第259話 受難 ⑥
ヒロシ達が貴金属店で強盗の聞き込みをしている一方、ダディとノンさんはなんとレオパルドを発見して追跡している最中であった。
「前方の車! 停車しなさい! 今すぐ速度を落として停車しなさい!」
ダディがマイクに向かって怒鳴るが、眼の前を走るレオパルドは、こっちを挑発するように尻を振り、山さんが悪乗りしてチューンナップしたエンジンの能力をフルに使い、加速してこちらを引き離そうとする。
「停車しなさい!」
叫び続けているダディの横で、ノンさんは禁煙パイポの吸口をギャリギャリ噛みしめ、必死の形相でハンドルを握りしめていた。
「こういう時こそチェイス用のインスタントダンジョン起動でしょうに! 何でダンジョンに入らない!」
これまでのクエストでも度々あったが、車で逃げる犯人を追跡している最中は、チェイスと呼ばれる特殊な状態になり、市街地で被害などが出ないようインスタントダンジョンに飛ばされる事が常識となっている。
今現在、間違い無くチェイス状態になっているはずなのに、全くインスタントダンジョンへ突入する様子が無い。なので普通に通行している一般車両の間を縫うように、ノンさんはレオパルドを追跡しているのだが、これが実に心臓に悪い。
「ぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁっ! こっちに来んなぁっ!」
眼の前のレオパルドが大暴れしている影響で、反対車線を走っている車がハンドル操作を誤り、結構な頻度でこっちへ突っ込んでくるのだ。それを何とか反射神経だけで避けながら、ノンさんは必死にハンドルを動かす。
「あたしゃユーヘイやらトージ程車の運転が得意って訳じゃないのよっ?! さっさとダンジョン起動してぇーっ!」
妻の悲鳴を聞きながら、ダディは何となくインスタントダンジョンが発生しない理由に気づいていた。
これまでインスタントダンジョンが発生したのは、クエストの最中。一応、今もクエストを受領している最中ではあるが、もっと個別の状況、今追跡している犯人専用のクエストを受領していなければ、チェイス状態と認識されないのではなかろうか、そう予想を立てていた。
「大丈夫、落ち着いて。大きく動かなければ周囲の車の方から避けてくれる。問題は反対車線から飛び込んでくる車だけだから、そっちだけ注意して」
「簡単に言ってくれるよぉっ!」
禁煙パイポをスパスパ吸い込み、柑橘系の香りを車内に充満させながら、ノンさんがムキーと叫ぶ。
妻ならば大丈夫、自分よりかは反射神経も運動神経もダンチだし、すぐにこの状況にも順応するはず、ダディはそう信じてマイクに向かって叫ぶ。
「前の車! 停車しなさい!」
これで捕まえられたら苦労しないんだけどなー、ダディは内心でそう思いながら、どうやってレオパルドを止めようか考えを巡らせる。
「ダンジョンかーらーのーどっかの廃工場ってパターンが出来ない! どーすんのよこれ!」
ノンさんもこのまま追跡し続けても埒が明かない事を認識しており、マイクに向かって叫び続けているダディにチラリと視線を送った。
「レオパルドの向かう場所を誘導出来れば良いんだけど、その為には横か前に出ないと無理なんだよね」
解決方法はあるにはあるが、それには決定的に足りない事がある。ダディの言葉を聞いたノンさんが、握っているハンドルを叩いて叫ぶ。
「この子はそこまでチューンナップしてないでしょ!」
「そーなんですよねー」
つまり、車の性能が足りない。
レオパルドは元ネタでも結構なとんでも性能を発揮していたから、ユーヘイも山さんが悪ノリして改造する事を止めはしなかった。だからエンジンの馬力がまず違うし、加速性能も足回りも何もかも化け物クラスにチューンナップされている。
ではダディのピックアップトラック、ティラノはどうか? と問われれば、ほぼドノーマル状態である、と断言するしか無い。
言い訳をさせてもらえるのならば、そもっそも犯人を追跡する場合、確実にユーヘイが先陣切って突撃をかますだろう事は間違いなく、そうじゃなくても後詰めにヒロシかトージはいるわけで、自分達はそのサポートやらフォロー、小回りが効く諸々を担当するだけだから、純粋なる車の性能は必要ないだろう、という認識であった。
まさかそれが裏目に出るとは……今回の事が終わったら、自分のティラノも山さんに魔改造を頼もう、ダディはそう心のメモに書き込む。
「どーすんのよ!」
「どーしようねー」
まだ一般車両が邪魔をしてレオパルドの性能を完全に発揮出来ない状況だから、何とか食らいついているが、それでもジリジリと距離は開いていくばかり。このままではそのうち逃げられてしまうのは確実だ。
