第171話 夜の街の女

 雑居ビルが隙間無くギッチリ詰め込まれ、どこか退廃的で淫靡な空気感が漂う場所。


 確実に現実の建築・防災・風営法関係で出来ない街並みであり、もうアニメの世界と言った方が良いレベルの、どこか異世界めいた雰囲気を感じさせる一帯。


 観光地として脚光を浴びる大アーケード街の大人が楽しむ街、それが北部に広がる繁華街の顔だ。


 夜型営業であり、いかがわしく怪しく恐ろしい、完全に二十歳オーバーからしか利用が出来ない街でもある。


 そんな繁華街の中でも一番ド派手な電飾が散りばめられた雑居ビルに、フィクサーのロックはいた。


「これ以上は痛めつけたくないんだが」


 ロックの目の前には、左目の周囲と右頬が赤黒く腫れ 、唇の端から血を流す下着姿でカーディガンだけを羽織った女性が、打ちっぱなしのコンクリート床に片膝を立てた状態で座り、鋭い視線を彼に向けている。


「そろそろ白状してくれないか? 知っているんだろ?」


 彼女の歯にぶつけ、少し割けた拳の皮を気にしながらロックが言えば、女性は鼻で笑ってピンクに染まった唾を吐き捨てる。


「淑女がするべき態度じゃないな」


 やる気がなさそうな垂れた目に、危険な黒い感情を宿し、ロックは女性の緩くパーマがかけられた髪を荒々しく掴む。


「お前さんがしゃべってくれないなら、他の姉ちゃん達に聞いても良いんだが?」

「ふん、アイツがペラペラ喋るとでも思ってるの? それこそ日本のYAKUZAを甘く見すぎじゃない? チンピラ野郎が」

「……」


 頭皮から髪が剥がれ落ちそうな力加減で掴んでいるが、女性は痛がる素振りも苦痛も見せず、まるで何もされていないように、ロックに皮肉と罵倒を浴びせる。


 彼女はこの雑居ビルのオーナーであり、星流会の水地みずち 雄星ゆうせいの情婦でもあり、彼女が経営しているキャバクラ『流星街』は星流会がバリバリに関与している組の直営店だ。


 ロックの目的は、個人的に水地と交渉して、この街から脱出する事。すでにウィズとクローが警察の手に落ちたとあっては、敵対しているラングと心中する気は更々無く、自分の勢力圏であるアメリカの西海岸辺りに潜伏し、ほとぼりが冷めるのを待つつもりであった。


 今回の失態は大きいが、このままこの国の警察に捕まる方が致命的だ。それなら一先ず西海岸へ逃れ、そこで荒稼ぎをして組織に納金すれば、お咎めはあるだろうが最悪の展開にはなるまい、という目算である。


 取り敢えず逃げ出す前提で、連れていく人員は最小にしたかったから、必要のない構成員には適当な店を襲って金を稼いでこいと命令し、こちらは自分と腹心のみで固まっている状態だ。


 これでこの女性から、水地の連絡先か居場所を聞き出せれば、いつでも逃げ出せる、という寸法である。


 だが、それはロックの都合の良い妄想に近く、それを見透かした女性が悦に浸るロックを鼻で笑う。


「良いの? 私を痛めつけるって事は星流会の面に泥を塗るって事よ? この店の女に手を出すって事は、水地の個人的な財産を懐に入れるって事よ? 今の段階であんた、詰んでるんだよ」

「……」


 超現実的な指摘を言われ、ロックは無表情に女性をジットリ見つめる。その間抜けな顔を見た女性は、カラカラと大笑いした。


「あははは! 不様ね! あはははは!」


 女性の態度にロックは拳を握り、ゆっくり振り上げ――


「ミスターロック!」


 しかし、その拳は振り下ろされる事無く、部屋に飛び込んできた部下と、外から激しく鳴り響く銃声によって邪魔された。


「何事だ?」


 掴んでいた女性の髪を、雑に放り投げるように離し、部下に視線を向ける。


「見つかった! DEKAだ!」

「ちっ!」


 部下の言葉にロックは外が覗ける小窓に近づき、慎重に様子を伺う。見える範囲にDEKAの姿は見えず、ただ部下達が闇雲に拳銃を乱射している姿だけが見える。


「気のせい、ってオチじゃないだろうな?」

「ちゃんと姿を確認した!」


 見えている範囲に、やはりDEKAの姿は無く、ロックは鋭く舌打ちをしながら苛立った口調で指示を出す。


「手早く始末してこい。この国に残りたくねぇだろ?」

「っ!? 分かった」


 ほとんど大多数の部下を切り捨てたロックの言葉に、腹心の部下は寒々しい気配を感じて、大慌てで外に飛び出す。そんな部下の後ろ姿に、失望したような視線を向けながら、女性の体を軽く蹴り飛ばす。


