第260話 受難 ⑦

 立ち去る不動を見送るダディに呆れながら、ノンさんはエンジンを切って車から降りると、レオパルドへ小走りに駆け寄り、運転席で悶絶している派手な服装をした女性を一瞥しながら運転席のドアを開く。


「もう何なのよ!」

「それはこっちのセリフ」


 激しくぶつけたらしい額を押さえ、けばけばしいメイクの顔を苦痛に歪め、ヒステリックな声で叫ぶ女性に、ノンさんが凍えるくらいに冷たい口調で突っ込みを入れれば、悶えていた女性がギョッとした表情でノンさんを見返す。


「どーもー、DEKAです」


 菩薩のような穏やかな笑みを浮かべ、懐からDEKA手帳を取り出しノンさんが言えば、女性は逃げようと素早くアクセルを踏む動作に入る。


「はいはい、無駄な事はしない」


 アクセルを踏むより早く、ノンさんがエンジンキーを切って引き抜いた。あまりの早業に呆然としていた女性だったが、ふてくされたように舌打ちをして明後日の方向へ顔を背ける。


「この鍵、どこから手に入れたのかしら?」

「……」


 ノンさんが女性の眼の前で鍵を揺らしながら聞くが、女性はとぼけた表情でそっぽを向き、聞こえない振りをする。


「どうしてくれようかしら」


 女性の態度にカチンと来たノンさんが、不穏な空気を漂わせてポツリと呟く。そんなノンさんの表情を見てしまった女性は、小さい悲鳴を出して怯えたように身を竦める。


 夜叉と般若が悪魔融合し、金剛夜叉明王が出来ちゃったみたいな表情を浮かべているノンさんの肩を、ダディがトントンと叩く。


「渋滞しちゃってるから、まずは近くの路肩に移動しよう」


 ダディの指摘にノンさんが周囲を確認すると、確かに言われた通りの状況で、大きく息を吐き出して力を抜いてから、怯える女性に後ろ手に手錠をし、運転席からほぼ引きずり出すように移動させ、後部座席へ荷物でも放り込むように投げ込んだ。


「こっちは頼むね? こっちはティラノを動かしてから、レオパルドに接触した車の対応をしちゃうから」


 後部座席に放り込まれた女性が、信じられない表情でノンさんを見上げるのを、これ以上ない位絶対零度の視線で貫きながら、ノンさんは三日月のような笑みを口元に貼り付けて頷いた。


「吐かせればいいのよね?」

「そうそう」


 愛する妻の心情など手に取る程簡単に分かっていながら、ダディは全く手綱を引く様子も無く、好きにやっちゃってとばかりに免罪符すら渡してしまう。そんなやり取りを見た女性は、こいつら本当にDEKAかよ、という表情で二人を睨む。


 ノンさんは大迫力な笑顔を女性に見せつけ、運転席に乗り込むとエンジンをかけて車を動かす。すぐ近くの路肩へ移動させ、きっちりエンジンを切って鍵を外し、ハザードを点滅させてから運転席から降りて後部座席に回り込む。


「気持ち良く、吐こうねぇ」


 深淵のように底が見えない、底なし沼のように真っ黒な瞳、三日月に裂けたような微笑み、そして怒髪天を衝く怒気を全身に纏ってノンさんが女性へにじり寄る。


「大丈夫、すっごく気持ち良くなるから」


 口から瘴気でも漏れ出そうな邪悪さで、生理的嫌悪感を覚える爬虫類のような動きで、にゅるんにゅるりとノンさんは顔を近づいていく。


 相当気合の入ったYAKUZAですらノンさんの尋問には負けるのに、ただの小悪党な小娘如きでは耐えられるはずも無く、一分も保たずにペラペラとカナリアがさえずるように口を割ったのであった。




