第210話 かゆ……うま……
「とりあえず落ち着いて」
「は、はひっ」
唐突に助手席に現れたサマー。彼女はあまりの出来事に混乱し、ちょっとした恐慌状態に陥っていた。プラス、彼女は拳銃を握っていたのだ。
村松とカニ谷は大いに慌てた。めっちゃ慌てた。
なんとかなだめて拳銃を取り上げ、それでも混乱しているサマーを落ち着かせているのが今の状態である。
サマーの背中をゆっくりさすっている村松に視線を向けながら、カニ谷は顎先を撫で付けつつ口を開く。
「サマーがこっちに来たって事は、ユーヘイのところにらいちが行ったのか?」
カニ谷の言葉に村松は首を傾げる。
「どう、なのかな……って言うか、これってバグ? それともクエストの不具合?」
重要なのはそっちだと思うんだけど、と村松に言われてカニ谷は苦笑を浮かべて頭を掻く。
「あー、確かにそうだな。あまりに衝撃が強くて吹っ飛んだわ。ちょっと運営に聞いてみるか」
カニ谷はシステムを立ち上げ、運営に直接コールするボタンを表示させて、ギョッとした表情で固まる。
「……ログアウトが出来ない」
「え?」
運営にコールする項目には、不測の事態が発生した時に、速やかに安全にログアウトするためのエマージェンシーボタンが用意されているのだが、その表示がバグって見えなくなっていた。
「エマージェンシーが消えてる。それと運営直電が反応しない」
「はぁっ!?」
脳波コントロールで反応する項目がピクリとも反応せず、システム画面が不安定にノイズが走っている状態。村松もシステムを立ち上げようとするが、システムそのものがピクリとも反応しない。
「こっちはシステムが動かないんですけどっ!?」
「……」
村松の焦った声に、カニ谷は歪んだ表情を浮かべて空を見上げる。
「すっごく心当たりがある」
「えっ!?」
物凄ーく、それこそ宇宙でも見ているような遠い目をして、カニ谷が深い深ーい溜め息を吐き出す。
「『宇宙バカ』からの『さいきょうおれえでたぁー』」
「……嘘でしょ……」
カニ谷の一言に村松は頭を抱えて、がっくりとサマーの肩に額をのせる。
「え? え? え?」
二人が何を言っているか分からず、サマーがきょときょと村松とカニ谷に視線を行ったり来たりさせていると、カニ谷が両手で頭を捏ねくり回すように掻きむしりながら説明をする。
「ああーっ……はぁ……えっとね、VRシステムにある程度の負荷をかけるコンピューターウィルス『宇宙バカ』って言うのがあって、こいつは自己増殖タイプのウィルス。プログラムの重要な部分のリソースを使って増殖するから、感染したゲームとかだとバグを吐くんだよ」
「え……」
カニ谷の説明を聞いてサマーが不安そうに周囲を見回す。
「ああ、昔あったウィルス攻撃で健康被害みたいな状況にはならないから安心して大丈夫。今は『オモイカネ』のバックアップがあるから、そこまでの被害は出ない」
「あ、そうなんですね」
サマーがホッとしたように胸を撫で下ろす。
「ただ『宇宙バカ』で攻撃をしてゲームに負荷をかけている間に、ウィルスの中に分散してプログラムコードを突っ込んで、そいつを重要なプログラムのある格納場所に、無理矢理MODをインストールするっていう技術が出来上がっちゃってね……そいつを使って数々の犯罪系VRバカを産み出したツールがあるんだよ」
「VRバカ……あの多額の賠償金を背負わされた?」
「そう、そいつら。そいつらが好んでやるのが、プログラム変更エディットプログラム『さいきょうおれえでたぁー』って言うMOD」
「……うわぁ……それって、確か」
「そう、別のゲームのプログラムを現在のゲームに介入させる、ゲーム改変介入ツール」
カニ谷の説明に、サマーも昔読んだネットニュースの、数々の犯罪記事を思い出して頭を抱える。
『さいきょうおれえでたぁー』とは、例えば純愛シミュレーションゲームにホラーゲームをぶちこんで、告白した彼女が化け物に変貌して追いかけられる、みたいなゲームの改変が出来てしまうツールだ。
ただし、本来のゲームのプログラムを書き換えるのではなく、あくまでも『さいきょうおれえでたぁー』に格納されているプログラムを無理矢理走らせるので、MODを除去さえしてしまえば簡単に元のゲームに戻る。まぁ、これで元のゲームのプログラムを破壊出来るような代物だったら、もっと重たい量刑を食らう法律が制定されていただろうが。
