第二話~裏メニュー~
にゃん子とわん子……化け猫と化け犬のふたりに通された部屋は天井の照明が落とされ、代わりにアンティーク調のスタンドライトが紫色にベッドを照らしていた。
……ここは……所謂。
「にゃふふ、にゃん子……お兄さんのこと気に入ったにゃ♡」
「わん子、もう我慢できないわん♡」
ふたりは俺をベッドへと押し倒し、胸や足を押し付けてくる。
これは……なかなかのものを持っているな。
「この“プレイルーム”はにゃん子たちに気に入られたお客様しか通されないんだにゃ♡」
「お兄さんかっこよくて好きだわん♡
わん子たちのこと……いっぱい可愛がって欲しいわん♡」
スルスルと音を立て彼女たちのドレスが肩口から下りていく。
マジか……マジでそういう店なのかここ……!
俺はなるべく彼女たちの首から下を見ないように視線を上へ固定するが、それを見越したのか彼女たちは俺の唇へと顔を近づけてくる。
「(先輩ぃぃぃ!
そろそろ来てくれないとまずいことになっちゃいますよ~!)」
目を閉じた俺は先輩が飛び込んで来てくれるのを必死に祈ることしかできない……はずだったのだが。
「はーい、ただいまより“もふもふタイム”開始でーす!!」
「……え?」
突然部屋が明るくなり、どこからか現れた50代くらいの女性がマイクを片手に叫んでいる。
そして俺の目の前にいたにゃん子とわん子はというと……。
「んにゃーん」
「わふわふ!」
完全に猫と犬の姿になっていた。
一瞬の葛藤の末、俺は二匹の顎、そして腹をこれでもかと撫で回し……もふもふを堪能した。
「んにゃぁ~~~♡」
「わふぅぅ~~~~♡」
……キャバクラ『わんにゃん』……なんて悪どい店なんだ!!
ゆるせねえよ!!!
あくまで“おさわり”してるのは女の子ではなく犬や猫。これだけでは何も問題はない。
しかし、先ほどまで人間の女性の姿であったことを思い出すと、この“もふもふタイム”の意味が変わってくる。
「お兄さん♡そこ……乳首にゃ♡」
「お兄さんのおっきな手で触られると気持ちいいわん♡」
人間と違い、犬と猫の乳首は腹部に複数個存在する。
……違う、俺は決してやましいことはしていない。ただ仕事で犬と猫を愛でているだけだ……!
周りを見渡すと、あちらにもそちらにも俺のように膝へ狸やら狐やらを乗せもふもふしている客がいるではないか。
男だけではない、どうやら女性客もそこそこいるようだ。
「お客様~、もっともふもふしたくないですかぁ?
したいですよねぇ!
そうしましたらこちらで“追加のドリンクとおつまみ”を……」
そう言って50代くらいの女性がメニュー表を見せてくる。
どうやらこの女性がこの店のママさんらしい。
メニューには何やら通常よりもお高めなドリンクや料理が載っており、それらの横にそれぞれ『30分コース』やら『1時間コース』といったフォントがあしらわれている。
化け妖怪たちとのふれあい時間をあくまでドリンクや料理の代金であるかのように見せ掛けているようだ。
「……ハイボールとチキン南蛮で」
「はぁい、30分追加ですね~」
にゃん子たちをもふってしばらくすると、ママさんがドリンクと料理を運んできた。
ベッド横に置かれた小さいテーブルに乗せられたハイボールとチキン南蛮。
俺はまずハイボールで喉を潤し、チキン南蛮へと手を付ける。
「……ッ!!」
このチキン南蛮、場末のキャバクラで出されるような代物じゃあない。
衣は固すぎず柔らかすぎず、鶏肉は歯応えを残しながらも全体的にとろけるように柔らかく、脂もよく乗っていてとてもジューシー!
そしてなによりこのタルタルソース。
これは隠し味にダシ汁が練り込まれているな。程よい酸味と共にダシの心地良い風味が鼻を通り抜け、酒をもっと寄越せと本能が叫び出す。
俺は気づけば中ジョッキのハイボールをあっという間に空にしてしまっていた。
「お料理気に入っていただけたようですねお客様!私、料理には少し自信がありましてね。
素材選びにも結構時間を費やしてしまう
そのチキンも上等な青森シャモロックを使ってまして、タルタルソースにはシャモロックの鶏ガラを三日三晩煮込んだダシを使っておりますのよ!」
「ママの鶏ガラねこまんま大好きなんだにゃ~」
「わん子も!またおっきい骨食べたいわん!」
「はいはい、あんたたちもお仕事終わったらまたいっぱい食べさせてあげるからね」
キャストの化け妖怪たちはママさんのことを心から信頼しているようだ。
美味い料理に酒……かわいいキャストたち。
別にこんな
「みんなそこを動くな!私は怪異対策局の
大人しくお縄につけ!!」
唐突に部屋のドアが蹴破られ、聞き慣れた声が部屋中に木霊した。
先輩の脇で絞め落とされ青い顔で失神しているのは、恐らく彼女にセクハラした客の中年男性であろう。
「なっ!?
