第232話 真野 温香 ②

 ストーカーリスナーの顔が、息が届きそうな至近距離まで近づき、VRなのに体が拒絶反応を引き起こし吐き気がこみ上げてくる。


 もう駄目だ、そう心が悲鳴を出す。現実世界で襲われた時は、もう何も出来なくて、ただただ丸くなって全てが終わるのを持っていた。だけど今回は悔しくてムカついて、せめてもの抵抗とばかりに心を奮い立たせて睨みつけた。


 もうすぐ相手の唇が触れそうな距離まで近づき、アツミは顔を真っ青にしながら気丈に相手を睨みつける。


『観念するんだね』


 ――誰が観念なんかするものですか!


 怖くて恐ろしくて逃げ出したくて、だけどアツミは負けてなるものかと必死に心を奮い立たせた。


 そのアツミの心意気に応じるように、それは彼女を助けるためにやってくる。


『『っ?!』』


 空間と空気を切り裂いて何かが飛来し、ストーカーリスナーと老婆のこめかみに命中した。


「え?」


 バッチン! と乾いた音で弾き飛び、二人がたたらを踏みながら、その何かが飛んできた方向へ顔を向ける。そこへ『待ってました!』とばかりに何かが次々と飛来し、二人の両目、鼻の下、喉元へ次々と何かが命中していき、二人はその衝撃で真横へ吹っ飛んだ。


 何が起こったのか分からないアツミは呆然とその様子を見ていたが、ストーカーリスナーに最初に当たった何か、当たって弾けたその欠片がゆっくりと落下し、コツリとアツミの額に当たった。


「っ! あ……」


 まるで優しく指先で『ツン』と突かれたような感触。つい最近体験したばかりの、嬉しい記憶が呼び起こされ、アツミは慌てて額を押さえてその感触を逃さないように押し付ける。


「ユーさん……」


 それは前回イベント後の打ち上げの時、場の雰囲気に酔ってついついらしくもない、本来ならばVRゲームではタプーとされる人生相談をした時の記憶――




「逃げてる、ね」

「うん」


 今がとても楽しく、毎日がビックリするくらい美しく見え、だからこそこゲーム以外では全く進んでいない諸々の状況や状態が嫌でも理解出来てしまい、そんな自分が嫌で嫌で仕方が無くて……そんな事を一人でみんなの様子を眺めていたユーヘイに、ついつい相談という形で聞いてしまった。


 自分的にはドロドロしてネチネチして、そんな粘着質な何とも出来ない嫌な気持ち、それをストレートにユーヘイへぶつけたのだが、彼はキョトンと少し幼い表情を浮かべて、しかし次の瞬間には楽しそうに肩を震わせて笑い出す。


「ははははははははは」

「……」


 相談だと思っているのは自分だけなのか、それともユーヘイ的には笑ってしまうくらいにつまらない話だと思ったのか、どっちにしても笑われた事が悲しくて辛くて、アツミはムッとした表情を浮かべながら唇を尖らせる。


 それを見たユーヘイは『違う違う』と手を振りながら、何とか笑いを引っ込めて、何度か呼吸を整えてから口を開く。


「いやいや、ごめんごめん。馬鹿にしたとかくだらないとか、そういう感じに思ったんじゃなくてね……みんな、同じような事で苦しむんだなぁって思ったら面白くなっちゃって、さ」


 ユーヘイは懐からタバコに見えるお菓子を取り出し、トントンと叩いて一本取り出す。イベントの報酬で早速ゲットした、タバコっぽい煙のエフェクトをまとい、ふぅ~と紫色の煙を吐き出す。


「みんな同じ?」


 アツミが意外そうな表情で聞き返すと、ミントシガーをタバコのように手で挟み、その持った方の手の親指で額をコリコリ掻きながら、ニコリと明るい笑顔を向けてくる。


「大なり小なり誰だって苦悩ってのはあるさ。タテさんやダディにノンさん、俺だって前は色々悩んではいたし」

「ユーさんが?」

「まぁ、ね」


 少年のような笑顔を浮かべて、少しおどけたように片目を閉じながら苦笑を浮かべたユーヘイは、ミントシガーを口に咥えて揺らす。


「まぁ、俺なんかは心底くっだらない悩みだったけど」

「くだらない?」

「はははは、なんせ外見の悩みだったから、さ」


 ユーヘイは後頭部を撫でつけ、紫色の煙を吐き出して遠くを見るように視線を上向ける。


「他人よりかなり顔が怖いんだよ。それこそ普通に街を歩いてても警察に職質を受けるくらいに、結構な犯罪者顔をしてるんだ俺」

「あー」


 ユーヘイの言葉にアツミが声を出す。それはパルティにこっそり見せられた、プライベートの彼の姿を思い浮かべ、思わず声が出てしまった。


「両親もなかなかの面構えをしててな。父親は今でもヤクザの大親分に勘違いされるし、母親なんかもヤクザの情婦に見られるって感じでさ。そんな二人から生まれた俺だから、そりゃぁ納得するわな」

