第十九話~八束脛~



「余所者め!帰れ帰れ!!」



弘仁こうにん元年。

都が長岡京ながおかきょうから平安京へいあんきょうへと移されて久しいある時、旅商りょしょうであるオレは都から陸奥国むつのくにの更に奥地へと赴いた。


着いた場所は日の本の北限。

人よりもあやかしや獣の方が多い未開の地、下北半島しもきたはんとうであった。


八年前、征夷大将軍せいいたいしょうぐん坂上さかのうえの田村麻呂たむらまろ”が蝦夷エミシの族長“阿弖流為アテルイ”を陸奥国胆沢いさわにて討伐して以来、陸奥国の大半は大和国へと降ったとはいえ、辺境では未だに“まつろわぬ民”が細々と生き残っていた。


二日ほど前に陸奥湾むつわんに面したトマブと呼ばれる大きな村で、我は都から取り寄せた織物や装飾品、薬といったものを銭や乾物と交換していたところ、とある噂を耳にした。


トマブの村から更に北へ進むとオウハタと呼ばれる漁村があり、その山奥には太古の神々と高貴なる血族の方々がおわすとのこと。


商売の匂いを嗅ぎ付けた我は道なき道と山々を乗り越え、ようやく目的地へと辿り着いたのだが……。



「いかんな……まさかここまで排他的な地だったとは」



我を出迎えたのは歓迎の挨拶ではなく弓矢と矛。普通、旅商が来ればどこの村も珍しい物目当てに歓迎してくれることが多いのだが……。


不思議なことに、この山奥の住人たちはトマブで見た和人や蝦夷独特の衣装ではなく、かつての大墳墓古墳が多く作られていた古い時代の衣を身に纏っていた。


男たちは髪を両耳の辺りで結う美豆良みずらを携えており、女たちは古い島田髷しまだまげをしている。

武器にしても蝦夷が使う蕨手刀わらびてとうは一切見られず、刃物ややじりもしっかりとした鉄製のもの。


見るからに高貴なる者たちであることは疑いようはなかった。


だが彼らは我の話を聞こうともせず、即座に帰れと脅してくる。

このままでは命が危ない。

踵を返し、来た道を引き返そうとしていると、どこからか透き通った女の声が聞こえてきた。



「そこの御客人マレビト、お待ちなさい。

長いこと歩かれて来たのでしょう……せっかくなので私の家で休まれていかれよ」



村のやしろへと続くであろう石段から声を掛けてきたのは、巫女服に身を包んだ垂髪すいはつの見目麗しい娘だった。



「私は……櫛名田比売くしなだひめと申します。あなた様は?」


「……ヤツカ。八束彦やつかひこと申します」



───我は、彼女に一瞬で心を奪われた───。



────────────────────



謎の男の剣に吹き飛ばされた私は、オロチの姿から人へと戻る際、一瞬だけ……或いは長い年月……走馬灯のような夢を見た気がした。


あれは一千年前の大昔、恐らく平安時代の始まりの頃。


私はこの桜幡おうはたの地の山奥で隠れるように暮らしていた。

そう、ちょうどこの袖山そでやま地区に。


何故そのような暮らしをしていたかは記憶があやふやだ。

でも、恐らく当時の大和やまと政権から追われていたからに違いないだろう。


わらべの時から親族に言い聞かされていた───。



『お前は我ら“出雲族いずもぞく”唯一の希望なのだ』



───いつか、大和に支配された出雲を再興してくれると信じ……。



そうだ、私はずっと囚われていたんだ。


この辺境の地にも。


古代出雲王朝の最後の生き残りとしての運命にも───。



……でもある時、あの人が現れ私を救ってくれた。

珍しい都からの旅商であったあの人が。


あれは……間違いない。


八束彦様繋くんだ。



私たちは一目で互いに何かを感じ取り……恋に落ちた。


ちょうどあの頃の私たちも、現代と同じくらいの年齢で……それは燃えるように愛し合った。


……八束彦様が桜幡の地に留まるようになってから数ヵ月。

彼と一緒に薬草を採るために山を散策し終え、家路に着いた時だった。



「ダシィ!ダシィダシィ~!!」



それは土の面を着けた小さい童。

いつの間にか薬草を入れる籠へ忍び込んでいたのであろうその子は家へ着いた途端、急に飛び出してきたのだ。


