第276話 雲間 ①

「ほらほら! 走れ若者!」

「ちょっ! は、はえぇっ!」


 イエローウッドの商店街をユーヘイとリョータが駆け抜ける。二人の眼の前には、深々と野球帽を被り、サングラスに大きなマスクという明らかに不審者といった風貌の男が、巾着袋を抱え込みながら全力で逃げていた。


 今、ユーヘイ達が受けている特別クエストは、イエローウッドで問題となっている事を解決せよ、というふんわりした内容のクエストだ。


 一行がイエローウッドに入ったタイミングでクエストが開始され、適当な場所で車から降りるとすぐに、『ひったくり! 返して!』と叫び声が聞こえ、ユーヘイに背中を叩かれたリョータがひったくり犯を追いかけている、というのが今の状況である。


 ちなみにリョータは、休部というか全く活動していないが陸上部だ。それも県内でも知られたスプリンターだったりするのだが、正しいフォームって何よ? 腕の振り方って何さ? というスプリンター全員に喧嘩を売るような走り方をしているユーヘイに、走る速度で負けていた。


「くっそっ!」

「ははは、頑張れ頑張れ」

「畜生!」


 今回のクエストに限り、保護者枠であるユーヘイ達のステータス、スキルレベルは一旦リセットされ、初心者レベルまで落とされている。クエストを受領する際に、ユーヘイがトージとヒロシに説明していたから間違い。つまりそれはほぼほぼ素の状態であると言う事で、ブランクがあるとは言え本職であるところの自分が、ただのゲーム好きのおっさんに走りで負けるとか、悔しすぎる状況にリョータは歯噛みする。


 色々とこじらせて、色々と諦めモードに入り、健全な運動やらトレーニングやらから顔を背けてしまっているリョータと、VRゲームの資本はリアルの健康とトレーニング! つまりは筋肉だぁっ! と馬鹿真面目に鍛え続けているおっさんとでは比較対象が悪すぎる。しかもVRゲーム黎明期から現在まで、毎日休み無しで走り込みやら筋トレをしている真正の馬鹿相手では尚更であろう。


「ほれほれ、逃げられるぞぉ」

「くそがぁっ!」


 女の子がイヤイヤをするような走り方をするユーヘイに煽られ、リョータは歯を食いしばり必死の形相で足の回転と、振る腕の速さを上げる。


「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「……」


 先ほどまでの、追い詰められた卑屈な表情を浮かべていた少年の姿はなく、ただ与えられた役割を必死こいて果たそうとするDEKAの姿があった。それを見てユーヘイは、まるで父親のような表情で薄く微笑む。


「こ、のやろぉっ!」

「っ?! ぐあっ!?」


 リョータはついにひったくり犯に追いつき、男の上着に手を伸ばすと真後ろへ引っ張った。ひったくり犯はそれでバランスを崩し、尻もちをつくように倒れる。


「あ」

「おっと」


 ひったくり犯の上着を掴んだままだったリョータは、倒れる力に引っ張られるように頭から地面に倒れそうになったが、ユーヘイが事も無げに受け止め倒れるのを防ぐ。


「おいおい、男を抱っこする趣味はないぜ?」

「はぁはぁはぁ……うっせぇ」

「はははは、そんだけ元気があれば上等上等」


 ぜぇはぁと呼吸を乱すリョータに、VRに慣れてないと引っ張られうよなぁ、と微笑ましい目を向けながら、リョータの体を引き起こし、悶えているひったくり犯から巾着袋を取り上げる。