「……」


 くっくっくっくっとおかしそうに笑って、ユーヘイはミントシガーをカリリとかじる。


「学校生活なんかも悲惨だったし、それこそ社会に出てからも報われないって感じだし、だから随分と両親を恨んだよ」

「え? ユーさんが?」

「そんなに出来た人間じゃないぜ? 俺だって」


 アツミが意外と言えば、ユーヘイは苦笑を浮かべて軽く首を横に振った。


「前に進まない、停滞してる。こっちは頑張ってるのにどうして誰も自分を理解してくれない、評価すらしてくれない。俺が何をしたって言うんだ、ふざけるな」

「っ!?」


 淡々と言われた言葉に、アツミはドキリと自分の胸が弾むのを感じる。まさしく自分が思っている事に近い言葉を言われ、心を見透かされたような気になってしまった。


「まぁ、視野狭窄なんてあるあるだよねぇ」


 いたずらっぽく微笑むユーヘイに、アツミは何となく面白く無くて、ぷぅっと頬を膨らませて唇を突き出す。そんなアツミの肩にユーヘイが手を置く。


「一番重要なのはさ、自分を自分が嫌ったら駄目って事かな」

「……」


 大きくてゴツゴツした手の感触に少しドキドキしながら、ユーヘイの言葉に首を傾げる。


「苦悩の本質ってさ、他人がーって部分は実は一割も含まれて無いんだよ。9割方自分を嫌い、蔑み、痛めつける、って感じ。だから逃げ場が無くなるし、自分を自分が殺そうとするから追い詰められる。誰も自分を理解してくれないんじゃなくて、まず自分が自分の事を理解しようとしてないから苦しい、そこに気付けない」

「……」


 ユーヘイの言う事に何となく心当たりがあって、アツミはギュッと胸元を掴む。そんな彼女の様子をチラリと見ながら、ユーヘイは肩から手を離しておどけたように肩を竦めて苦笑を浮かべる。


「なんてね。偉そうに言っちゃったけど、完全に親からの受け売りなんだよなぁ、これ」

「え?」


 片目を閉じてチャーミングに笑いながら、ユーヘイは頬をコリコリと指先で掻く。


「お前の親だぞ? お前よりもっと貫禄ある悪人ツラだぞ? 俺がどれだけ自分の顔の事で思い悩んだと思ってる? って爆笑されながら言われたよ。それで他人と違うのがそんなに大罪なのか? って聞かれた。普通に生きてる事も許されない位に悪い事なのか? ってね。そこまで言われて初めて自分が自分を徹底的に嫌ってる事に気づいたんだよ」

「……」


 ユーヘイの言葉にアツミは少し自分が恥ずかしくなった。そして、彼をうらやましく思った。こんなに自分の嫌な事を語っているのに、彼からはマイナスの感情が全く伝わって来ない、それのなんと爽快で格好良い事か。


「俺の場合はきっかけは両親との対話だったけど、あっちゃんのきっかけは何だろうね。もしも俺の話がきっかけになったなら光栄だけど、さ」


 ユーヘイは爽やかにウィンクをすると、苦しそうな表情を浮かべているアツミの額を優しく『ツン』とつついた。


「少なくとも俺はあっちゃんの事、凄いイカした女だって尊敬してるぜ?」

「あ」


 つつかれた額からじんわりと温かい熱が伝わり、ちょっとだけ心が浮き上がるのを感じて、ヒロシ達に呼ばれて歩いていくユーヘイの背中を視線で追う。


 ユーヘイはそれ以上何かを言わず、ただ軽く片手を挙げてヒラヒラさせながら行ってしまった。




「……」


 あの時の熱が、ユーヘイの笑顔が、アツミに勇気を与える。


「自分を殺すのは自分」


 アツミは吹っ飛んだ老婆をチラリと見て、それから倒れているストーカーリスナーを睨む。


「ユーさん、やってみる私」


 アツミは懐のガンベルトからリボルバーを取り出すと、勢いよく立ち上がって走り出した。

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