混乱
その死体は、心臓を貫かれている。あの日の彼女と同じように。
彼女と決定的に違うところは、彼が決して蘇らないということだ。
誰が、何で、どうして。頭に浮かぶのはそんな当たり前の人間が持つべき思いだけなんかとはかけ離れているもので、
羨ましい。そんなものだった。
ああ最低な人間だ。殺人とは最も忌避すべき行為なのに、あまつさえ羨ましいだなんて。そんな、ことを、
「ね、ねえ。どうし——————」
まずい。すっかり忘れていた。今は長谷川さんがいる。彼女はとても怖がり、いやそんなことは関係なくまともな人間にこれを見せては———————
「―――ッ!?ダメ!」
咄嗟に彼女の目をふさごうと体を動かすが、すぐに悟る。間に合わない。
「...え?」
彼女の目をふさぐ。だがもう無駄だろう。見てしまった。
まだ。まだ大丈夫だ。混乱しているうちに連れ出して、「死」という物の現実感をなくしてやればいい。そうすれば、
でも、
悪いことは重なる。
がくんと、彼女の膝が曲がる。腰を抜かしたのだ。私はそれに反応することができずに、
「あ、ああああ――――――――――――」
改めて見たことで、変わってしまった。どこの誰とも分からないただの死体から自分の友人のクラスメイトの死体に。それを、ただの高校生の少女が耐えられるはずはない。
「落ち着いて!」
半狂乱の彼女に、そんな言葉が通じるはずもなく、
「ああああ―――――――」
声をかけられたことにすら気づいた様子もなく、変わらず泣き叫び続ける。
落ち着くまで待つわけにはいかない。というより落ち着かないだろう。一刻も早くせめて死体のそばから離さなくてはいけない。
さっきよりも強く、彼女の肩をつかんでから言う。
「落ち着いて!!」
虚空を見ていた彼女の目の焦点が定まり、ようやく私の方を見る。
「怖い、やだ、やだ!離して!、いや!」
手やら首やらを振り回し、全力で私を押しのけようとしてくる。まるで幼い子供のように。
「だい、じょう、ぶ。落ち着い、て!」
抵抗を無視し、彼女を抱きしめる。泣いている子供にするように、背中をさする。
「やだ、怖い、離して!」
幸い、彼女の力は弱い。女子の中でも、非力な方である。だが、火事場のバカ力というべきか、明らかに普段より力が強い。
「だいじょう、ぶ。おち、いっつぅ!」
首を、噛まれた。噛まれるのは思ったより痛い、けど、ここで離すわけにはいかない。力が緩まろうとするのを全力で抑えつつ、何とか落ち着かせようと言葉を絞る。
「だい、じょ、うぶ。こわく、ない。私が、守る、から。助ける、から」
だんだんと、抵抗が弱まっていく。首にかかる力も、ほとんど抜けている。
「落ち着いた?」
「...ごめん、なさい」
クラスメイトの死体を見たのだ。無理もない。
「大丈夫...立てる?」
できれば早いところみんなと合流したい。清水の死がそれ単体ならよいが、気がかりなことがいくつかある。彼がいつ殺されたのかがまず一つ。今は、彼女を落ち着かせるために彼女の視界に死体が映らないようにしている。必然的に私の視界には死体があるが、遠目で見る限りでは、血が流れているわけではない。死んでから十分十五分ではないから犯人はすぐ近くにいないだろうが、それも確定ではない。そして、内海は彼から連絡が来たと言っていた。つまり、犯人は彼のスマホを持っているかもしれない。これに関しては殺される前に送ってきたのかもしれないが。
「ごめんなさい...もう少し、このままで」
「分かった。動けるようになったら、言って」
そもそも何で風邪をひいたはずの彼がここにいるのか。誰かに呼び出された?学校に呼び出されて行くということは、そもそも風邪自体がうそ?...分からない。
どのみち、みんなと合流しなければ。私では分からないことでも、部長や神宮さんならわかるかもしれない。
「ね、ねえ、なんか、聞こえない?」
...足音がする。この音の間隔だと...走っている。
まずい。もしも犯人だったら、非常にまずいことになる。逃げるにも、歩けない人が一人。ああ、けど、この足音の感じは...
バンッ
「大丈夫ですか!?」
神宮綾音だ。
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