第215話 それで? だから? で?

「大人しく眠っていれば楽だったモノをっ!」

「ご期待に添えず悪いなジジイ!」


 まるで化け猫のように爪を伸ばした老人が、完全に外見詐欺な動きでヒロシに襲いかかる。だが、本来の精神状態に戻ったヒロシは、ユーヘイに叩き込まれた戦闘技術と頼もしいユニオンの仲間、ボクシングの技術を叩き込んでくれた仲間の教えを守り、野獣のような老人の攻撃を完全にさばきいなし、逆にカウンターすら叩き込んでいた。


「がぁっ!? そうまでして承認欲求を満たせる場所に戻りたいかっ!」

「もちろん戻りたいねっ! あそこはなんてったって面白おかしく、本来の自分でいられる場所だからなっ!」

「ちっ!」


 ヒロシは笑いながら心の中で首を傾げる。どうして自分はこんなにも吹っ切れたのか、


 まだちょっと恐れている部分は残っているし、なんなら自分が持つコンプレックスも自覚出来る。出来るのだが、前まではそれを思い出すだけで胸焼けをするような感覚に襲われていたのに、今では『あーはいはい』と軽く流せる状態になっていた。


 自分に何があったのか、それはあやふやな夢のような感じで、何か楽しい体験をしたような気が……。


 老人に無抵抗に首を絞められ、一瞬気を失った時、多分そこで何か体験した……とは思う。全く思い出せないが。


 ――誰かと会ったような気がするし、妙に旨い酒を飲んだような気がするんだが……誰と会ったっけ? 次は来んなって言葉は妙に覚えてるんだが……。


 ヒロシは怒り狂った野猿のような老人を冷静に眺めながら、あやふやな夢の内容を思い出そうとする。


 ――いや、別に構わないか。何だか思い出した方が無粋って気がするし。凄い宝物をもらった気がするし。


「よっと」

「ぐがっ!?」


 大振りの一撃を受け流した動きで、そのまま老人の側頭部を思いっきり殴りつけて吹っ飛ばす。それと同時に意識を完全に切り替えた。夢の事は忘れる。ただ、何かとても大きな宝物をもらった、それだけはしっかりと心に刻んで。


「んじゃまぁ、ユーヘイが待ってるだろうから、押し通らせてもらうっ!」

「半端者がさえずるなっ!」


 猛り狂う老人の迫力に、しかしヒロシはニヤリと笑う。


 ――これって見ようによっては親父をぶちのめしてる気分になるよな……あれって親父寄りのツラだし。俺はどっちかって言うと母親似らしいから。うん、積年の鬱憤をぶつけてやろうじゃないか!


 などと不穏な事を考えているとも知らず、老人は奇声をあげて突っ込んでくる。


「しゃあぁっ!」


 伸ばした爪をナイフに見立てたように突いてくる。ヒロシはそれを冷静に拳で叩き落とし、突っ込んでくる老人の顔面目掛け、銃口を向けながら遠慮なくトリガーを引く。


「がっぐっがぁっ!?」


 バヂン! と生々しい音を立てて老人の額でゴム弾が弾け、そのままもんどりうって地面を舐める。ヒロシは素早く立ち位置を調整し、油断無く銃口を老人に向けて数回トリガーを引いた。


「しゃらくさいっ!」


 まるで弾がそこへ飛んで来るのが分かっていたかのように、老人は余裕すら感じさせる動きで飛びずさる。


「無駄無駄無駄無駄ぁっ! お前の人生は全部無駄ぁっ!」

「それで?」


 父親に似た顔で恫喝されるが、ヒロシには全く届かない。気絶する前だったら、多分萎縮しただろうが、今ではヒステリックな野猿の叫び声にしか感じない事に笑みがこぼれた。


 ――やれやれ、マジで何があったよ、俺。


 思えば、自分のトラウマは全部、父親と祖父母によって植え付けられた呪物のようなモノだったと分かる。


 毎日毎日、人格を否定される事を言われ続け、そして誰からも必要とされていないように刷り込まれる……そうやって空っぽの自分を作り上げられた。冷静に見ればとんでもない無駄な努力をしていたんだなぁ、と呆れの方が勝る。


 ――ご苦労なこって。


 父親と祖父母の無駄努力の時間を想い、ヒロシは疲れたような溜め息を吐き出す。老人はそれを嘆息だと勘違いし、血走った瞳で睨み付けてきた。


「空っぽのお前がどれだけ努力しようと空っぽのまま変わらん!」

「だから?」


 ドロドロした憎悪をぶつけるような口調で老人が叫ぶが、それをぶつけられたヒロシは柔らかな笑みすら浮かべて、軽く手を振りながら続けろよと顎をしゃくる。


「誰からも必要とされず、誰からも認められず、そしてお前はずっと空っぽのまま孤独に一人で居続けるだけだっ!」

「で?」


 ――思えばこれがデフォルトの日常だったとか……あれ? 俺ってわりと世界名作劇場レベルにヤバイ幼少時代を過ごしていたんか?


