第278話 雲間 ③

 お婆さんの向かう先までエスコートを終わらせたヒロシは、無線でユーヘイ達の居場所を確認してから、のんびりゆったり散歩でも楽しむように歩く。


「ここはいつ来ても賑やかで楽しげで、昭和っ! って感じがビシバシするな」


 ココアシガーを口に咥え、エフェクトの紫煙を纏いながら、ヒロシは活気に満ちた商店街を眺める。


 現実世界では様々な事があって、それに伴い価値観が変化し、当然だった事が駄目と言われるようになり、それまで美徳だった事が犯罪のように見られるようになったり、息つく暇がない速さで激変していってしまった。


 時代の変化、文化の進歩、そういうモノだから……そう思いながらもどこかで窮屈さを感じてしまう、それが今の現実世界だ。


「仕方がないっちゃ無いんだけどさ」


 この世の無情を乾いた笑いで流しながら、ヒロシは笑いと喧騒に満ちた商店街を泳ぐように進む。そして、ユーヘイが指定していた場所に近づくと、実に目立つ集団が見え、思わず苦笑を浮かべてしまう。


「そこはお前、もっと格好良くだろ?」

「はぁっ?! 聞き込みに格好もクソもあっかよ! こっちは丁寧に聞いてるんだ! 邪魔すんじゃねぇよ! おっさん!」

「かーっ! 可愛くねぇなぁっ!」

「おっさんに可愛いとか気持ち悪いわっ!」

「けっ! 本当に可愛くねぇっ!」


 少年リョータが、多分ちょっかいをしてくるユーヘイに怒っているのだろう叫び声が聞こえてきて、ヒロシはやれやれと肩を竦めながら、ちょっと離れた場所で様子を見ているトージの横に立つ。


「お疲れ」

「あ、縦山先輩、お疲れ様です」

「随分、懐いたじゃないか、あの子」


 ココアシガーをタバコのように指先で挟み、それをゆらゆらと揺らしながらヒロシが言えば、トージはちょっとうんざりしたような疲れたような表情を浮かべる。


「懐かれたと言うか、どっちかと言えば先輩の方が突っかかってるように見えるんですけど」

「へぇ」


 ヒロシは面白そうな声を出し、ユーヘイとリョータに挟まれて、アワアワしているミーコに視線を向ける。


「あっちのレディは少し雰囲気が明るくなった?」

「あー、彼女はなんというか、ここらへんのパワフルなおばちゃん達が放って置かないというか、常にいじられて笑わせられるというか」

「あー、確かに。ここらのお嬢さん方からすれば、ちょっと放っておけないタイプかもしれないな」


 これまで出会って来たふくよかと言うより、鍛えられた筋肉のような脂肪を纏うおばちゃん連中の事を思い起こし、『お、お嬢さん?』と首を傾げるトージに、ヒロシは分かってないなという視線を向けながらココアシガーを咥える。


「見た目とか年齢とか、そういうので女性を判断している内は、お前もまだまだ大人の男には遠いって事だよ」

「は、はぁ」


 そういう野郎は結構あぶれてますが? と思いながらも曖昧な返事でお茶を濁すトージに、ヒロシは呆れた目を向けつつ、パンパンと両手を叩く。


「ほらほら、じゃれ合ってないで、クエストを進めようか」


 沸点が低いリョータを煽り、いつまでも無限に言い合いを続けようとしているユーヘイを止めて、ヒロシがリョータとミーコの背中を押すようにして歩き出す。


 リョータが睨みつけるようにユーヘイに視線を向け、それをヒラヒラと手を振って馬鹿にするような態度をするユーヘイ。その姿にトージは思わず聞く。


「何か、先輩にしては珍しく、あの子に当たりが強いですよね?」


 トージの言葉にユーヘイは少しバツの悪そうな表情を浮かべ、何かを誤魔化すように後頭部を撫で付ける。


「どうしたんですか?」


 トージの綺麗な瞳で見つめられ、ユーヘイは困ったような焦ったような、そんな目線の動きをしてから、降参したように溜息を吐いて、ホールドアップでもするように両手を小さく挙げた。


「なんて言うかな、似てるんだよ」

「え?」


 ユーヘイは肩を竦めてゆっくり歩き出し、トージもユーヘイの隣を歩きながら首を傾げる。


「俺のガキの頃にそっくりなんだよ、あいつ」

「……えっと、同族嫌悪?」

「ははははは、そこまで子供っぽくはねぇよ」


 ヒロシに背中を押され、ミーコもさり気なくエスコートしている様子に嫉妬心バリバリな感じのリョータに視線を向けながら、しかし遠く昔の記憶を思い出しているような目でユーヘイが口を開く。