「ほれ、被害者に返してきな」


 巾着袋をリョータに渡し、ユーヘイはひったくり犯に手錠をかける。リョータは受け取った巾着袋を呼吸を整えながら見つめ、後ろを振り返った。


「はぁはぁはぁ」


 そこにはミーコの手を取って歩くお婆さんの姿があり、リョータは呼吸を整えながらお婆さんに歩み寄る。


「あ、あの、これ」


 両手に持った巾着袋をお婆さんに差し出すと、彼女はしわくちゃの手でリョータの両手を包み込むようにしながら、差し出された巾着袋を受け取った。


「ありがとう、ありがとう、ありがとう」


 リョータの手すら宝物のように、心の底からの感謝と、朗らかな笑顔で何度も礼を言うお婆さんに、リョータは口をパクパクさせながら困ったように視線を走らせる。


「いえいえ、これが我々の仕事ですから」


 心底困っている様子のリョータに苦笑を向け、ゆっくりと歩いてきたヒロシがお婆さんに微笑みを向けてフォローを入れた。


「それで、お姉さんはどこに行く予定だったんです?」

「あらやだ、お姉さんだなんて。ほほほほ、お上手ねぇ」

「いえいえ、お姉さんなら昔は色々と派手だったんじゃないですか?」

「さぁどうかしらね?」


 自然な感じにお婆さんの手を取ってエスコートを始めるヒロシに、近くでそれを見たいたトージは呆れた様子を見せつつ、ちらりとリョータに視線を向ける。


「……」


 リョータはお婆さんに包むように触れられた両手を、ちょっとニヤけた表情で見ながら、感触を確かめるように開いたり握ったりを繰り返していた。


「……そうなんだよなぁ、感謝って格別だよなぁ……」


 自分の評価が最低最悪であっても、真っ直ぐストレートに向けられた好意や謝意と言うのは届く。それは踏みに踏まれて、舗装されたようになった心の硬さすら解きほぐす力になったりする。


「……助けられてない、か……確かになぁ……」


 トージは反省するように頬を掻き、ひったくり犯をやって来たNPC制服警官へ引き渡すユーヘイに視線を向けた。


「本当、凄いよなぁ」


 自分の時もどうだったが、ユーヘイとヒロシの対応力と言うのは異常だと改めて思うトージ。


「さりげないって言うか、こっちに何も違和感を感じさせないって言うか、本当、凄い」


 自分の時の状況を思い出しながら、トージは目標は遠いなぁ、と溜息を吐き出す。


「お前は何を黄昏れてるんだ?」


 引き渡しが終わったユーヘイが、軽やかな小走りで近づき、宇宙猫のような表情をしているのを見て呆れた口調でツッコミを入れる。


「あ、いや。目指す頂きは遥か遠くて高いなぁ、って思いまして」

「何のこっちゃ?」

「こちらの話です、はい」


 トージの言葉に首を傾げつつ、ユーヘイはリョータの背中を叩く。


「良くやった。あっちのお婆さんはタテさんに任せて、俺達は街を見回るぞ」


 リョータはユーヘイから褒められた事に驚いた表情を浮かべ、ユーヘイはそれに気づかないフリをしてミーコに手招きをする。


「行こう。トージも付き合え」

「あいあい」


 ユーヘイはお婆さんを相手にするヒロシに手を振り、三人を連れてイエローウッドの街に向かって歩く。


「今回のクエストって、突発系ですかね?」


 ユーヘイの隣に駆け寄り、トージが確認すると、ユーヘイはさぁねと肩を竦める。


「運営が直接介入してるから、どうなるんだろうなぁ」

「ああそうか、直接モニタリングしてるって感じです?」

「モニタリングしてるだろうなぁ、色々と手抜きは出来んだろ」

「確かに」


 自分より年齢が下ですもんねぇ、と他人事のように呟く。それを聞いたユーヘイは、呆れた視線を向ける。


「お前の時もモニタリングしてたと思うぞ?」

「え?」


 ユーヘイのツッコミにトージが驚いた表情を浮かべる。それを見てユーヘイはやれやれと肩を竦める。


「VRゲームの運営を舐めたらあかんぞ? そこら辺の情報収集は凄いから」

「マジですか?」

「マジです。特に観光目的じゃない未成年者となれば尚更だろ」

「マジですか」


 本気でショックを受けるトージにユーヘイは苦笑を浮かべてから、静かについてくる二人に視線を向ける。


 ――まぁ、こいつらの場合は確実に俺とタテさんが未成年者特別補導員の権限を利用したから、より濃密な介入をしてくるんだろうけど――


 ユーヘイは二人から視線を外し、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。


「楽しくなりそうだ」


 ユーヘイの呟きにトージがギョッとした表情を浮かべ、ついてくる二人は色々な不安を抱え、四人はそのままイエローウッドの街に同化して行くのであった。

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