第211話 ユーらい

「っちょぉ……えっ!?」


 ふかふかの高級仕様の助手席に座っていたらいちだったが、唐突に真っ暗闇の中へ放り出され困惑の声を出す。


「どこ? えっ!? ちょぉっ!? にぎゃああぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 困惑のまま周囲を見回そうとした瞬間、ガクンと体が真下へ引っ張られ、落ちていく感覚に悲鳴をあげる。


「は? おいおいおいおいおいおいっ!」


 その悲鳴に反応したのは、サマーが消えた場所を呆然と見ていたユーヘイだった。らいちの悲鳴に反射的に上を見上げたユーヘイは、結構な高さから落ちてくるらいちの姿を確認して慌てて走り出す。


「タテさん! 援護!」


 後ろから聞こえてくる派手な足音に、ユーヘイが頼れる相棒へ指示を出す。だが、チラリと見た相棒が隠れていた場所に、ヒロシの姿は無かった。


 ヒロシが勝手な行動をするはずがないし、彼もどこぞへと飛ばされたと考えるのが自然だろう。そこまで一瞬で思考を走らせたユーヘイは、ギリィ! と歯を鳴らしてから激しく舌打ちをする。


「ちっ! 毎回毎回こんなんばっかだよっ! クソがっ!」


 相棒の援護が望めない状況で、状況を少しでも良くしようと後ろから聞こえてくる音に向かって、適当に拳銃を撃ち込む。それで少しだけ怯んだのか、足音が少し遠退いたのを感じ、ユーヘイは更に加速する。


「届きやがれっ!」


 このままではちょっと距離が足りない、そう判断したユーヘイは、トップスピードでスライディングタックルをするように床を滑る。


「しゃっおらぁっ!」


 床が砂利まみれだった事もあって良く滑り、最後のスライディングで本当にギリギリのところでらいちを受け止めたユーヘイは、彼女をしっかりとお姫様だっこしつつ吠えた。


「っ! ……痛くない?」


 ユーヘイに受け止められたらいちは、衝撃が思ったよりも軽かった事にホッとしながら、ゆっくりと閉じていた目を開く。


「すまんな。こんなオッサンに受け止められてボーイミーツガールが始まらなくてさ」


 見上げた先には、冷や汗を流して苦笑を浮かべるユーヘイの顔があり、妙にすっぽりとした感じにお姫様だっこをされているのに気づく。


「ユーヘイニキ?」

「おう」

「ええっと……ん? ぎ、ぎにゃあぁぁぁぁぁああぁぁぁぁっ!?」


 絶妙な安定感のあるお姫様だっこに、らいちが少しぽわわんとした表情を浮かべるも、背後から迫ってくる白目の兄ちゃん達を目撃して悲鳴をあげる。


 らいちの悲鳴に掻き消されてしまったが、しっかりと荒々しい足音を聞いていたユーヘイは、やばいと素早くその場から立ち上がるり、開けっぱなしになっているドアへと一直線に向かって走る。


「ひぃいぃぃぃぃっ! こわいこわいこわいこわい!」

「口を閉じて! 舌噛むぞ!」

「っ!」


 大口開けて悲鳴を出していたらいちは、ユーヘイの言葉に口を閉じ、片手でその口を押さえる。


「……」


 らいちは真剣な表情で走るユーヘイの顔を見上げ、あれ? これって一番安全な場所にいるって事では? と今の状況に気づいて余裕が生まれる。そうなるとVラブというかネット配信者の性というか、芸人魂とでも呼ぶべきエンターティナーとしての意識が顔を出し始める。


 多分これは結構な美味しい状況だろう、そう判断したらいちは、もう片方の手でユーヘイの首に手を回し、にょっきりと肩口から顔を出して、追ってくる白目の兄ちゃん達を確認する。


「すっごいあっちこっちの壁蹴ってぴょんぴょんしてるぅ……ざいぁだえっせん? ないんう゛ぃーぁずぃんでいぇーがー」

「何気に発音が良いからそれが何を意味してるか分かる! ってかやめなさいやめなさい!」

「でもまるで立体機動――」

「それ以上はイケない!」


 黄物世界において最強の安全地帯にいるという実感からか、結構ホラーな感じの追跡者、それこそわざと恐怖感を煽るような演出をしているのに、らいちは笑顔すら浮かべて、普段の配信に似たノリのトークを始め、ユーヘイが突っ込みを入れる。


 そんなユーヘイの様子にらいちはケタケタと笑い、ふと気がついて彼に聞く。


「あ、ヒロシニキはどこに行ったの? 姿が見えないけど」

「ノンキかっ! 全く」


 完全に自分のチャンネルの雑談ライブ配信なノリになるらいち。そんならいちの余裕にユーヘイもつられて余裕が生まれ、突っ込みを入れながら仕方がないなぁと言う苦笑いを浮かべる。