「誰かに優しくされるとムカつくんだよなぁ、だからって否定されてもムカついて、そんな自分が一番ムカついて、何もかんもムカついて、気がつくと全部自分一人で背負って身動き取れなくなって、でも誰かに助けて欲しくて、それが素直に言えなくてってループを永遠に繰り返すってな。なまじっか精神が頑強だから耐えられちまうのも問題でな」

「えっと?」


 ユーヘイが言っている事が理解出来ず、トージが首を傾げる。


「俺もいじめられてた口だって話だ」

「……はぁっ?! せ、先輩がっ!?」

「驚く程か?」

「え? あ? ええぇっ!?」

「驚きすぎだ」


 トージが驚いた理由は、ユーヘイはあっけらかんとした雰囲気と言うか空気感と言うか、いじめを受けていた人間特有の陰のような気配、ちょっと他人より卑屈になっているような印象が無くて、『いじめられっ子』というイメージが直結しなかったからだ。


 だがまぁ、ユーヘイの場合は『いじめ』なんて生易しいモノではなく、完全なる差別。しかもただ単に『顔が怖い』っていう身体的特徴を論った吐き気を催す邪悪ってレベルじゃない悪意の塊ではあったが……。


「あいつも人よりは心が強いタイプだってのは感じた。けどそれが邪魔して世の中を斜めに見る悪癖のような物がある。全く、俺そっくりで笑える」


 どこか自虐的に笑うユーヘイに、トージはやっとユーヘイがいじめられていたという事実を飲み込めた。


「だから先輩は僕にも優しかったんです?」

「あ?」

「や、僕の時は結構簡単に受け入れたなぁって思いまして」

「いや、アレはお前が頑張っただけの話で、俺らは特に何かをやったって事はないぞ?」

「へ?」

「今とお前の時じゃ、全く状況が違うからなぁ」

「へ?」


 トージの時はトージ自身が動いた瞬間から『いじめ』脱却の第一歩は終わっていた。そしてトージ自身が勇気を出して、ユーヘイとヒロシに『一緒に遊ぼう!』と声掛け出来た瞬間に、トージの過去との決別は終了していたと言って良い。それだけトージが自分で決めて自分で進んだ道は偉大だったのだ。


 だが今回は、全く見ず知らずのおっさんにサルベージされ、何のこっちゃ分からない状況で一緒に遊び、まだまだ二人には困惑しかないだろう。この状況で『いじめ』と決別しましょう、ってのは無理な話である。


 まぁ、『いじめ』どうこうは文部科学省と天照正教がボコボコにしてるだろうから、ユーヘイの目的としてはリョータとミーコがちょっとでもきっかけを手に入れて、そのきっかけで二人を前に、ちょっとでも希望を感じて進められるのであれば御の字、という感じだ。


 間抜け面をさらしているトージに、ちょっと大げさなリアクションで肩を竦め、ユーヘイはリョータの背中に視線を向ける。


「ま、あまり褒められた経験じゃないが、そういう事だから、あの坊主にはちょっと当たりを強くして、反骨精神を向けてもらって、それで発散してくれれば良いなぁ、って感じだ。ちょい、過去の自分を相手してるような気分になって、熱が入っていたのは否定しないが、な」


 ユーヘイのはにかんだような笑顔に、トージは何も言えなくなる。


 ただ強い。ただ器が大きい。ただ男らしい。そんな自分が目指そうとしていた大人の、ちょっと意外すぎる過去話に、ただただ圧倒されていた。


「先輩って、やっぱり先輩ですよね」

「は?」


 だけど、やはり目指す頂上ではある。と言うか、是が非にでも追いつく気持ちが強くなった。本当の意味で自分の先輩であり、やっぱり自分が知る中で一番格好良い大人。


「なんのこっちゃ?」

「いえ、こっちの話ですよ」


 トージはニコニコと笑い、ちょっと小走りにリョータに駆け寄ると、リョータの頭を軽く小突いて微笑みかける。


「いや、マジで何?」


 トージの行動の意味が分からず、ユーヘイは頭に大量のクエッションマークを出しながら、とりあえず歩く速度を上げるのであった。

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