「あまり時間が無くなった。ここからは紳士的に、とは行かないぞ。苦しみたくなければ

 素直にしゃべった方が賢いと思うぞ?」


 倒れた女性を踏みつけ、ロックが凄みながら殺気を飛ばすが、女性は涼しい表情でペッとピンクの唾をロックの足に吐き出す。


「そうか」


 ロックは無表情で呟き、女性の頭部に向けて足を持ち上げる。


「くたばれ、チンピラ」

「死ね」


 ニヤリと野獣のような笑顔を浮かべる女性の頭部へ、ロックが足を踏みつけ――られずに、激烈な衝撃を受けて吹っ飛び、小窓を突き破って上半身がスッポリとハマった。


「レディにするべき態度とは言えない、な!」


 するりと部屋に入り込んだヒロシが、ロックを全力で蹴飛ばし、ハマった状態のロックへ追撃の全力ドロップキックを入れる。


「がはっ!?」


 完全に壁を破壊しながら、ロックの体が落ちていく。その様子をつまらなそうに見ながら、唖然とした表情で自分を見上げる女性へ、さっと着ていたジャケットを羽織らせる。


「強気な女性も好みではあるんだが、時と場合は選ぶべきだと思うぞ。せっかくの美人が台無しだ」


 女性の腫れ上がった顔を、痛ましい表情を浮かべながら見つめ、ヒロシはハンカチを取り出し、女性の手に握らせる。


 女性はヒロシのガンベルトに視線を向け、握らされたハンカチを切れた口の端に当て、皮肉げな表情で苦笑を浮かべた。


「ここがどんな店か、知ってて私を助けたのかしら?」


 挑発するような口調で言われた言葉にヒロシは苦笑を浮かべ、女性の腫れていない方の頬に手を添える。


「知っているけど、今回は別件。次来る時は、料金を標準レベルに抑えてくれると、安月給の公務員としてはありがたい、かな?」


 テツからの情報で、アーケード北部の繁華街のコンセプトを教えてもらったし、なんなら水田情報で背後に星流会のシノギが関係している事も知らされている。


 だが、それとこれとはまた別の話で、今回はフィクサーのロックに襲われている一般市民でしかない女性を、助ける為に動いただけと言うヒロシに、女性は呆れた表情を向けた。


「うちは何時でも適正よ。ただ女の子の質が高い分、料金も高額になるだけ」


 調子が狂うDEKAだ、女性はそう座りの悪さを感じながら、ぶっきらぼうな営業文句を返す。


「そいつは高そうだ」


 ヒロシはおどけながら、周囲に散らばって踞っている綺麗所を見回し、ひゅ~♪ と軽く口笛を吹く。


「どっちにしろ安月給には毒だな」


 白い歯を見せて笑うヒロシに、女性は何とも言えないやりずらさを感じ、苛立ったように緩いパーマの頭をモシャモシャと乱暴に掻く。


『縦山先輩! ちょっと手伝って下さいって! うわっ?!』

「おっと」


 妙な空気感のところへトージの無線が入り、ヒロシは苦笑を浮かべてネックマイクを操作し、了解と返事を返す。


「ちょっと用事が出来たから、これで失礼するね。次からはヤンチャもホドホドに」


 ヒロシはそう言って爽やかに笑い、憮然とした表情の女性の頭を優しく撫でて立ち去った。


 これまで出会ったどんなDEKAとも違うヒロシの態度に、女性はモヤモヤした感情を抱きながら、ヒロシが残していったジャケットとハンカチを、何気なく握りしめる。


「変なDEKA」


 ポソリと呟き、そして自分が笑っている事に気づいて、それを誤魔化すようにハンカチで雑に唇を拭う。


「つっ!」


 張っていた気が抜けてきたのか、ここに来て痛みを訴えだした体に、女性は苛立しげな表情を浮かべ大きな溜め息を吐き出す。


「ネンネなガキじゃあるまいし、何やってんだか私は……」


 複雑な感情を吐き出しながら、女性は慎重に唇を押さえ、それでもズキリとする痛みに顔をしかめ、店の状況をどうやって水地に伝えようかと、憂鬱そうに考えるのだった。

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