驚きの声をあげ
そして彼女を庇うように化け妖怪たちが人間の姿へと
「煬子!ママさんが可愛がってくれた恩を忘れたにゃ!?」
「ママさんはわん子たちが守るわん!!」
キャストたちが一斉に先輩へと飛び掛かる。
……が、彼女たちの爪や牙が先輩へと届くことはなかった。
「ぎにゃっ!?」
「きゃうんっ!!」
「悪いな猫ちゃんたち、俺も対策局員なんだ」
キャストたちは俺の糸によって手足を拘束され床に伏し、立ち上がることは最早叶わない。
その後、先輩が一人ひとりに対怪異用の手錠を嵌め完全に動きを封じた。
そして先輩はキャストたちを心配そうに見つめるママさんへと近づき、こう言い放った。
「さてママさん、あんたには数日世話なったが……ここで逮捕させてもらうよ」
「ふ、ふざけるんじゃないよ!私たちはなにもやましいことなんて───」
「まずこの“裏メニュー”は無届けってことと、キャストたちへの賃金未払い。
賃金未払いは人間であれば民事だが、怪異に対してとなったら話は別だ」
怪異取扱法において、怪異の違法な搾取への処罰は重い。
これはかつて人間に不当に搾取されたことに気づいた夜職の妖怪が、大勢の客を巻き添えに雇い主を惨殺した事件が起きたことに端を発してる。
「あんたもその年なら知ってるだろ。
───“
戦後間もない頃、小さな子を抱えた白狐が生きていくために悪い人間に身を差し出し、賃金ではなく粗末な飯だけを与えられ、違法な性接待を強いられていた事件。
結局、我慢の限界を迎えた白狐が店のオーナーを客諸とも皆殺しにしてしまい、最期はGHQと対策局総出で討伐された悲しい事件をな……」
まだ怪異に対する法整備も未発達だった時代、この事件が転機となり怪異取扱法の整備が急速に進んだと言われている。
「……そんなの、そんなの知ってるに決まってるだろ!
でも、仕方ないじゃあないか!若い人間の女はすぐに東京に行っちまってキャストがいないんだ!この子たちを食わせてくにはこうするしかないんだよ!
私たちだって生きてくのに必死なんだ!!」
「風営法も労基も怪異取扱法も守れねえ奴が笑わせるな。お前はただ金のために何も知らないこの子たちを搾取してただけだろ」
涙を浮かべ叫ぶママさんを、先輩は冷たく吐き捨てた。
どんな理由があろうと、法に触れてしまえばそれまで。法は無慈悲なのだ。
───先輩がママさんの手へ手錠を嵌めようとしたその時、一陣の風が吹き荒れ手錠を真っ二つに破壊した。
「……なんだァ?テメェら……」
先輩の鋭い眼光が裏口と思われる扉へと向けられる。
そこにいたのは明らかにカタギではない男たちと……黒いローブを羽織った小柄な影がひとつ。
「女ぁ!ここが柳谷組がケツ持ってる店と知って暴れてンのかぁ!?」
「風呂屋に沈めてやっかオォンッ!?」
「先生、あいつらやっちまってください!」
「……心得た」
小柄な影が腕を振ると同時に、またしても先ほどと同じ突風が吹き荒れ、先輩のドレスの裾がぱっくりと切れてしまった。
「……おもしれぇ。ひと暴れしちまうか、八塚」
臨戦体勢に入った先輩は足元から炎に包まれていき、真紅のドレスが瞬く間に燃えていく。
そして炎がたち消えると同時に、いつものスーツ姿の先輩が姿を現した。
……まったく、いつも俺たちの仕事はスムーズには終わらないな。
───本州最北端の歓楽街に血の香りが煙った。
────────────────────
・戦後間もない頃に起き、現在の怪異取扱法が整備されるきっかけともなった凄惨な事件。
空襲で焼け爛れた東京某所で、夫を戦争で亡くした美しい白狐が幼い子を食べさせるために、違法な性接待が常態化していたクラブで無賃で働かされていた。
報酬は貧相な食料のみで、彼女たちの生活は困窮を極めていた。
ある日、店のオーナーに真っ当な報酬の支払いを要求した白狐だったが、オーナーは冷たくあしらった。
生きるためにやむなくアメリカ占領軍を相手に体を差し出してきた白狐は我慢の限界を迎え、遂には妖術でオーナーを店の客諸とも惨殺してしまった。
死傷者は50数名。当時としては最大の怪異殺人事件であった。
最期は
残された白狐の子の行方は未だに知られていない。
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