――――――――――――――――――――


「店主の対応にキレて、自分からマスクを外して威嚇するって、とんだ素人ですよね」

「犯罪者に素人も玄人もないけどな。まぁ、普通に頭が足らない」

「頭足りてたら犯罪しませんよ」

「言うじゃない、愚かな生命体」

「最近は賢い生命体で通ってます」

「言うようになった事」


 貴金属店での聞き込みを終えたヒロシ達は、タバコ屋のお婆さんが言っていた方へ向かっていた。


「目貫帽子を用意出来る頭があるなら、貴金属店なんて狙わずに普通の店を狙った方が楽でしょうに。現金最強でしょ?」

「確かにそうなんだけどな。多分、連中の頭では貴金属だったら換金率が高いって考えたんだろうけど、その換金する手段を用意してなければただの石ころと金属だしな」

「そうですよね、ツテがあったんでしょうか」

「そこはしょっぴいてから調べれば分かる話」

「また変な組織とか出て来ないと良いんですけどねー」

「お前、そういう事を軽々に言うとマジで寄ってくるぞ? ただでさえ第一分署は類友の集団なんだから」


 苦笑を浮かべて咎めるように言うヒロシに、トージはすみませんと頭を下げる。


「さて、犯人はユーヘイとアツミに追われている状況。今回の新要素で元ネタっぽいって事で確実にユーヘイは大喜びで追いかけてったろうから、グラサンした強面のおっさんに、笑顔で猛ダッシュ食らったら……町村君ならどうする?」

「うぇっ?! えーっと……曲がりなりにも強盗をするつもりで来た訳ですから、どこかに車とか逃走手段を用意してると思うんですよ。片方は馬鹿でしたけど、もう片方の強盗は冷静だったっぽいですし。だから用意してた足に向かって逃げつつ、上手く追跡をかわすように裏路地とか使うんじゃないですかね?」

「あーはん」


 ヒロシに話を振られたトージが、頭の中に状況を思い浮かべながら、推測を口にする。それを聞いたヒロシは、なるほどと頷きながら周囲を見回す。


 イエローウッド区にしては珍しい事に、ここら近辺は鉄筋コンクリート構造の建物が多く、更に事務所的な扱いをしているのか雑居ビルのような建物も密集している。だからトージが言うような裏路地が結構多い。


 ヒロシはちょこちょこと裏路地を覗き込み、結構なゴミの散乱具合を見て、顎先を撫でつける。


「これだけゴミだらけなら、即席の武器とか用意出来そうだよなぁ……しかもユーヘイの事だ、待てだの止まれだの大声で叫びながら追ってただろうから、俺なら路地裏に駆け込んで誘導して、ちょうど良い場所の死角から不意打ち、かな。大声だして自分から場所を特定させてくれるだろうからな」


 ちょうど良い具合の角材が転がってるのを眺め、ヒロシが俺ならそうすると断言すると、トージはドン引きした表情でヒロシを見る。


「……縦山先輩、怖いっす」

「そう? 最近の黄物のAIって人間味を増して来てるから、それぐらいの底意地の悪い対応すると思うぞ?」

「……否定出来ないっす」

「だろ?」


 トージが重苦しい溜息を吐き出し、ヒロシは楽しそうに微笑を浮かべていると、無線が鳴った。


『こちら吉田。レオパルド、確保した』

「「おおー」」


 ダディからの無線に二人は顔を見合わせ、それぞれ小さく拍手をする。


『レオパルドを運転していたのは、新八しんぱちがいでパブを経営している女性。アホなのか警察車両である事を知った上で乗っていたらしくてな、こっちを散々煽ってくれたよ。どうやら知人にレオパルドを渡されて、その上で買い出しを頼まれたようだ。それで購入した品物を新八しんぱちがいの自分の店で受け渡す予定だったとさ』


 続くダディからの情報に、ヒロシは厚い唇に指を当てて考え、ネックマイクに手を伸ばす。


「ユーヘイとアツミの居場所は知らない?」

『聞いてないようだ。頼んできたのはパブの常連客で、買い出しをしてくれれば好きな宝石を一つプレゼントするって約束だったらしい。何でも前にも宝石をプレゼントされたから、今回も約束を守れば宝石を貰えると思っていたらしい』

「「……」」


 ヒロシとトージは顔を見合わせる。


「常習犯、か?」

「何かっぽいですね、これ」


 ヒロシはトージが言っていた、またぞろ変な組織が出てくるんじゃないか、の言葉を思い浮かべたが、それを振り払うように首を横に振る。縁起の悪い事は考えてはマジでフラグに鳴ってしまいかねない、そう考えを片隅へとぶん投げてネックマイクを操作した。


「それじゃ、そのパブとやらで合流しようか?」

『了解した。場所は――』


 ダディから住所を聞いて、二人は踵を返し新八しんぱちがいへ足早に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る