 わぁお暗黒時代、そんな見当違いの事を考えているヒロシに、老人は苛立ったように爪で抜き手を放つ。


「何者にもなれずに眠れ!」

「お断る!」


 勝手にこっちの存在を歪めないでもらいたい、少量の怒りを込めて老人の攻撃に完璧なタイミングでクロスカウンターを叩き込む。


 右手の爪による攻撃を受け流し、そのまま懐に飛び込み、コンパクトにまとまった右のストレートを顔面へ叩き込めば、拳に色々と潰れる感触を感じながら、小柄な老人の体ごと投げるようにふっ飛ばす。


「ぐがぁっ!」


 まるで水面を跳ねる小石のように、廊下を数回バウンドして吹っ飛んだ老人は、そのまま近くの壁にぶつかるまで派手に転がる。


「悪いな、こっちはもう、完全に縦山 ヒロシなんでな。何者にもならなくても、今のまま自分のままいられるのさ。それに何者にもなれなくても、きっとユーヘイ達はゲラゲラ笑いながら、そのうちそのうち何とかなる、みたいな事言いそうだし」


 ま、これはアバターだけど。そう苦笑を浮かべ肩を竦めながらヒロシが吐き捨てれば、まるで夢から醒めるように周囲の景色が歪んでいく。


「おや?」


 水に溶けていくように色が薄くなって行く周囲の様子を眺めていると、倒れていた老人がフラフラと立ち上がる気配を感じ、素早く銃口を向ける。


「それでも何者にもなれなかったら?」


 今までの狂気が消え、どこか気遣わしげにすら感じるような、そんな口調で老人が聞いてきた。


 ヒロシは撃鉄を静かに戻し、懐のガンベルトに拳銃を戻して、胸ポケットに入れていたサングラスをかける。


「別の手段を使って、自分が自分でいられる方法を探すさ」


 ――『第一分署』の、いやこのイエローウッドリバー・エイトヒルズと言うゲームで遊び続けている間は、そんなな事考えている余裕はないだろうけれど、さ。


 ヒロシがそんな確信を持ちながら断言すれば、老人は父親のような見守る表情を浮かべて数回頷くと、微かな笑みを口元に作りながら消えていった。


「それで良い、ねぇ」


 消える瞬間、老人が声にならない声で呟いた言葉、それを聞いたヒロシは『お前が言うなよ』と思いながら苦笑を浮かべる。


 老人が消えてすぐに、周囲の光景が完全に変化し終わり、ヒロシは自分がイエローウッドの第一商店街、セントラルステーション近くにあるアーケード街にいる事に気づく。


「おいおい。こんなの有りかよ」


 ユーヘイとサマーとで向かった場所からは、車でも結構な時間を取られる場所だ。これまでに無い現象に戸惑いながらも、どうにかしてユーヘイ達と合流しなければ、と周囲を見回す。


「毎回毎回、都合良くバイクがある訳じゃな――有るな」


 入り口近くのタバコ屋前に、エンジンが回った状態のバイクが放置されていて、ヒロシは周囲を見回しながらそのバイクに近づく。


「バイクのオーナーが見当たらないんだけども……」


 バイクを借りたら、そのままオーナーにプレゼントが贈られる事は知ってはいるが、そこはそれ、礼儀としてお断りは必要なのだ。だが、オーナーどころか他のNPCまで見当たらない状況に、ヒロシは微妙に嫌な予感を覚え始める。


「まーたユーヘイ現象かこれ」


 まだここで何が起こっているか理解していないヒロシは、いつもの事かぁ? と思いながらもバイクに跨がる。


「このバイクの持ち主、もし見てたら御免な。ちょっと借りるね」


 配信用のカメラがある場所に顔を向け、拝むような仕草で小さく頭を下げて、ヒロシはバイクのハンドルを握りしめた。


「よし、行くか!」


 数回エンジンを噴かし、ヒロシはユーヘイ達がいる場所に向かってバイクで駆け抜けるて行った。

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