第234話 悪意 ①
輝きが消えた胸元を確認してから、アツミは腹の底から絞り出すような溜息を吐き出し、崩れ落ちる様に座り込む。
気合と根性、それから完全なるやせ我慢だけで動かしていた体が、全てが終わった事で緊張の糸が切れ、ほぼ腰が抜けたような感じになってしまう。
「……へへへ」
胸元を押さえている手が小刻みに震えている現実に、そんな簡単に強くなれる訳がないかと乾いた笑いが出る。
しかし、ここにもしもユーヘイやダディ、ノンさんがいたのならば、アツミの今の姿を見ても笑ったりせずに大絶賛しただろう。
何しろ彼女が達成したのは、ドッペル現象の中で最も難しいとされる結末だったからだ。
ドッペル現象の結末には、大きく分けて三つの結末がある。
一つ、完全無視による現実逃避。これはドッペルを無かった、見なかった、存在しなかった、と完全に無視して立ち向かわない結末で、言うまでもなく何も得る物が無い終わり方。
一つ、相手を圧倒した状態での克服。ドッペル現象体験者の九割がこの結末を迎える。自分自身と対峙し、自分と戦い、その上で自分のトラウマを克服するように乗り越えるタイプの終わり方。
そしてエクストリーム結末が、自分と向き合って自分を受け入れる融合とか融和などと呼ばれる結末だ。
トラウマそのものを呼び出され、トラウマと直接戦い、その上で自分を否定しないで受け入れるという、完全に悟りとか啓蒙とか言うレベルの偉業を成し遂げる終わり方である。
ちなみにユーヘイ、ダディ、ノンさんもこの終わり方を迎えており、なのでトージの時に過剰とも言える対策を練った訳だ。
それだけハードな事を成し遂げたのだ、アツミが激しく消耗するのも無理も無い。
「困ったなぁ……しばらく動けそうにないや」
腰から下に全く力が入らない状況に、アツミは力無く呟き、虚脱した表情で何も無い空間を見上げる。
「……怖かったけど、へへへ」
虚ろな瞳で虚空を見上げながら、アツミは震える指先で額を撫でる。そこにはまだ、ゴム弾が優しく当たった感触が残っていて、何となく温かい気分に浸れた。
「……」
何かを噛み締めるような表情で瞳を閉じるアツミは気づかなかった。周囲の状況が変化していく様子を。急速に砂塵が舞う、赤茶けた空気が吹き荒ぶ世界へ変貌していく事に気づかない。
そして、彼女に向かって伸ばされる巨大な
――――――――――――――――――
ゲートキーパーの動きが変貌し、村松と協力して色々と試行錯誤を繰り返しても突破口が見当たらず、停滞した空気が流れている時にそれは起こった。
「吉田さん! ゲートキーパーの動きに変化が!」
最初に気づいたのはトージであった。それまで一直線にこちらへ向かってきていたゲートキーパーが、唐突にその進行方向を変えたかと思えば、今までよりも機敏に動いて別の場所を目指し始める。
「今度は何だよ」
自分がやっていた時よりも殺意が増したゾンビ・オブ・ドライバーにうんざりしていたダディが、面倒臭い感じにゲートキーパーの姿を追い、ゲートキーパーが向かっている方向の変化に気付くと、運転席上部のルーフが凹むような勢いで拳を叩きつけて叫んだ。
「ゲートキーパーが向かう先に回り込め! 全速力!」
ダディの剣幕に驚きながらも、トージはすぐにハンドルを切って、ゲートキーパーの前に回り込むルートを爆走する。
「っ! くっそっ! 間に合えっ!」
方向を変えた事でトージにもその光景が目に入り、ハンドルに拳を叩きつけながらアクセルを踏み込む。
「アツミさん?!」
「え?! 気づいてない?!」
それはジュラとスノウにも見えた。疲れたようにペタリと地面へ座り込んだアツミが、目を閉じた状態でピクリとも動かずそこにいる様子を。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ!」
ゲートキーパーはこれまでの緩慢な動作が嘘だったような、それこそアスリートのような機敏さでアツミに近づき、その巨大な
『アツミ! アツミ! 浅島 アツミ!』
