第231話 真野 温香 ①
何も見えず、何も感じない漆黒の闇。アツミは震えて怯え、一条の光も刺さないそこで丸くなってうずくまっていた。
先程まで一緒にいたノンさんはおらず、コラボ相手のジュラとスノウの姿も無い。
気がつけばこの闇の中にあって、そして何も出来ず動けずにいる。
時間の経過も感じられない。だからどれくらいここにいるかも分からない。数秒? 数分? それとも数時間? 分からない、分からないけれどアツミにとっては永遠にも感じられる時間ここにいるように感じていた。
『いつもそうだよ』
「っ!?」
唐突に聞こえてきたしわがれた老婆の声にビクリと体を震わせる。
『いつでもいつもそうだ。あんたはいつでもどこでもそうやって誰かが助けてくれるのを待っている。滑稽じゃないか、勇気を出して飛び出した世界なのに、結局はそうやって動けず何もせず、すがりつける誰かを待ってるんだからさ』
「っ」
まるでこちらを全て見透かしているようなその言葉に、アツミはキツく唇を噛む。
『どうしたのさ、自分は特別なんだろう? 誰もを魅了する歌手になるんじゃないのかい? だってぇのに震えて怯えて動かない……あーやだやだ、全くなんて醜いんだろう』
「っ」
自分にとって心の内の最も柔らかい部分を攻撃されて、それでも言い返せずに唇を白くなるまで噛む。悔しい、反論したい、そう気持ちが動くのだが、問題なのはそれが自分の声だと分かってしまう事だ。
アツミの脳裏に浮かび上がるのは、この場所に来る前に見た、自分だと感じた老婆の姿であった。つまりはこれは自分自身が思っている事を語られていると言う事でもあって、そこまで頭が回ると自分の心が萎えていくのを感じる。
『誰かが助けてくれる? 誰かがきっと救い出してくれる? 結局は毎回毎回同じ目に合うってのに、それでも震えて怯えてうずくまって無様にしがみつく、助けてくれる誰かを待って自分からは動かない、無様だねぇ』
ねっとり絡み付く、ゆっくりと耳から脳髄に侵食していく毒を流し込まれているような錯覚に、アツミは必死に丸くなって両耳を力一杯押さえている。だが、そんな抵抗を嘲笑するように、その老婆の声は直接脳へ語りかけるように響く。
『芸能界を追い出される時、事務所から退所する時、あんたは思ったハズさね……あの男の言う通りに、体を売れば良かった、ってね』
「そんな事思ってなんかいないっ!」
老婆のセリフをスルー出来ずに叫べば、その老婆の顔が目の前に現れ、ニタリと口が避けたような笑みを浮かべた。
「ひっ!?」
『ふぇふぇふぇふぇふぇ、本当に?』
厚化粧と呼ぶにはもっと酷い、まるで歌舞伎役者のように真っ白な白粉を顔にベッタリと貼り付け、子供がいたずらでもしたような口紅使いで、耳に届くような大きさで唇を作り、アイシャドウも頬紅もべったり塗りたくられている。
それだけでも恐ろしいのだが、アツミが恐怖を覚えるのは老婆の瞳だ。
目線は自分を確実に捉えているのに、こちらを見ていない。眼球はこっちを向いているのに、自分を写していない。自分と同じ茶色の瞳をしているが、どこまでもどこまでも落ちていきそうな奈落が宿っているような
何より恐ろしいのは、心を全部覗かれているような気分にさせられる事だろうか。自分が丸裸で立っているような錯覚すら覚える。
『あたしのように男に寄りかかって寄生して生きてりゃ、楽に生きられたのに。果たせぬ夢を追いかけて、なれない野望に押し潰されて、結局はやっぱり男に邪魔をされる……あんたの人生なんてそんなモンさね』
口を震わせ体を震わせ、早くて浅い呼吸は全然体に空気を送り込まず、それでもアツミは自分を守るように自分で自分の身体を抱きしめながら、老婆から逃げようと足を動かす。
『無駄だよ。あんた如きじゃここから逃げ出せやしない』
老婆は咳がかすれたような笑い声を出しながら、顔の下から枯れ枝のような腕をニョッキリ生やすと、アツミの左足首をガッチリ掴む。
『あんたには特別な客を用意してるんだ』
老婆の顔が狂気に歪み、奈落のような目の瞳孔が爬虫類のような動きで細まった。
『そら、相手をしてやりな!』
「っ!?」
アツミの右足首を老婆ではない、男性の手が掴み、その生えた腕から二度と出会いたく無かった人物の上半身が、闇から抜け出すようにして現れた。
「ひぅっ!?」
それはVラブ、
新VR法によって以前とは違い、ストーキング行為も重犯罪として裁かれるようになった。そして眼の前の男性リスナーも、現在確実に刑務所で服役中である。だから、この場に絶対居ないはずだと確信を持って断言出来るのだが、理性と心は別物。いざその姿が視界にあるだけで、ただひたすらに恐ろしくて何も考えられず、ただただ意味をなさない声を出して逃げる事しか出来なくなる。
