第213話 倉持 一樹
シアタールームから飛び出すように逃げ出したヒロシは、ただただひたすら真っ直ぐ走り続けた。
全く同じような場所を、滑車を回すハムスターのように、ひたすらグルグルと走り続ける。
頭が真っ白な状態で、神話に登場するような化け物から逃げ出すかのように、完全に我を忘れて駆け抜けた。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
VRシステムが強制シャットダウン、強制ログアウトを行う緊急強制遮断処置。脳波や心拍から判断されるそれのラインは完全に越えているだろうが、最悪な事に『宇宙バカ』による飽和攻撃でシステムがバグを吐きまくり、システムの一部が凍結している影響で緊急強制遮断処置が動いていなかったのは、完全にヒロシにとって最悪の事態である。
もっと最悪だったのは、ヒロシが今いる場所、これはかつて一週間でサービス終了を迎えたカウンセリングセラピーゲーム『胡蝶の夢』のプログラムを使っていた事だ。
『胡蝶の夢』はVRシステムによるプレイヤーとのリンク状態を使い、プレイヤーが持っている記憶からトラウマとされている記憶をピックアップし、それを脚色したドラマへ落とし込み、プレイヤーがそれを客観的視点で追体験して、トラウマを乗り越えると言う、どう考えてもダメなゲームであった。
一週間でサービス終了しただけに留まらず、このゲームによって精神的な病気を発症したと言うプレイヤーが続出。最高裁まで巻き込む裁判へと発展し、運営会社が倒産するレベルの賠償金支払いが命じられる事になったのは記憶に新しい。
そんな精神的に抉るカウンセリングセラピーゲーム(大嘘)のプログラムは、その役割を十全に発揮し、ヒロシの過去を暴き出す。
『倉持んトコのたらし、また孕ませたっちゅう話だ』
『またか? 顔だけは良いからなぁ』
『今度はジジババが面倒見るんだと。何でも取引先の娘さんだったらしくてな』
『あそこのジジババも大概だがなぁ』
物心があっただろうか、それとも無意識だったのだろうか、確かにこんな会話を地元で聞いた覚えがある。
ヒロシの父は病気で他界するまで放蕩の限りを極めた遊び人だった。完全に下半身中心で生きてきた父親は、良いところのお嬢さんを絵になる美形と称えられた顔と、妙に回る口先でだまくらかし、関係を持って妊娠させてしまった。つまりは私生児である。
更に悪い事に、ヒロシの母親は祖父母が商売上の取引をしている大きな会社の娘だった事だろう。その事で祖父母の仕事は取引を打ち切られ、商売が経ち行かなくなり、経済的に完全に死ぬ事となった。
悲劇はそこで終わらず、体だけが目的だった事を知ってしまった産みの親は、心を病んでしまい自ら命を断ってしまったのだ。
その事で激怒した相手側は、そんな忌まわしい血を引いているヒロシを養育する訳も無く、父親の両親、つまりは祖父母へ押し付けた。そんなヒロシを祖父母が愛するだろうか? 案の定、ヒロシは誰からも愛されない子供として成長する事となる。
『いつまでこの家にいるんだい!』
『全く! このグズが! とっととどこかへ行ってしまえ!』
肉体的暴力は高齢と言う事もあって行われる事はなかった。むしろ同世代の子供の中でも抜きん出た肉体をしていたヒロシに、恐れて手出しはしなかったが、その代わりに言葉による暴力は日常的にぶつけられた。
バカだのクズだのは良い方で、どうして生まれたのか、どうして生きているのか、そう言う致命的な言葉を投げ掛けられる事は日常茶飯事で、正直、ヒロシが多少の歪み程度で成長出来た事が奇跡と言える。
結局、ヒロシはもうダメだと自分で判断し、自分から天照正教に助けを求め、父親と祖父母の元から逃げ出した。
その事を知られた父親と祖父母は、これ切っ掛けで完全に地域から孤立し、悲惨な生活を強いられたらしいが、ヒロシにとってはどうでも良い事である。
その後、天照正教の施設で育ったヒロシは、そこでテレビドラマと出会う。そして、役者という職業を知る事となり、彼はその職業を目指して頑張るようになるのだが……
『お前の演技には、真実味がねぇんだよ』
『どっか空っぽだよなぁ』
『人生経験が足りないんじゃねぇの?』
父親譲りの顔、絵に描いたような美形な顔、その顔のせいで苦労したが、自分以外の誰かになれる演劇の世界へ導いてくれたのは嬉しかった。だが、演劇の世界に入れたからといって大成出来る訳ではなく、必死に演者として努力する必要がある。
