第151話 制する

 彼は焦っていた。


 掃き溜めのようなスラム街で、恵まれた肉体、そこから産み出される暴力のみでマフィアの世界で出世してきた彼は、その世界ですら感じた事もない恐怖を始めて感じていた。


 相手は東洋人にしては長身だが、その体つきは西洋人と比べるまでもなく細身であり、彼の目から見れば脆弱その物。だが――


「うおぉぉぉぉっ!」

「……」


 某国の特殊部隊のエリート兵士すら、殴り倒した事のある一撃を、その脆弱なる日本人は軽々と受け流す。


 自分の顔程はある拳を、風を切り唸るパンチを、その日本人は無表情に淡々と、うるさい虫を払うかのように、何度も何度も受け流す。


 それはまるで泣きわめく子供の駄々っ子パンチを、はいはいと大人がさばくような感じだ。


「どうした? イエ○ーモン○ー、受け流すだけで攻撃も出来ない腰抜けか? はぁん?」

「……」


 口汚く罵って揺さぶりをかけ続けているが、その瞳とたたずまいに一切の動揺も感情の揺らぎも見られず、どこまでも深い闇のような目を向けられるだけ。むしろこちらが焦らされ我慢出来ず、闇雲に攻撃をしかけ続けている悪循環を続けている。


(ち、忌々しい日本人め……ったく、モンキーとダブルファイスはどうした? 楽な仕事だと抜かしてたのは、口先だけか? これだから地獄を知らない奴らは使えない)


 彼は消極的な攻撃を繰り返しながら、いっこうに現れる様子のない、同僚へ悪態を吐き出す。


 いつもならば、手柄の横取りなどを警戒してそもそも助けなど求めない相手だが、過去の事を棚上げして自分の部下のような扱いをする彼は気づいていない。


 攻め立てているように見えて、実は自分が追い詰められている事に。悪態を吐きながら、同僚達が助けに来てくれる事を望んでいる事を。


「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 業腹だがここは時間を稼ぎ、同僚達が来るのを待つのが得策だ。そう結論付けた彼は拳を叩き込み、この茶番を引き伸ばそうと企む。


 だが――


「こんなモンか」


 目の前の男がポツリとそんな言葉を吐き出し、苛立ちのこもった目を向けようとした瞬間、彼は自分の上半身が突然、ガクンと真下へ引っ張られ抵抗できずに体が沈み、意識がそこに向けられている最中に激烈な衝撃が顎を貫き、そのまま彼は意識を失った。


「……ふぅ」


 男、ユーヘイは完全に白目を剥いて泡を吹き出す彼を見下ろし、手早く両手を二つの手錠で二重に拘束して、更に用心の為に両足首にも手錠を二重にハメてから、体に入っていた余分な力を抜いた。


「はぁー、久し振りにしんどかった」


 ユーヘイは首と肩を回し、体の中に溜まった澱のような感情を溜め息と一緒に吐き出しながら、軽く拳を握って大男の背中をトントンと叩く。


「悪いな。仲間が頑張ってるところで、俺が殉職デスする訳にはいかんからな」


 ユーヘイは小学校から高校に上がるまで、とある古武術系の道場に通っていた経緯があり、VRゲームでその技術を使うのを実は禁じ手としていた。


 理由は、そんなマイナーかつニッチな技術がスキル化されている事はないし、その古武術のことわりが、バリバリの人殺しの技術という物騒極まりないモノであるから、そんなもんエンタメの極致のようなゲーム世界で使うモノではない、という認識があった。だから禁じ手としていたのだ。


「お前が頑丈で助かったぜ」


 ユーヘイが用いたのは、『大太刀折り』という技名の古武術だ。戦場で無手となった時に、相手の攻撃を利用して相手の武器を破壊する、という目的の技であるが、それが長年の研鑽により、相手の攻撃を利用して相手の頭蓋を叩き潰す、という圧倒的物騒な技へ超進化したモノを使用した。これは相手の筋肉怪物があきれる程頑丈だったから、行使出来た技だ。