ダシィと声をあげるその子は、最初の内は私たちの言葉が通じなかった。

八束彦様は蝦夷の捨て子であろうと推測し、身寄りもいないようなので私たちはその子を一緒に育てていくことにしたのだ。



───そう、その子こそがダシィちゃん。

私たちは一千年前に一度出会い……そして家族になっていたんだ。



最初は八束彦様やダシィちゃんのことを忌避していた袖山の里の者たちも、時間と共に私たち家族のことを心から歓迎してくれるようになった。

八束彦様こそ出雲の国を再興してくれる英雄であると。


───だが、八束彦様の考えは違っていた。



「共に遠いところへ、ダシィも連れて逃れよう。このままでは大きな戦になるだろう……」



彼が危惧していたことは現実となる。


間もなくして、どこから噂を聞きつけたのか征夷大将軍せいいたいしょうぐん坂上さかのうえの田村麻呂たむらまろ”が率いる数千の征討軍が桜幡へと攻めてきた。



「久しいな、八束彦……我が息子よ」



袖山の里を囲う兵たちを掻き分け、馬に跨がった田村麻呂将軍が八束彦様へと信じられない言葉を投げ掛けた。



「……貴様に息子と呼ばれる筋合いはない。

我ら八束脛ヤツカハギの一族を根絶やしにしたこと、忘れたとは言わせぬぞッ!!」



八束彦様は私同様、大和朝廷に従わない“まつろわぬ民”とされてきた豪族“八束脛”の生き残りだったのだ。


小さい頃に親兄弟を皆殺しにされ、彼ただひとりが情けをかけられ生き延びたのだという。



「無礼であるぞ八束彦よ。田村麻呂様がお前を拾ってくれなければ、とっくの昔に貴様は地の底で親兄弟と眠っていただろう」



将軍の後ろから姿を見せたのは須佐彦すさひこと名乗るニヤケ面の男。

……私はこの男を目にした瞬間、言葉に言い表せない嫌悪感が腹の底から沸き立つのを感じた。



「黙れ須佐彦!

貴様が我の母と姉を辱しめて殺したことも忘れたとは言わせぬッ!!」



怒りに目を血走らせた八束彦様が剣を抜き威嚇した。

それを見た兵たちはこぞって彼を射抜こうと弓を構える。



「まあ待て、あの時は俺も初陣で気が立っていたのだ。あの後は自制できるようになった。

そこの姫を腹に宿していた出雲王の妃を拐った時は、なぶり殺さぬようちゃんと我慢したのだぞ」



───そうか、この男か。

出雲が滅ぼされた時、身重の母を拐い、産まれた私を己の嫁にしようとしたという変態は。



「それにしても良い身分だな八束彦よ。

あの田村麻呂の狂犬と恐れられた軍団随一の首獲り武者が、まさか商人に身を落としたかと思えば……今度はこんな田舎で家族ごっことは」


「……やめろ」


「散々俺様を貶してくれたが、貴様も俺と似たようなものであろう。


貴様は阿弖流為・母禮の討伐の折、ねんごろになった蝦夷族長の妻と幼い娘を無惨にも殺したではないか。


巷では貴様を“八塚彦やづかひこ”とも呼ぶらしい。

……貴様が赴いた地では“数多の塚”が築かれるほどに人が殺される故な!」


「やめろぉぉぉッッ!!」



剣がかち合い、大きな金属音が響き渡る。

八束彦様が怒りに任せて振るった剣を、田村麻呂将軍の黒漆剣くろうるしのつるぎが止めていた。



「二人ともやめよ。

積もる話はあろうが、我々は戦をしに来たのではない。


……八束彦よ、櫛名田比売を引き渡せ」


「……なんだと」


「お前も知っていよう。

須佐彦は先のみかど御落胤ごらくいん

帝は櫛名田比売を須佐彦の正室として迎えることを認めておられた。

だが、出雲政権の残党が産まれたばかりの彼女をこの地へと拐った。


……櫛名田比売よ、あなた様がこの須佐彦の嫁とならぬと仰られるのなら、我々はこの里の者たちを根絶やしにしなければなりませぬ」



……運命、これが運命か。

であれば選択肢は……ひとつしかない。



「八束彦様、里の皆を……ダシィちゃんのことを頼みます」



意を決し、須佐彦の元へと歩みを進める私を……彼は肩を掴みぐっと引き留めた。



「いけません八束彦様!

