第五話~秘めた想い~
「みっちゃん!やっぱりみっちゃんでしょう!?」
鎌鼬とヤクザたちが連行されるのを見送った後の事。
北条課長に連れられた高年のご婦人がママさんの元へと駆け寄り、手錠が嵌められた手を強く握り締めていた。
「蘭らん姐さん……っ」
ママさんはご婦人の顔を見るや否や、大粒の涙を浮かべ泣き崩れてしまった。
───聞けば蘭姐さんと呼ばれたご婦人は、なんと田名部にある数多の居酒屋やスナックを経営する名の知れた経営者なのだそうだ。
そして今回、北条課長へ潜入捜査を依頼したのは何を隠そう彼女であった。
心配そうに駆け寄る化け妖怪たちに対し、蘭さんは優しい笑みを浮かべながら何やら昔話を語り始めた。
「みつ江ちゃんと私はかつて銀座のクラブで同じ釜の飯を食べた戦友でね。お互い親を亡くした者同士……姉妹同然だった」
蘭さんは東京出身。
戦争の傷痕がまだ残っていた時代、父親を病気で亡くし、女手ひとつで育てられた彼女は母を楽させてやる一心で中学卒業と同時に夜の世界へと飛び込んだ。
成人するまでは裏方として汗を流し、二十歳になってからは目まぐるしく夜の世界で働いた。
そんな折、集団就職でむつ市からやってきたママさん……みつ江さんが転がり込んできた。話を聞けば、タコ部屋労働さながらのブラック工場から逃げて来たのだという。
みつ江さんは青森県はむつ市の生まれ。
彼女もまた若くして両親を亡くし、天涯孤独の身であった。
似た境遇を持った二人は意気投合し、共に支え合い、切磋琢磨して激動の時代を駆け抜けた。
そして幾月の年月が経て二人で独立。銀座の一等地に立派なキャバレーを開店したのだという。
時代はちょうどバブル全盛期。店は毎日のように大繁盛だったとのことだ。
……しかしそんなある日、突然みつ江さんが店の金を持って姿を眩ましてしまう。
「私も後で色々調べたんだ。みっちゃんのご両親が柳谷組のヤミ金から多額の借金をしていたこと。
その連帯保証人になっていたこともね……」
その後もみつ江さんは柳谷組に寄生され、全国を転々としながらグレーな商売で稼ぐことを強いられていたのだ。
そして今年、何の因果か彼女は生まれ故郷であるむつ市でキャバクラわんにゃんを開店させられることとなる。
……キャストたちへの給料未払いはママさんの意思ではなく、売上の大半が柳谷組によってピンはねされていたことが原因だったのだ。
また搾取される日々が始まる……。
彼女は抜け出せない絶望に囚われていた。
だが、奇跡が起きた。
田名部には蘭さんがいたのだ。
みつ江さんが帰ってくることを信じ、彼女が失踪してすぐ銀座から遥々この東北の奥地へと居を移していたのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい蘭姐さん……ッ!迷惑ばかりかけて……。
お金は必ず返しますから……!」
「いいんだよみっちゃん、あの時のお金は餞別代わりでくれてやったと思ってるんだ。
それよりねみっちゃん、どうして私を頼ってくれなかったの……!
私は……そのことが一番悔しくて仕方なかったんだ!」
「だって、だって組の連中が……金を払わなきゃ姐さんの店を荒らしてやるって脅してきて……ッ!だから、だから私だけでも……っ」
「……そうだったの。辛かったね、でももう大丈夫だよっ」
数十年ぶりの再会で互いに思いの丈をぶつけ合い、二人は涙を流しながら強く抱き合う。
化け妖怪たちも釣られるようにわんわんと泣き叫ぶのだった。
俺は彼らの傍へ寄り、ママさんへと声をかける。
「ママさん、あなたの作ってくれたイカ寿司やチキン南蛮は本物の味でした。
あなたの腕ならきっと真っ当な料理屋で輝きます」
「ありがとうございます、お兄さんっ」
「そうよ、みっちゃんの料理は絶品なんだから!」
「おばさんわかってるにゃあ!ママのご飯は別格にゃ!」
「ママの作ってくれるご飯ならたくさんのお客さんが喜んでくれるわん!」
涙に暮れていた彼らの表情が一気に晴れる。
彼女ならきっとやり直すことができるだろう。味にうるさい俺が言うのだから間違いない。
田名部の街は眠らない。
本州最北端の繁華街の夜はまだ始まったばかりだ。
────────────────────
こうして俺たちの潜入捜査は終了した。
北条課長に連れられ現場を後にするママさんたちを見送り、俺と先輩は神社横丁の路地を歩いていた。
「まだ20時前か。
なあ八塚、ちょっと飲んで行こうぜ、せっかくだしよ」
良さげな雰囲気の飲み屋が軒を連ねているからか、先輩が飲みに誘ってきた。
……それにしても気のせいだろうか、先輩の顔が少し赤くなっているような気がする。
「先輩、なんか顔赤いですよ。熱でもあるんじゃ……」
「なっ、おい!?」
先輩の額に手を当てるが、どうやら熱発があるわけではないらしい。
自分の額にも手を当てそんなことを考えていると、何故か慌てた先輩が俺の手を引き剥がしそっぽを向いた。
「……こいつほんと……わかっててやってんだか天然なんだか……ぶつぶつ」
「先輩、どうかしました?」
「な、何でもねえよ!