「さて、他の救援に向かうか」


 ユーヘイはガンベルトから拳銃を引き抜き、ダディ達が守っている拠点に向かって走り出したのだった。




ーーーーーーーーーーーーーーーー


「威勢の良いのは口だけかしら?」

「ちっ! クソビッ○!」

「口先だけ達者ねぇ、坊や?」

「シット!」


 能面のように無表情で、怒りも憎しみも無い無色透明な瞳を向けられ、彼は焦りまくっていた。


 組織の特殊な教育を受けた彼は、組織が誇る優秀な始末屋だ。これまで困難な仕事を一度も仕損じる事は無く達成してきた、組織の中でも恐れられている存在のハズなのだ。


 だというのに、完全に手玉にされている。


 常人よりも長い腕から繰り出される、しなるムチのようなナイフ術を、これまで何十人という組織にとって邪魔な存在を始末してきた技術が、目の前の女には一切通用しない。


 見た目、童女にしか見えない日本人。自分の地元の女性と比較すれば、完全に幼い学生にしか見えない女が、その血塗られたナイフの刃を警棒で完全に弾いてみせる。まるでハリウッドの荒唐無稽なアクション映画のような現実に、彼の心は激しく動揺しまくっていた。


「シャアァァァァァッ!」

「うっさいわね」


 正確に女の首目掛けて振るったその一撃は、面倒臭そうに振るわれた警棒の一打で的確に反らされ、あまつさえその衝撃で手からナイフが弾かれてしまう。


「ド素人」

「シット!」


 足元の砂を蹴り上げ、即席の目眩ましを作りながら、彼は素早く予備のナイフを引き抜く。


「おもちゃを振り回して、次は砂遊び? 随分と幼稚じゃないかしら?」


 蹴り上げた砂を完全に避け、砂煙の横から姿を表す女に、彼は苛立った目を向ける。


「シャアァァァァァァッ!」


 その苛立ちをぶつけるように、彼は両腕をクロスさせるようにしてナイフを振る。それを女は左手に持った、拳銃と呼ぶにはあまりに武骨で巨大な銃で受け止め、掬い上げるように右手の警棒を振り上げた。


「っ?! ぐがぁ?!」


 狙ってやったのか、それとも偶然か。女が振り上げた警棒が、右手の小指を強打し、ペキリと軽い音を立てて砕けた。


「あらら、ごめんあそばせ?」


 一切謝る気のない、平坦な口調で言われ、彼は瞬間沸騰した怒りに任せて左手で、女を突き刺すように動かす。


「だからド素人と言うのよ」


 まるでこちらの動きを知っていたかのように、完璧のタイミング、絶妙な角度、計算された力で左手首を警棒で叩かれた。


「っっっっ!?」


 ゴキン! と体内を駆け巡る音が鳴り響き、左手からナイフがポロリと落ちる。完全に手首が砕かれ、左手が曲がってはいけない方向に折れ曲がった。


「そろそろ良いかしら?」

「ぐ、ファッ○!」

「はいはい」


 駄々っ子のような悪態を吐き出し、ぺっと唾を吐き捨てる。これまで相手にしてきた奴らならば、怒りに顔を歪めるだろうハズだが、女は無表情のまま彼の顔面に無慈悲に警棒を叩き込んだ。