このままではあなた様も里の者も、ダシィちゃんまで殺されてしまう!!」


「……姫よ、此奴らを甘く見るな。

どうせあなたを引き渡しても里の者たちは口封じに殺される。

我にはわかる。


……もそうしてきたのだからな」



一瞬だった。

剣を構えて守りに入った田村麻呂将軍と須佐彦以外の兵たちは、何が起こったかもわからぬままに首を吹き飛ばされた。



「血迷ったか八束彦よ!」 


「黙れ、我はもう迷わないと決めたのだ!!

ここには我の愛する者たちがいる!

田村麻呂、貴様の片腕だった男はもういない!!」


「八束彦……!

やむを得ん!全軍、矢を放てッ!!」



号令と共に将軍の後方から雨のような矢が私たちへと降り注ぐ。

が、そのどれもがまるで見えない壁に弾かれるようにしてひとつたりとも命中することはなかった。



「無駄だ……貴様らではこの我は倒せぬ」



血走った目、金色に輝く瞳。

いつしか八束彦様の背中からは大きな蜘蛛の脚のようなものが突き出していた。



「ば、バケモノだ……!」

「これがあの八束脛かッ!?」

「俺は逃げるぞ!こんなところにいられるか!!」



数千はいたはずの兵たちが恐れ戦き、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

が、須佐彦はそれを見逃さない。



「敵前逃亡者には死……あるのみ」



手に持った剣で空を一閃すると、兵たちは瞬く間に首と胴とが別たれ、バタバタと死に絶えていった。


地も川もすべて血に染まり、それを見ていた里の者たちはあまりの血の臭いにえずく者が後を絶たない。



「やはり烏合の衆はいけませんな。

金で雇った雑兵などでは、帝より賜ったこの宝剣“十拳剣とつかのつるぎ”の錆にもなりませぬ」

 

「仕方あるまい、我らの軍団は解散となったばかりであるからな。おかげで都の治安は乱れ荒れ放題よ。

八束彦、我らの元へと戻らぬか。我らと共に都を守護すれば、きっと帝も褒美をくれよう。

今ならまだやり直せる」


「断る。

もう誰かに縛られ言いなりになるのは御免だ。

我は……櫛名田比売と添い遂げる!!」


「ふざけるなよガキが……姫は俺のものだ!!」



八束彦様と須佐彦は地を揺るがすほどにぶつかり合った。

私はダシィちゃんが巻き込まれぬよう里の者たちと共に神社へと避難させる。


……私も腹を決めた。八束彦様と共に戦おう。


この大蛇オロチの姿で。



────────────────────



形勢は我の不利。


須佐彦の振るう、帝の守護神の力が込められているという宝剣“十拳剣とつかのつるぎ”の威力は絶大で、その一振で万の軍勢に匹敵すると云われている。


我の鋼鉄の糸も簡単に断ち切られてしまい、このままではジリ貧だ。



「どうした八束彦、このままでは姫は俺の慰み物となるぞ!

まあ、それもいい!死に行くお前の目の前で貴様の愛する姫をとことん凌辱してやろうぞ!!」


「須佐彦……貴様だけは絶対に殺すッ」



幼き日、田村麻呂の軍に襲われた館で我を床下へと隠してくれた母と姉。

既に父は討たれ、我ら八束脛の一族は尽く殺されていった。


母と姉は目の前にいるこのニヤケ面の男によって辱しめられ殺された。

床下の隙間から見たその光景は今でも目に焼きついている。


───自分たちの意に沿わぬ者たちを“まつろわぬ民”と揶揄し、皆殺しにしてきた大和朝廷と坂上田村麻呂。


そんな一族の仇である軍団に……俺も加わっていた。

田村麻呂に拾われ、情けをかけられたのだ。


我はあの焼ける館と共に死ぬべきだったのに……我はどうしても生きたかった。

生きて、生きて、もがいてでも生き抜いて……そして。



「貴様を殺すために……我は生きてきたんだッ!!」


「がっ!?」



あらかじめ地中へと伸ばしていた俺の蜘蛛の脚爪が見事に須佐彦の意表を突き、背後から腹を貫通した。

間違いなく、致命傷であろう。



「き、貴様……!いつの間に脚を!?」


「足元への注意不覚は貴様の短所。

だからあの時、貴様は床下に潜んでいた幼い我を見つけられなかった」



血を吐き出し、尻餅を着いた須佐彦は息も絶え絶えに後退る。

我は止めを刺すために奴へと詰め寄った。



「た、助けてくれ八束彦……!