呑気に返事を返しているが、ダディの瞳は忙しなく呼び出したマップをしきりになぞっている。どうにかしてレオパルドを罠にはめる方法はないか、必死に考えている。
『よぉ、ちょっと確認しても良いか?』
そんな閉塞感に満ちた車内に、誰かからの無線が入った。
「……誰?」
ノンさんが眉根にシワを寄せて呟く。だが、ダディは無線の相手が誰であるかすぐに分かった。
「どんな確認かな? 不動所長」
ぶっきらぼうでボソボソと喋る独特な口調、イリーガル探偵を束ねる大手ギルド『不動探偵事務所』の所長、不動 ヨサクその人であると確信を持ってダディが聞くと、不動は舌打ちをしながら続ける。
『もう所長じゃねぇよ……それより、そこの金ピカって大田 ユーヘイの車じゃねぇのかよ』
何か聞き捨てならない事を言われたような気がしたが、ダディは不機嫌そうな不動の口調からそれに突っ込みを入れては駄目だと空気を読み、サラリと流して質問に答えた。
「ちょっといつものユーヘイクオリティ発動中で、眼の前の車は盗まれちった」
『……何やってんだよお前ら……黄物で不動のトップオブトップだろうが』
あっけらかんと言うダディの言葉に、不動が心底あきれたような口調で吐き捨てる。しかし、ダディはカラカラと笑って返した。
「トップオブトップかどうかは興味無いけど、楽しいからよし、って感じだね」
『……そうかよ』
ちょっと悔しそうな感情をにじませる不動。そんな相手の様子にダディはルームミラー越しにこちらを見ているノンさんへ、おどけたように肩を竦めて見せる。
「なーんで攻略組とかって呼ばれてる連中は、こう、同じような事でつっかえるんだか」
「それは言わないお約束ですよ、おっかさん」
「はぁー面倒臭い」
VRゲームあるあるだが、有名プレイヤーになってやる、とか、ゲーム攻略最前線で活躍してやる、というタイプのプレイヤー程、ちょっとした事で壁にぶち当たる。そして、それらを楽しんで乗り越えていくようなタイプのプレイヤーを嫉妬して、とっても面倒臭い状態へと自分を追い詰めていく。確実に不動はその状態に陥っているだろうと見抜いたノンさんは、やれやれと呆れたように禁煙パイポを上下に揺らす。
ただダディはノンさん程不動の事を面倒臭いとは思っていなかった。同じ男の子同士であるし、そういう見栄と言うか意地と言うか、やっぱり同性だから共感できる部分はある。この手の壁と言うのは結局のところタイミングだったり気づきだったり、あるいは誰かからの信頼やら信用がきっかけになったりするものだ。だからダディは、これがそのきっかけになれば良いな、と気楽に考えながら不動に依頼した。
「見えてるんなら助けてよ。こっちはちょっと車の性能が足らんくて、どうにも手が出ないんだ。君なら何とか出来るんじゃない?」
『……』
何でそんな面倒臭い事すんのよ、とノンさんが目で訴えてくるが、ダディは手をヒラヒラと振って不動の出方を待つ。
『ちょっと車に傷がつくけど、文句は言うなよ?』
「言わない言わない」
『そのまま真っ直ぐ追い続けろ』
「了解」
ぷっくりと不満気に頬を膨らませるノンさんの肩を軽く叩き、不動のオーダー通りにするよう頷くと、ノンさんは面倒臭そうな溜息を吐き出してアクセルを踏み込む。
やがて前方に陸橋が見えてくると、その陸橋に黒いソフト帽に丸いレンズのサングラス、ど派手なカラーシャツに原色のネクタイ、黒い上下のスーツを着た特徴的なプレイヤーの姿が見えた。
元ネタ方向に思いっきり寄せた感じの服装をした不動は、懐から拳銃を取り出して陸橋に設置されている信号機へ銃口を向けた。
「おいおいおいおい」
「そっちは物語じゃ無くて、蘇るなんちゃら!」
彼が何をやるか理解したノンさんは、レオパルドの進路上から車を避け、ダディはシートベルトをギュッと握りしめて両足をダッシュボードに固定する。
不動は信号機に向かって銃弾を乱射し、そのまま信号機を真下へ落下させた。それはレオパルドの鼻先をかすめて落ち、その事に動揺したレオパルドの運転手はハンドルを切って急ブレーキを掛け、車を盛大にスピンさせる。やがて近くを通りかかった乗用車に軽く接触しながら停車した。
「む、無茶苦茶やるわね、アイツ」
車をドリフトさせるように急停止させて、ノンさんが呆然と呟き、ダディもそれに頷き返しながら無線を繋げる。
「ありがとう助かったよ。また今度、一緒にクエストやろうね」
『……気が向いたらな』
陸橋の上にいる不動に小さく手を振って笑いかけると、彼は特徴的な厚い唇に苦笑に似た微笑を浮かべ、ちょっとだけ柔らかくなった雰囲気を隠すようソフト帽を深く被り直しながら、人混みの中へ消えていったのだった。
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