第一話 シドという男

 ゴーンゴーン

 

 古い鐘の音とともに朝焼けが古めかしい石造りの家々で構成された城郭都市をゆっくりと包んでいく。外縁の城壁は陽光を阻もうとその重厚な威容を見せつけるが、一際高い中央の白亜の城が陽光を優しく反射し、薄暗い都市の中をうっすらと照らしていた。


 巨大な城郭都市。戦いを想定して築かれたであろう都市の名はグラズヘイム。人口五万人を誇るこの世界有数の城郭都市であり、建国八年目を数える神国ヴァルハラの政治的中心地、即ち聖都と呼ばれる彼の国の心臓だ。


 都市の中心に位置する白亜の城の一角で五月蠅そうに鐘の音を避けようと、被っていた布団を頭まで引き上げようとする人物こそこの物語の主人公であるシド・オリジンである。


 


 

 部屋の窓から朝日が、白を基調とした清廉な部屋に差し込む。朝日から逃れようと寝返りを打ち、布団を頭から被り二度寝に入る。しかしそれを許さぬようにけたたましく鳴る鐘の音が俺の睡眠を邪魔した。


 もとよりこの鐘は執務の開始を知らせるもので、そんな時間まで十分すぎる睡眠をとった者としてはとても二度寝できそうもなかった。


 仕方なく憂鬱な一日を始めるために体を起こす。部屋には貴重そうな調度品が日光を反射してきらきらと輝いている。そして床には書庫から持ってきた、恐らく貴重な本が散乱している。そんな部屋で寝間着を着替えているのが、神亡き今でも神を信仰する神国ヴァルハラの指導者。


 即ち聖女の兄、シド・オリジン………………俺だ。

 

 そんな俺が執務開始の鐘が鳴るまで惰眠を貪れるのは、偉いから………という訳ではない。このヴァルハラの中心部にそびえ立つ城グラズヘイムにおいて俺は聖女の兄というだけの存在に過ぎない。そんな俺はこの国の貴族や呪術師どもから疎まれている。


 それも仕方のないことだ。戦争をする国、神国ヴァルハラには穀潰しを養う気など更々ないのだろう。例え、神の子と言えども能力が無ければ…………


 朝っぱらから自分の存在について再確認し、ブルーな気持ちになっているとドアをノックする音が聞こえてきた。


「シド様、食事の準備が整ったので食堂にいらしてください」


「分かった、すぐに行く」


 使用人は声を掛けるだけですぐ立ち去ってしまう。今日は特別憂鬱だが食事をする相手が相手なので行かないという訳にはいかない。


 ため息を一つ吐き扉のノブに手を掛けた。





 豪奢な廊下の端を歩く。グラズヘイムの城内でも上層にあたるここには上級貴族のような権力者や神官など限られた者しか入れない。


 そんな所ですれ違う奴等は俺の事を見る事すらしない。


 俺も視界に入らないように端を歩いて行く途中にふと廊下の窓に目を向ける。


 ここからはこの都市を一望することが出来る。


 真下にはこの国の防衛戦力の中核であり、精鋭の呼び声高いエインヘリアルが訓練している修練場が良く見えた。さらに、その先へ視線を伸ばすと朝市が開かれているだろう商人街や市民街、そしてそうした無数の建物を囲い、守るべく聳え立つ城壁。


 その遥か東方には、神国ヴァルハラの宿敵たる国家、神々の時代を終わらせた英雄たちの国。ミズガルズ連邦の領土が広がっていると言う。


 神々の呪縛を断ち切った者たち………浮かびそうになった考えは、形を持つ前に雲散する。


 当たり前だ。


 この国に居る限り、そんな考えなど思い浮かべる事すら許されない。許されてはいけないのだろう。そんなを振り払い、食堂に足を向ける。





 食堂に着き扉を開けると、火は灯っていないが夜には煌びやかに光を放つであろう燭台が壁際に等間隔で配置され、中央には重厚さを放つ長机が目に飛び込む。


 その長机の両端には、いつもよりは少し遅めの朝食が用意されていた。そして長机の奥の席に座っている少女の澄んだ青色の目が、こちらを向く。


「お兄様、おはようございます」


微かに少女の耳まで届く綺麗な銀髪が揺れる。


「おはよう。ハル」


 ハル・オリジン。この国の最高指導者たる少女。


 聖女と呼ばれる俺の妹だ。


 彼女は早朝から執務室に籠もり仕事をしている。それらが一段落するこれぐらいの時間に朝食をとることが多い。


 彼女は挨拶を済ますと黙々と食事を始める。俺も、彼女とのいつも通りのやり取りを終え自分の席に座る。そして、長机に丁寧に揃えられたフォークを手に取ろうとした時、食堂のドアがノックされる。


「聖女様。おはようございます。本日は兄君の巡礼の計画が出来上がりましたので書類を渡しに参りました」


 そのままドアを開けて入ってきた貴族が、恭しく膝を着き妹に書類を手渡す。当然、その途中には一度たりとも俺の方に視線を向けることはなかった。


「……この書類は後で兄と確認します。あなたは戻って職務に戻りなさい」


 ハルはそう言って貴族に退出を促し、俺に視線を向ける。思わず食事の為に口元に運んでいたフォークを皿に戻す。


「ご馳走様でした」


「お兄様、この書類に目を通しておいてください。書類に詳細は書いてありますが、出立は明日なので支度を整えておいてください」


 そう言って俺の返事を待たずに、彼女はその書類と食事の終わった皿を使用人に渡して席を立つ。


「ちょっと待ってくれよ」


 急なことにハルを呼び止めようと思わず席を立ちあがり手を伸ばす。


「ごめんなさい、お兄様。執務の時間ですので………」


 振り返る事すらせずそう言って、使用人たちを引き連れ食堂を後にした。一人食堂に残され、やり場の無くなった手は傍に置かれていた書類に向かう。


「巡礼………」


 体の良い厄介払いなのか? 


「お前にとっても俺は、邪魔者なのか?」


 誰もいない食堂に俺の呟きが反響する。


 


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