『ふぇふぇふぇふぇふぇ! 初めての客としてふさわしい人物だろう? お前なんてクズでグズな女を殺したい位に愛してくれる。そんな相手に初めてを捧げられるなんて、幸せな事じゃないかぁっ!』
「いやぁっ! いやぁあぁっ!」
老婆の言葉に襲われた当時の記憶がよみがえる。
まだサラス・パテでもリスナーからのプレゼントを受け取っていた時代があった。アツミはその当時、サラス・パテのエースだったから送られてくるプレゼントも多く、チェック体制が整っていなかった時期だった事も重なり、ストーカーリスナーから送られてきたプレゼントのチェックが漏れてしまう。
そのプレゼント、超小型装置が埋め込まれたぬいぐるみストラップを使っていたアツミは、事務所近くでストーカーリスナーに襲われて、路地裏に連れ込まれてしまう。その時、たまたま近くを通りかかったサラリーマン男性に助けられて事なきを得たが、着ていた服を破かれ、下着を剥ぎ取られ、と結構ギリギリな所だったのだ。
その時にストーカーリスナー男性に囁かれた言葉が――
『これだけ愛しているんだから、ラリは幸せだよね。ずっとずっと愛し続けるから、ラリの全てを俺に寄越せ』
である。実に身勝手かつ自分本位なその言葉は、アツミに男性恐怖症というトラウマを刻みつけ、更には人間不信という余計なモノまで寄越す言葉でもあった。
かつては力づくで、暴力すら振るわれて自分を組み敷いた男の姿に、アツミは暴れながら必死に抵抗する。だが、そもそもの腕力が違うからか、徐々に体を押さえつけられてしまう。
こみ上げてくる吐き気、頭から足先まで全ての体温がサッと失せていくような感覚、眼の前がチカチカと光って何も見えず感じず、全部が全部台無しになってしまうような消失感に、勝手に瞳から涙があふれる。
どうしようもなくて悔しくて、だけど怖くて恐ろしくて、もう何も出来なくなりそうになって、それでも必死にアツミは声を出し続ける。
「た、すけて……たす、けて……たすけ、て……ごめんなさい、ユーさん……」
――――――――――――――
ピラミッド君を倒し、世界がサーフヒルから別の世界へと入れ替わろうとしている、妙に極彩色な光景を呑気に眺めているユーヘイ。
それは他のメンバーも同じで、ヒロシも普段見る事が無い光景を楽しそうな様子で見ているし、ようやっと苦手な場所から開放されたノンさんは、自分がしがみついて迷惑をかけていたユウナに平謝りをしていたりした。
誰もが少し弛緩し、気を抜いてリラックスしていた状態で、次なる試練を前に心を休めていたのだが……。
「っ」
「「「「っ!?」」」」
唐突にユーヘイの体から巨大な殺気が圧力となって放出され、誰もが驚いて何も言えない状況の中、西部劇のガンマンなんか目じゃない速度で拳銃を引き抜いたと思えば、鋭い顔つきで何もない空間に向かってトリガーを何度も引く。
誰もが何も言えない空間に、排出される空薬莢が地面を叩く乾いた金属音だけが響く。
拳銃に装填されているマガジンが空になるまで撃ち続けたユーヘイだったが、やはり唐突に殺気を引っ込め、むしろユーヘイ自身が不可思議そうな表情を浮かべて、自分が拳銃を向けていた空間を、ややぼんやりと眺める。
「ちょっと、何事?」
いち早く気持ちを立て直したノンさんが、しきりに首を傾げるユーヘイに問いかければ、彼は困惑した様子でこめかみをコリコリと掻く。
「いや、えーっと?」
どう言葉にして、どのように説明すれば分からない、そんな様子のユーヘイにヒロシが軽く肩を叩く。
「何に殺気立った?」
「えーっと、何か助けを呼ばれた気がして、妙に気持ち悪い悪意と害意の塊のような気配を感じて?」
「どうして拳銃を撃った?」
「今すぐぶち殺せみたいな気持ちが膨れ上がった、と思う」
「「「「……」」」」
全く要領を得ないユーヘイの説明に、ノンさんやらいち達は困惑の表情を浮かべるが、一人ヒロシだけは何か分かったような表情を浮かべて、そういう事もあるかもね、などと軽い口調で微笑みかける。
「?」
「ま、気にするだけ無駄って事だろうさ、きっとね」
「訳が分からないんだが?」
「大丈夫さ、きっと良い方向へ進むから」
「んん?」
訳知り顔なヒロシの言葉に、ユーヘイはただただ理解不能と頭にクエッションマークを大量に生み出し続けるのであった。
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