「がぁっ!?」

「はいはい、もう寝なさい、坊や?」


 彼は内心で『畜生』と呟きながら、その意識を手放した。


「……はぁ、やれやれだわ」


 女、ノンさんは警棒で肩をトントンと軽く叩きながら、気絶した男に手錠をはめる。


「ふぅ……集中モードは疲れるわ」


 ノンさんはSIO時代、バリバリの超接近戦闘を行っていたレベルまで集中していた意識を解きほぐし、呼吸を整える。


「まずは旦那様の方ね。激しい銃声が聞こえてくるし」


 周囲をぐるりと見回し、状況を確認してから、ノンさんはダディ達がいた方向に向かって歩き出した。




ーーーーーーーーーーーーーーーー


「クソ!」


 相手の頭部を狙ったハイキックを、トンと軽く回すように動かす手刀で受け流され、彼女は口汚く吐き捨てる。


「シッ!」


 ならばと、ハイキックを戻す勢いを利用して後ろ回し蹴り気味に、更に逆方向から脇腹狙いの蹴りを繰り出す。


「クソがっ!」


 それも流れるように当てられた手刀で受け流される。


「シャァッ!」


 両手の受けを使わせ、がら空きの腹に向かってケンカキックのような蹴りを繰り出す。だがそれも、円を描くように回る両腕で軽く弾かれた。


「ちっ!」


 先程まで双子の片割れ、妹がもう一人の東洋人をいたぶっている間は上手く回っていた。集中力を失った目の前の青年は、こちらの思惑通りに躍り、それはいつも通りの流れだった。


 だが、その東洋人が妹を釣って逃げ出し、いつもの流れが変わってしまった。足手まといとなる東洋人が消えると、青年の雰囲気が一変し、こちらの攻撃を全て完璧に受け流し始めてしまった。


「なるほど」


 ふぅーと呼気を吐き出しながら青年が呟く。その言葉に彼女は苛立った視線を向ける。


「何がなるほどだ! シャァッ!」


 彼女は特殊なマニュキュアを使い凶器に変えた爪先を揃え、それを青年の瞳目掛けて突き出す。


「ただのデタラメなケンカ技術って分かった、そう思っただけですよ」

「っ?!」


 青年は涼しい表情で突き出された手刀を、やはり回すような同じ手刀で弾き、その回した腕を脇腹の位置まで戻すと、そのままお手本のような正拳突きを放つ。


 よじった脇腹目掛けて放たれた拳を、彼女は身を投げ出すような動きで避け、不格好な姿で地面を転がりながら青年から逃げる。


「随分と目がよろしいようで」


 青年は淡々と彼女の事を観察しながら、ふぅーと呼気をゆっくり吐き出す。


「クソが! 何だお前! 何なんだよお前!」

「……」


 彼女は青年に恐怖を感じていた。


 これまで双子の妹と組織の殺し屋のような役割をしてきたが、ここまで感情を表に出さない相手というのは始めてだった。自分と同じプロの殺し屋だろうと、感情を表に出す瞬間はある。だと言うのにこの青年は、これまで相対してきた奴らが反応していたポイントをつつかれても反応せず、ただただ静かに呼吸を整え、こちらの攻撃に淡々と対応する事にしか反応をしない。こんな恐ろしい相手は始めてだ。


「クソが! 死ねや!」


 恐怖に震えながら、彼女は両手の爪先を揃え、青年の目や喉、とにかく人体の急所目掛けて突き出してくる。それを青年は、やはり表情を変えず涼しい顔で、受けに徹した。


「クソ! クソ! クソ! クソ!」


 歪んだ表情で攻撃を続ける彼女に、青年は一瞬、憐れんだ視線を向ける。その向けられた感情に反応した彼女が激昂し、更にムキになって突きを繰り出そうとする。


「心無き力は暴力以上の何かを産み出せないんですよ、残念ですが」

「は、かぁっ?!」


 ポツリと呟かれた言葉に呆れた言葉を吐き出そうとして、喉を潰された。激しいえずくような気持ち悪さを感じながら、視線を下に向ければ、自分の喉に掌底が叩き込まれていた。


「ごめんなさい」


 青年はそんな謝罪を口に出しながら、一切の容赦がない手刀を彼女の首筋に叩き込み、その意識を刈り取った。


「ふぅー」


 青年、トージは残心をしながら息吹を吐き出し、ゆっくりと構えをとく。そして倒れている彼女に向かって小さく一礼をした。


「……ゲームとは言え、女性に向かって拳を振るうのは嫌だなぁ」


 気絶している彼女の両腕に手錠をはめ、トージは力無く首を横に振る。


「切り替えよう。縦山先輩を助けに行かないと」


 トージは彼女にもう一度一礼し、素早く立ち上がると、ヒロシが走っていった方向に向かって駆け出すのだった。

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