし弾がしっかり入っているか確認、慣れた手つきでシリンダーを戻し、銃口をユーヘイ達の方へ向ける。
「けど『ティンダロスの犬』って、何やら物騒な気配がそこはかとなくするだが……ティンダロスってなんぞ?」
アツミはどこかのコズミックホラーな知識は持っておらず、だが字面から漂う不穏さは感じ、ハテナ? と首を傾げた。
「ま、GMちゃんの怒ってる感じからすると、ロクなもんじゃねぇ、ってヤツかしらん」
きっとそうに違いない、そう結論づけたアツミの前で、ユーヘイとヒロシに無謀な戦いを挑んでいた部下達の持つ拳銃から、犬と呼ぶには冒涜的で、それが既存の生命体と言うには破滅的な、コールタールのようにテラテラした毛並みをした、少なくとも四つ以上の眼球を持つ犬っぽい形状をした化物が、まるで流体のようにニュルリと出現する。
「うげっ!?」
あまりにあんまり過ぎる、実に悪夢めいた登場シーンをまともに目撃してしまったアツミは、乙女にあるまじき悲鳴を出す。
目前でそんな化物が出現したにも関わらず、ユーヘイは苦笑を浮かべるだけで大袈裟な反応はせず、ヒロシも多少は驚いた様子であったが、運営の情報を見ていたので『ああ、これが犬ね』とすんなり納得してしまった。
出現した『ティンダロスの犬』は、まず部下達が纏うエフェクトを食べ始める。バリンバリン、メキャメミャ、グシャリグシャリと実に生々しい音を出して砕き、三つか四つに分かれた舌先を部下達のスーツに這わせ、グッグッグッグッグッとウシガエルが鳴くような音を出す。
「なっなっなぁっ?!」
「うっうわあぁぁぁぁぁっ!」
「ばっ化物っ!」
ユーヘイ達程冷静でいられない部下達は、まるで痴漢に襲われた乙女のような悲鳴を出し、現実世界で暴力を生業にしている人間とは思えない醜態を晒していく。
「な、なんだこれは」
唐突に現れた化物に、さすがの城ヶ崎も呆然とした様子で見つめる。だがそれもすぐに悲鳴へと上書きされた。
「っ!? くっ来るなぁっ!?」
スーツの折り目、角張った革靴のつま先、ネクタイを止めるピン、城ヶ崎が身にまとうありとあらゆる『直線あるいは直角』から、ティンダロスの犬は次々と出現し、城ヶ崎の不正ツールの根本を破壊せしめようと活動を始める。
「城ヶ崎さんっ!? うっ?! ひっひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
それは和治も同じで、自分の体の中からティンダロスの犬が生まれ出るような感じに、次々と恐ろしい神話生物が姿を現していく。
そのあまりの衝撃に、髪を掴んで引っ張っていたミーコから手を離してしまい、唐突に支えを失った形のミーコはアスファルトに叩きつけられそうになった。しかし、そんな事はさせじとティンダロスの犬が一匹、姿を愛らしいラブラドールレトリバーへと変化させ、ミーコの体を受け止めると、そのまま背に乗せて素早くその場から逃げ去った。
「あ! それは俺が作った商品だぞっ! 返せ!」
こちらの切り札、それを奪われた怒りで恐怖を振り払った和治が叫ぶ。
「はい黙れ」
『不死身』のエフェクトが食われ、穴だらけになった和治に向け、ユーヘイは拳銃のトリガーを引く。それは和治の膝を貫き、勢い良く足払いを受けたような形となって、和治の上半身が前のめりに倒れていった。
「リョータ、やれ」
トージについて動き、城ヶ崎が乗っていたリムジンの影へ潜んでいたリョータは、作ったという言葉が使われた瞬間から動いていた。ユーヘイはそれを見ていて、最高のタイミング、最高のアシストを彼にプレゼントしたのだ。
「このクソオヤジ!」
感情が先走ったテレフォンパンチ。ただ勢いと怒りだけで突き出された拳。殴り慣れていない、子供の喧嘩のような可愛らしさすら感じる一撃。だが、ユーヘイのアシストで自分から体を前へ投げ出した和治にとっては、悪夢の一撃となって顔面を貫いた。
「うごぉっ?!」
何より、GMの怒りが深かった。
システム『オモイカネ』主導の『ティンダロスの犬』発動と同時に、GMちゃんは城ヶ崎達のシステムを変更した。本来、VRゲームでは痛覚はマイルドに設定される。ユーヘイのように、現実での感覚を使いたいからと現実と全く同じ痛覚に設定しているド変態を除き、だいたいのプレイヤーは痛覚を『オフ』にするか『ゲーム設定』にするのが通例だ。
つまり、拳銃で撃たれようと剣で切られようと、ちょっと静電気が走ったような痛みを感じる程度か、それすら無いような設定が一般的なのだが、GMちゃん達はその設定を『現実よりも痛覚マシマシ』に変更していた。つまり、リョータの拳が、まるでトゲトゲの生えた鉄球での一撃のように和治には感じられたのだ。
「あ、あがぁっ?」
まず実体験する事はない、顔面が陥没するような痛み、顔面の骨が砕け、内側へ何かが侵入してくるかのような違和感、そして脳みそを真横にシェイクする衝撃と、和治が持つ処理能力を遥かに超えた一撃に、彼の意識が飛びそうになる。
『これで終わったと思うなよ?』
「っ!?」
ゾッとするような声が耳元で聞こえた瞬間、霞がかった意識が覚醒し、体がバネを仕込んだ人形のように直立不動の形へと自動に跳ね上がった。
「姫子はてめぇのおもちゃじゃねぇっ!」
動くことが出来ない体で、無理矢理視線だけは固定された状態で、和治はリョータの拳が腹部へと埋まっていく様子を眺める。
「うごぁっ?!」
再びの激痛に、だけど体はくの字に曲がることを許されず、リョータの怒りの拳が叩き込まれ続ける。
『お前の罪をせいぜい数えろ』
死神のような無慈悲な声が再び自分の耳元で囁かれ、和治は終りが見えない絶望に沈んでいくのであった。
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