それよりほら、適当にそこらの店入ろうぜ。さっきの礼をしたいしよ」
「礼?」
先輩に礼を言われるようなことなんてしただろうか。
つい先ほどのことなのだろうが、全く記憶にない。
「ほら、あの鎌鼬に悪態吐かれた時だよ。
……その……あんがとな、怒ってくれてよ」
「……ああ、あのことですか」
そんなの当然だ。
俺が最も信頼し認めているバディ相棒を侮辱されたんだ。柄にもなく自分のことのように怒りが噴き出してしまった。
「先輩が培ってきた実績は地道な努力によるもの。
短い間ですが、バディ相棒としてあなたを一番傍で見てきた俺が……それを一番理解しているつもりです」
「め、面と向かってよくもまあ恥ずかしげもなく言うなぁこいつぅ」
またしても顔を赤らめる先輩。
……ああそうか、この人褒められることに慣れてないんだ。
「……ふふっ、先輩ってちょっと可愛いところありますよね」
「はぁ!?
どういう意味だよそれはぁ!」
顔を真っ赤にしながら声を荒げる先輩を宥める言葉を考えていると、突然、後方から車のクラクションが響いた。
そしてその車からは聞き慣れた彼女たちの声が───。
「繋くん、お迎えに参りましたよ~。夕飯の準備はもうできてます」
「パパ、お仕事遅~い!ダシィお腹ペコペコになっちゃった~!」
そこにはミニバンの窓から顔を覗かせるナガメとダシィの姿があった。
どうやら親父に運転を頼んで迎えに来てくれたらしい。
「ごめん二人とも、遅くなったな!
……すみません先輩、飲みはまた今度でお願いします」
「……おう。そんじゃ、気ぃつけてな」
「……ええ、先輩も」
先ほどまでとは打って変わり、少し寂しげな表情を浮かべた先輩が気になったが、空腹を訴えるダシィの声に促され俺はミニバンへと乗り込むのだった。
────────────────────
「なに勘違いしてんのかな、私は」
周囲の雑踏と喧騒の中、誰にも聞こえないであろう声でそんなことを呟く。
八塚が乗ったミニバンを見送った後、私はひとり横丁の路地に立ち尽くしていた。
「……あいつは妻帯者で……あいつにとって私は……ただの相棒仕事仲間で……」
あいつの左手の薬指に嵌められた光る物。
それが意味することなど、誰が見ても明らかな……単純明快なものなのに。
私があいつに望むことなど。
その可能性すら微塵も、これっぽっちだって存在しないのに。
───ああ、馬鹿だよな、私は。
「女をひとりにさせんなよ……馬鹿っ」
私はあいつ八塚の何でありたいってんだ。
相棒バディか。
友人か。
仲の良い先輩か。
それとも───。
見上げた空に輝く大きな月に、私は表出しそうになる汚い欲望を仕舞い込むのだった。
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後日談
ママさんは暴力団からの脅迫による違法営業を強いられていたことが明るみになり不起訴。無事釈放された。
その後、彼女は化け妖怪のキャストたちと共に蘭さんのツテで神社横丁にて小料理屋“わんにゃん”を営むこととなった。
名物はなんといってもイカ寿司。そして素材に拘った美食の数々。
高級店顔負けの味が話題を呼び、世界的有名グルメガイドにて星2つを獲得した。
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