第二話 旅立ちの日

 声が聞こえる。


 それは五年ほど前だったか。俺がこの白亜の城を訪れた時、神の子としてされて迎えられた時。その時の声が聞こえる。


「大神の御子が、居られるなんて―――――」


「信じられない。奇跡だわ! これで私たちの国も安泰ね。なんて言っても大神ウォーデンの恩寵を授かったんだもの!」


 声が聞こえる。


 それは三年前だったか。妹が戦場から帰ってきたとき、救国の聖女として凱旋を行った時。その時の声が聞こえる。


「聖女様、万歳! ヴァルハラ万歳!」


「………聖女様と比べて兄君は最近見ないな」


 声が聞こえる。


「シド・オリジン。奴はお終いだな」


「ああ、まさか御子の特権たる神力の継承が上手くいってないとはな。これでは戦力にだって成りはしない」


 この白亜の城には俺の居場所なんて在りはしない。在りはしなかったんだ。誰にも必要とされない、それが俺だ。


 妹とは違う。誰からも必要とされ、誰よりも優秀な妹。誰からも必要とされず、誰よりも無能な俺。


 声はもう聞こえない。


 意識がゆっくりと遠ざかっていく――――――――――――





 その次の日、俺は馬屋に向かっていた。鬱陶しいくらいの陽射しを背に受けながら、全身を見事な黒毛に覆われている馬の背を撫でながら話しかける。


「グラニ、よく眠れたか? 今日から長旅だぞ」


 俺の言葉にグラニは軽く嘶き、体調の良さを知らせる。


「気楽なもんだなお前は。俺は昨日碌に寝られなかったよ」


 久しぶりの出番に興奮気味のグラニは、俺の憂鬱を知ってか知らずか城門に向かって俺を引っ張る。グラニの先導に従い城門に近づくと俺の護衛達が駆け寄ってくる。


「シド・オリジン様! お待ちしておりました。シド様の護衛総勢十名待機しております!」


 エインヘリアルの見習い兵がキリっと整列し、報告を行う。そんな、彼らに手で楽にして良いと合図をしながら彼らの方に視線を向ける。


 エインヘリアル。この国の最高戦力の一角。その見習い兵が護衛に付くなど本来は物々しさを感じるが、最高指導者の兄の護衛としては随分寂しい物を感じざるを得ない。


 いや、そんな事を考えていては彼らに失礼だな……


「よろしく頼む。でも、俺にあまり話しかけていると出世に響くぞ」


「何を仰るのですか………? オリジン家のお方にそのような事を出来る筈がありませんよ!」


 城外の彼らは知らないのだろう。あの白亜の城の中ではいてもいなくても、いや貴族や呪術師どもにとっては俺の事など邪魔者に過ぎないことを……


 出発の時刻が近づくと、昨日の貴族が小間使いを従えて城門に姿を現す。


「シド殿、出発のお時間ですぞ。聖女様はご多忙ゆえに私がお見送りに参りました。それにしても巡礼には良い天気と――――――――」


「……行くぞ。出発だ」


 丸々と太った身体を震わせながら貴族は、わざとらしいご挨拶をするが、その長ったらしい話を打ち切り出発と決め込む。


 こうして俺は僅かな護衛と共に巡礼という名の厄介払いに出発した。


 暫く道を進めると護衛の一人が話しかけてきた。


「シド様は聖女様の兄君で在らせられますが―――――――」


「そんな大層な敬語は俺ではなくて聖女に使うべきだ。俺にはもっと気軽に話しかけてくれて構わない」


 慣れない敬語を使う護衛を見てられず話しを遮る。


「……失礼。シド様から見て聖女様どのようなお方ですか?」


 ドキっと胸が痛む。


「あ、ああ。神様の様なやつさ。政務も軍務も完璧にこなし、民からも絶大な支持を得ているからな」


「そんなことを聞いてどうしたんだ?」


「いえ……私はエインヘリアルに入団する前は平民でしたもので。幸運なことにワルキューレ様に見いだされてエインヘリアルに入団出来ましたが……」


 もう一人の護衛が会話に入ってくる。


「しかし元が平民ですから、遠くからしか聖女様の姿を見たことが無いのです」


「一人前のエインヘリアルに成れば、聖女様のお側で戦えるのですが、これが中々難しくて……」


 護衛達は苦笑しながら話しているが、どうやら本気で妹の、ハルの事を心酔しているらしい。その証拠に彼らの目はやる気に満ち溢れていた。


「そうか、そうだったな。エインヘリアルの入団条件はワルキューレに認められることだったな」


 ワルキューレ。ゲッテルデメルングにおいて神々の陣営で戦い、生き残った数少ない神の使徒。ヴァルハラ独立時に、ヴァルハラに合流しエインヘリアルの団長を任せられているらしい。


「この巡礼が終わったら、正式のエインヘリアルとなる為の試験があるんです! その試験を合格すれば私の様な平民でも直に聖女様と会う事ができるんです!」


 聖女に会うことが出来る。その事を想像して若い護衛は饒舌になってその事を熱く語る。


「……そうか。試験、頑張れよ」


「はい、合格して見せます!」


 俺の言葉に彼は満面の笑みで答える。今の俺には眩しいほどの笑みは、俺の胸を少し痛めた。


 そうこう会話を続ける内に巡礼先の村の一つが見えてきた。周囲を浅い堀で囲われた八つほどの住居が建つ小さな村だ。ミズガルズとの国境からそれほど離れてはいないが、戦場の香りのしないありふれた村。


 細い街道をゆっくりと進んでくる俺たちの姿を見て、村の入口に村人が集まりだす。


「よくお越しくださいました。シド様、村人一同歓迎いたします」


 入口で村長たちの歓迎を受けながら村に入る。


「長旅お疲れ様です。シド様や聖都の方が来てくださることで、我ら一同聖女様の……神々の恩寵を感じることが出来ます」


「いえ、これが仕事ですので」


 俺の心中などまるで知らない村長が話を続ける。老人特有な長話は、傾きかけていた太陽が黄昏るまで続いた。


「聖女様のおかげで――――――――――」


「申し訳ない。明日も早くに出発しなければならないので……」


 村長の長話を切り上げ用意された客間で横になる。


「これが有るから巡礼は嫌なんだ」


 行く先々、行く村々、聖女様がどうだ。聖女様は素晴らしい。聖女様、聖女様。本人は俺の事など見ていないのには俺に付きまとう。いつもよりも数倍憂鬱な日だった。


 閉じた瞼には今日一日のこと、そして聖女の姿が焼き付いて離れない。護衛も村長も何も変わらない。いや、この国の人間は皆そうなのだろう。


――――――――――――俺のことを聖女の兄として、認識しない


 そうして良く寝付けないままに、またいつもの朝を迎える。憂鬱な気分は晴れないが、俺は護衛と共に日が昇るより前に村を出発することにした。


 一つ目の村を訪れただけなのに、既に精神的疲労を感じていた。まだ、巡礼が始まったばかりだと言うのに。


 残りの巡礼の日程に気が滅入りながらも、このまま巡礼を終え、城に戻っても妹の影で生きていくしかないと……そう思っていた。


 グラニが異常を知らせるまでは……


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