ヒロシは自分なりに努力し、自分なりに勉強し、自分なりに試行錯誤を繰り返して演者の道を進んでいく。だが、そこに立ち塞がったのが……幼少期の自分、過去の自分であったのは皮肉であった。
演技とは、つまりは自分というバックボーンを中心に、様々な経験を加味してそこから与えられた人物像に近しい自分を産み出す、かなりクリエイティブな作業である。そしてヒロシには、そのバックボーンが圧倒的に不足していたのだ。
つまりは幼少期に認められた、承認されなかった事が原因で、ヒロシには自己の形成という力が圧倒的に不足していた。だから、全部が全部とんでもなく嘘っぽく見える演技になってしまう。だから他の有名な俳優を手本にして演技を頑張ってみたのだが……
『なぁ、それって◯◯さんだろ? それじゃぁ演技じゃなくて猿真似だろう……お前、本当に役者志望か? 実は芸人目指してるっていうオチじゃないのか?』
『ダメ! ダメ! ダメ! 誰が物真似しろっつったよっ! もういい! お前の役は取り消しだ! 出ていけ!』
『はぁ……もう一回、訓練所に入り直して来い』
餅は餅屋、プロはプロを見抜く。ヒロシの小細工は全て見抜かれ、売れない無名役者時代が続いた。
『一樹君の演技、私は好きだなぁ』
「っ!? クソッ!」
そんな時に出会ったのが、元妻である
共に鳴かず飛ばずの無名役者同士、二人で額を付き合わせてどうやれば売れるかを相談しあったり、時には演技を互いに見せ合って意見を言い合ったりと、濃密な時間を過ごす内に意識し始め、そして恋人としてつき合う事になる。
彼女とつき合いだして、ヒロシは、一樹は初めて自分を認めてもらえるという体験をし始め、この頃から徐々に演技の質があがり、役者としての仕事が増え始める。これには元妻も奮起し、お互いがお互いを高め、徐々に役者としての知名度をあげていく事となった。
だが、一樹はこの頃に厄介な男に目をつけられ、目の敵のように扱われるようになる。
『今日もツラだけは良いなぁ、カズ』
『奥さんの不倫をどう思われますかっ!』
『撮影中のドラマの関係者がお相手だと聞いてますが心境をっ!』
そしてその情報をわざわざ週刊紙の記者にリークして、売り出し中のイケメン俳優が美貌の妻を寝取られたと言うスキャンダルをすっぱ抜かせた。
こうして一樹は身も心もズタボロの状態に落とされ、ドラマも降板する事となる。もちろん、元妻ともそこで完全に離婚する形となって関係は終了した。
元妻はその後、木葉のごり押しもあって知名度はあがったが、怪女優四之崎 茜によってボコボコに叩かれ、偽物の女優と言うレッテルを張られてしまう。それならそれで開き直って悪女系の女優として売り出すが、現在では完全に開店休業状態だとか。
一樹は一樹で、それでも役者の道を諦めきれず舞台を中心に細々と活動を続けるのだが、そこにも木葉の影響が大きく、仕事をもらえなくなって、最終的に失意の内に役者の道を諦める形で身を引いたのだった。
「そろそろ諦めもついただろ?」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
気がつけば一樹は、いや、ヒロシはどん詰まりに追い詰められ、壁にぴったり背中を押し付ける形で老人と相対していた。
老人は憤るでも憎しみを向けるでも無く、むしろ同情的な表情を浮かべ、いっそ優しさすら感じさせるような口調で、ヒロシに判決を言い渡すように終わりの言葉を告げる。
「誰からも認められない。お前は誰にもなれない。お前は誰からも必要とされない。そして、やがていつものように忘れられる」
「違う!」
「いや、違わない。もうお前はそれを魂に刻み込み、それこそが絶対の価値だと思っている。分かるっているさ」
「っ!?」
別人なはずなのに、NPCなはずなのに、その場にいる老人は、完全にヒロシ、いや一樹と全く同一の顔をしているように見えた。
「さぁ、終わろう」
不気味な、底無し沼のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべた老人が、自分と全く同じ顔をしたもう一人の一樹が、逃げようと足掻くヒロシの首に、その節くれだった弱々しい両手を添えて、万力にも似た圧倒的力で締め上げるのであった――
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