もう二度とお前たちに手出ししない!

だ、だから……!」


「安心しろ須佐彦、我もお前と同じく地獄へ行くだろう。

暫くは行くつもりはないが……先に待っていてくれ」



振り上げた蜘蛛の脚を須佐彦の頭目掛け振り下ろそうとした瞬間、間に何者かが割って入った。



「八束彦よ、もう須佐彦は十分に罰を受けた。もう許してやってくれ」


「田村麻呂……!!」



それは征夷大将軍、坂上田村麻呂。

俺を拾い、育て、俺に戦という地獄を味わわせた張本人だった。



「退け!貴様も殺すぞ!!」


「殺すがよい。

お前に殺されるならば本望。


……八束彦よ、須佐彦もまたお前と似た境遇で生きてきた。

先の帝の御落胤であったがために政争に巻き込まれ、産みの親を早くに殺された……否、殺したのは我なのだ。まだ若かった我は幼かった此奴までは殺せなかった……。

お前と同様に愛情を持って育ててきたが、此奴は幼き日の体験から歪んでしまっていた。

……それに目を瞑ってきたのも我だ。


全て……全て我の責任なのだ。

いつかは引導を渡してやろうと考えていた。だが……息子同然に育ててきた此奴を手にかけることは遂にはできなんだ……」 


「……ッ」



阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の乱を鎮圧した田村麻呂将軍は、勇敢に戦った二人を憐れみ助命を嘆願していた。

だが朝廷はそれを許さず、結局二人は死罪となり陸奥国は武力によって制圧されることとなる。


……このお方は昔から心根が優しすぎた。

故に、権力者からしてみれば利用しやすい。


本当は虫も殺せないはずのこのお方が、都の権力闘争から家を護るためには……誰もが忌避する暴力装置へとなる他なかったのだ。



「……我は須佐彦が憎い……そして田村麻呂、あんたもだ。我の父を討ったのは貴様だからな。

だが……同時に愛していた、父として───」



田村麻呂は涙を浮かべ頭を下げた。自ら首を差し出すつもりなのだろう。

ずっと、ずっとこの男はこうなることを望んでいたのかもしれない。


まつろわぬ民と呼ばれた者たちを、女こどもであろうと根絶やしにしてきたその罪の意識。

彼にとってどれほどの重荷であっただろう。


かの有名な清水寺きよみずでらを建立したのも、その懺悔のためだったのだろうか……。



「田村麻呂様、あんたには生きてもらう。

生きて……生きて償ってもらう。

まつろわぬ民たちの怒りを、哀しみを胸に……死ぬまで供養することを誓え!


……我も自らの行いを背負って生きていく。そして、いずれ地獄で再びまみえよう」


「……わかった、心に誓う。

そして……ありがとう、八束彦。我が息子よ。

我は今……ようやく救われた気がするよ」



きっと、このお方はずっと誰かに許されたかったのだ。我なら、まつろわぬ民の生き残りである我ならばそれができる。 


互いに穏やかな表情を浮かべ、我たちは抱き合った。


……それがいけなかった。



「貴様が母上の仇だったのか……!!

死ね田村麻呂ッ!!!」



いつの間にか十拳剣を手にしていた須佐彦が我諸とも田村麻呂様目掛けて一閃を放ってきた。


───ダメだ、避けられない。



「危ナイ、八束彦様!!」



突然、目の前に巨大な蛇が現れ我たちに覆い被さる。

十拳剣の一撃を諸に喰らった大蛇は吹き飛び、我たちも巻き込まれるようにして宙を舞った───。





────────────────────





坂上さかのうえの田村麻呂たむらまろ


・性別……男

・年齢……弘仁こうにん元年当時52歳

・身長……176㎝。

・体重……82㎏

・仕事……征夷大将軍。

・出身……大和国とも陸奥国とも云われている。

・能力……坂家宝剣ばんけのほうけん騒速そはや黒塗剣くろうるしのつるぎといった三つの刀を使い数々の妖怪を退治してきた。(このことで後に編纂される古事記、日本書紀に記される日本神話で数々の英雄譚のモデルとなった)

が、実際は大和朝廷から妖怪と扱われた“まつろわぬ民”……大和国に従属しない人々を抹殺する使命を仰せつかった将軍であった。

・好物……須佐彦すさひこの獲ってきた魚や獣を使い八束彦やつかひこが作った料理全般。

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