「あのツールの出だしが、今のこの状況だね。システムが正常に動かなくなって、遊んでいたプレイヤーの挙動が不自然になる」
「そうだったわぁーそうだったぁー」
カニ谷と村松、二人の反応にサマーは首を傾げる。
「体験した事があるんですか?」
「「複数回ね」」
「え?!」
二人の言葉にサマーは目を丸くする。
『宇宙バカ』と『さいきょうおれえでたぁー』のコンボが最も多く使用されたVRゲームは、スペースインフィニティオーケストラである。その回数、実に三桁。
元SIOプレイヤーが訓練された選らばれし強者と呼ばれる理由だったりする。それだけではなく、現在のVRゲームで禁止されている諸々全てを先行して受けて、それらを真正面から叩き潰し、それによって現在のVRゲームが正常に遊べている、と言う方向からも訓練されし強者とも呼ばれている。
この世全ての悪をSIOプレイヤー達が請け負い浄化してくれた、と言う見方もあるのだが……
閑話休題。
村松もカニ谷も、モノホンのバカを相手に何度も辛酸を舐めた、訓練された元SIOプレイヤーである。何度、正常なゲームの楽しみを邪魔された事か……そして何度、そんな馬鹿げた状態を生き抜いてきた事か……正直、思い出したくもないアホな記憶だ。
「それで、どうしますか?」
苦々しい汚れた記憶に顔をしかめている二人に、サマーがおずおずと切り出す。
「セオリーとしては、生き残る事を最優先にして、運営の介入を待つって言うのが正しい……んだけども」
妙に歯切れが悪いカニ谷の言葉に、サマーは嫌な予感を覚える。その予感を振り払うように、頼れる我らが社長に視線を向ければ、彼女は素早く顔を逸らした。
「しゃっちょうぅ?!」
サマーが甲高い悲鳴のような叫び声を出す。
「そんな簡単な話にはならないと思うわ……多分、一番面倒臭い状況にはなるでしょうねぇ」
「……だよな」
後部座席の旦那様と顔を見合わせ、村松とカニ谷は分かってますと頷く。
そもそもの話、『宇宙バカ』の攻撃が始まった段階で、今のゲームならプレイヤーの強制ログアウトは確実にされる。ここまで悪化している状況で、自分達がログアウトしてない段階で、完全に抜け出せない沼へどっぷり浸かっているのは間違い無い。
「問題は『さいきょうおれえでたぁー』に入ってるプログラムよね」
「普通の汎用ゲームプログラム……って事はない、よなぁ」
「だと思うわ」
二人は溜め息を吐き出し、現状を調べる為に色々と試し始める。
「インベトリ……開かない」
「無線、繋がらないか」
「車のエンジンは動いたまま。ハンドルも動く……アクセルとブレーキも大丈夫」
色々と出来る事を確認している二人の、その様子を見ていたサマーが、どえらい事になったなぁと何となしに外へ視線を向けて、ガチンと固まった。
「しゃ、しゃちょう……」
「社長じゃなくて課長ね」
固まった状態のまま、運転席の村松の肩を叩く。そんなサマーに、はいはいとおざなりに返事を返して、確認作業を続ける。
「いやいやいやいや、しゃちょう」
「だから課長!」
そんな場合じゃないんですって! と肩を掴んで激しく揺らすと、村松がうるさそうにサマーを睨む。そこでやっとサマーの顔が恐怖に歪んでいる事に気づき、彼女の見ている方へ視線を向けて、慌ててシフトレバーを操作して思いっきりバックする。
「「「「ばあぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ」」」」
今まで車が停車していた場所に、肌が色々と変色したNPC達が倒れ込む。
「こう来たか!」
「かゆうまかよっ!」
車を激しく操作し、その場から全速力で走り抜ける。
「ベイサイドじゃ無くなって行く……」
「本格的に『さいきょうおれえでたぁー』が動き出したようね! しっかり掴まってなさい!」
ベイサイドの風景が徐々に侵食されていき、全く別の場所へと変貌していくのを呆然と眺めるサマー。そんな彼女とは逆に、村松はどこか楽しそうに笑うのであった。
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