「多分、君と同じ現象に巻き込まれたと思う」

「ワープ?」

「ワープなのかバグなのか……さすがにクエストが妙な変化をして、って言うのは無いだろうし」

「え? 結構無茶苦茶するじゃんね? ここの運営」

「いや、さすがに刑事ドラマモノがSF風味なホラーにはならんでしょ。刑事ドラマって部分に力を入れているんだから」

「あ、それもそうか」


 そんな結構余裕のある会話をしながら、半開きのシャッターまで駆け抜け、そこをスライディングで通り抜けて外へと飛び出す。素早く地面を蹴ってシャッターから距離を取り、近くのビルの影まで走る。


「ふぅっ、降ろすぞ」

「はいはい」


 とりあえず体勢を整えようと、お姫様だっこをしているらいちを降ろそうとするが……


「……」


 らいちの膝裏と背中に回している腕と手が、まるで瞬間接着剤で接着したかのように張り付いて剥がれない。そんな状態に気づき、ユーヘイが何とも言えない表情を浮かべていると、らいちが唸りながら体をよじり暴れ、そして疲れたような溜め息を吐き出して呟く。


「ユーヘイニキ、悲報、ニキの首に回した手が離れない」

「同じく、君を支えている腕と手がぴったり張り付いて外れない」


 まるで恋人のような構図で、だが決定的に空気が悪い状態で互いの顔を見合わせ、こう来たかーと溜め息を吐き出す。


 毎度毎度、色々とバグったレベルの無理難題が用意されるが、今回のこれはこのゲームを始めてから最大の試練になりそうな予感に、ユーヘイは少し震えた。


 だが、すぐに冷静になり、こんなおかしな状況ならば強制ログアウトも必要か、と判断してらいちに指示を出す。


「その状態でシステム画面は開ける? 画面の項目にエマージェンシーって言うのがあると思うんだけど」

「ええっと」


 らいちは言われた通りにシステムを立ち上げようとするが、視界に少しノイズが走っただけでシステム画面は立ち上がらなかった。


「システム出ない……」

「……マジか……ちっ、俺のシステムも呼び出せないな」


 システムがうんともすんとも言わない状態にユーヘイは舌打ちをし、これはどういう状況なのか頭を動かし始める。


「システムが動かない……ゲームが変な挙動をする……NPCが変貌する……」


 これまでに体験した事を一つ一つ口に出して確認し、ユーヘイは小さく呻くような声を出す。


「『さいきょうおれえでたぁー』か、これ?」

「はい?」


 ユーヘイはかつて経験した事を思い出し、苦々しい表情を浮かべる。


「コンピューターウィルスに『宇宙バカ』っていうのがあって、それにコンボでもするようにして『さいきょうおれえでたぁー』っていうツールのコードを分散して仕込む。そいつを狙ったプログラムの格納場所へインストールして、プログラムに介入するっていう方法があるんだよ」

「……それって昔のVRゲームで大勢のなんたらバカを産み出した……」

「そう、それ。絶対数は少なくなって、それこそ根絶したかと思ったけど、生きてやがったかこれ」


 ユーヘイの説明を聞いたらいちは、状況的には非常に面倒臭いが、ネット配信者としてはとても美味しい事態に、悲しんで良いのやら喜んで良いのやら複雑な表情を浮かべる。


 そんならいちの様子に、逞しいです事、と苦笑を浮かべ、ユーヘイは口を半開きにして空を見上げた。


「どうしよう? どうするべき?」


 ユーヘイの疲れたような仕草に、おずおずとらいちが聞く。


「このまま逃げまくって、運営が動けるようになるまで粘る、ってのがセオリーだろうけど」

「けど?」


 空を見上げていたユーヘイは、ビルの影から顔を出して周囲を確認し、だよねぇと投げやりに呟く。


「この手のツールを使う犯罪者は、性格が歪みまくってる」


 ユーヘイは溜め息を吐き出しながら、らいちにもその光景が見えるように、体の向きを変える。彼が見ていた光景をらいちも見て、うわぁと小さく呻く。


 そこにはシャッターを引き裂いて外へと出てきた兄ちゃん達が、まるでスライムのように増殖していく様子が見えた。


「多分、アレに掴まると色々と面倒臭い事になるだろうねぇ」

「面倒臭い?」

「一番可能性が高いのは、自分のキャラクターがデリートされる、かな」

「……ないわー」

「ないわなー」


 かつて経験した理不尽な記憶に、ユーヘイは疲れた表情を浮かべ、らいちに静かにするよう促し、相手に気づかれないようその場から慎重に移動する。


 まずは状況を確認しなければ明確に動けない、そう判断したユーヘイはSYOKATSUに向かって走り出したのだった。

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