無線から村松の必死な叫び声が響く。だが、その無線はアツミには届いていないらしく、彼女の反応は見られない。
「届くか?!」
ダディはスナイパーライフルを構え、スコープを覗き込みながら狙いをつけ、体感的には届かない距離感に歯噛みをしながら、当たってくれとトリガーを引く。
「っ!?」
ゲートキーパーには届かなかったが、ライフルの銃声はしっかり聞こえたようで、銃声に驚いたような動きをしたアツミが、慌てた様子で周囲を見回し、自分へと腕を伸ばすゲートキーパーの姿に硬直する。
「浅島先輩! 逃げて下さい!」
「「アツミさん逃げてぇ!」」
そこで止まったら駄目! と車内にいるトージ達が叫ぶが、アツミに届く訳も無く、ゲートキーパーの手でアツミの姿が完全に隠されてしまう。
「浅島先輩!」
トージの悲痛な叫びが車内に響き、ジュラとスノウも口に手を当てて、絶望の表情を浮かべる。
「町村! このまま突っ込め!」
誰もが絶望に支配されそうになる中、ダディだけはそれに抵抗するよう吠える。
「間に合う! 間に合わせる! 絶対に助けてみせる!」
ライフルのボルトハンドルを操作し、空薬莢を吐き出して新しい弾を込めながら、ダディはゲートキーパーを鋭く睨む。しかし、その表情はすぐに怪訝そうなものへと変化し、次の瞬間には気の抜けた表情へと変わり、そしていつもの飄々とした笑顔に戻った。
「流石、メインヒロイン、格が違った」
余裕を取り戻したダディの呟きに応じるよう、ゲートキーパーの手の中から雄々しい咆哮が轟く。
「おおおぉぉぉぉおおおぉぉぉぉぉっ!」
咆哮と共に何度も雷鳴のような爆発音が連発して響き渡り、そしてゲートキーパーの野太い腕が上方向へ弾かれるように持ち上がった。
「ウチのモンにお触りしようなんて百年早いわっ! 生まれ直して来なさいっ!」
警棒を持つ右手を血振りするように払い、左手に持つ巨砲と呼ぶべきリボルバーの銃口から白い煙を立ち昇らせ、仁王のように立ち塞がるノンさんが覇気に満ちた声で叫ぶ。
「格好つけてる場合かっ!」
そんなノンさんに突っ込みを入れるのはユーヘイ。その腕の中には呆然とした表情を浮かべるアツミをしっかり確保していた。
「いやいや今回もハードっぽいなぁ、おい」
そこへ後部座席にらいちとユウナを乗せたヒロシが、楽しげな苦笑という相反する笑みを浮かべてバイクを寄せる。
「こんなデカいの、どうやって倒すんだ?」
ゲートキーパーを見上げながらユーヘイが呆れた口調で呟けば、ヒロシはらいちとユウナが大丈夫だったのかを確認しながら、ユーヘイに視線を向ける。
「ユーヘイも知らないゲーム?」
「いや……どっかで見たような? 配信で見たかな?」
ゲートキーパーから視線を外さずにユーヘイが首を傾げれば、同じくゲートキーパーを見上げていたユウナが、自分に抱きつくようにしているらいちに視線を向ける。
「これって、ジュラ先輩がやってませんでしたっけ? 案件か何かで」
「えっと……出そう……ええっと、確か燃えた奴だったような?」
「サラス・パテ、結構炎上した案件多くて特定難しいんですけど? らいちっち」
「否定出来な、あーあーあーっ! 思い出した! ゾンビ・オブ・ドライバーだっ!」
らいちの叫び声を聞いたユーヘイが、何とも情けない表情を浮かべて、『たはぁー』と疲れきった妙な息を吐き出す。
「よりにもよって成長するクソゲーかよ」
ゾンビ・オブ・ドライバーを端的に評価する説明を聞いたヒロシは、そいつはまた、と呆れた表情でゲートキーパーを見上げる。
「今回も楽しい事になりそうだな、本当に」
ズレたサングラスを軽く戻し、ヒロシが楽しげに呟くのを聞き、ユーヘイも情けない表情を隠すようにサングラスをかける。
「ま、どんなゲームも楽しんだモン勝ちではあるからな。それがクソゲーだろうと、ね」
さて、どうやって切り抜けようか、ユーヘイはニヤリと笑いながら、こちらへ向かってくる頼もしい仲間達へ片手を挙げた。
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