第二十話~アラハバキ~


気がつくと、我は神社の境内に横たわり、里の者たちに囲まれていた。

すぐ近くには心配そうな表情を浮かべたダシィが此方を覗き込んでいる。


どうやら我は身体中の骨があちこち折れているようだが、なんとか生きているらしい。



「ダシィ……姫は……田村麻呂たむらまろ様は無事か……?」


「……おじさん、胸のとこ斬られてるけどまだだいじょうぶ……。

ママは……ぐすっ」



首を横に向けると、そこには……純白だったはずの巫女服が真っ赤に染まった櫛名田比売くしなだひめが虫の息で横たわっていた。


あの時、目の前に現れ俺たちを庇った大蛇オロチは櫛名田比売だったのだ。

彼女もまた……俺と同じあやかしであった。



「姫……櫛名田比売くしなだひめっ!!」



我は激痛に耐えながら、這って彼女の元へと向かう。

姫は背中に大きな刀傷を受けており、長くはもたないことは目に見えていた。



「そんな……我のせいだ、我がこの地に来なければ……こんなことには!!」



我は自らを呪った。

我が興味本位でこの地を訪れなければ……私怨のために姫を巻き込まなければ……誰も死なずに済んだのに。


なんのために自分が商人に身を落としたのか忘れたのか。

もう誰も、戦乱で死ぬ者を見たくなかったからなのに。



「……そんなこと言わないで……八束彦やつかひこ様」


「姫っ!?

喋るな、傷が開く!!」


「……もう、いいの。

私は……もう十分に……幸せだった……から。


ずっと、なんのために生きているのか……わからなかった。

この狭い山奥で……ひっそりと死んでいくだけの人生だと思っていた……。


……でも、そんな時に……あなたが来てくれた。 


都のことや……日の本のいろんな名勝のことや……薬草や山菜……それに、美味しいお酒のことも教えてもらえて……この世には……私の知らない広い世界があるんだと、知ることができたから……とても、とても嬉しかった。


……そして、はじめて……人を好きになることができた。


ダシィちゃんとも出会えて……はじめて親の気持ちがわかるようになった……。


だから……だからね……私はもういいの。

ありがとう、八束彦様。

……ダシィちゃんのこと……よろ、しく……っ」



譫言うわごとのように我への感謝とダシィを気遣う言葉を口にした姫は呼吸を少しずつ弱めていく。


ダメだ。

死ぬな、死なないでくれ櫛名田比売。


我は君がいたから生まれ変わることができたんだ。


ずっと、なんのために生きているのかわからなかった。ずっと人を殺すことしかしてこなかったから。


かつて、愛した者をこの手にかけた時から、我はもう誰も愛することはできないと思っていた。


でも、君と出会えて……もう一度人を……命を懸けて愛そうと誓ったんだ。

人を殺すのではなく、人を愛することこそが真に尊いことなのだと気づけた。


でも……我は結局人を殺すことしかできないようだ。

こうして、田村麻呂様も……君も……我は守ることができなかったのだから。



「我は……無能だ……!

何万もの兵を倒せる力があったって……たった一人の命を守ることも、救うことだってできやしない!!


君は我のことを守ってくれたのに……我は……何もできない……っ」



最早生きる意味などない。

我は自らの首に蜘蛛の糸を巻き付け……首を切断しようとした───。



「早まるな八束彦よ!!」



───声のする方へ振り向くと、そこには瀕死の重傷を負ったはずの田村麻呂様が立ち上がり、此方へと歩いて来ているではないか。



「田村麻呂様!?

無茶するな!死ぬぞ!!」


「傷は大したことはない。ちょうどものを懐に仕舞っていたお陰でな。

……咄嗟にお前を庇ったことが功を奏したわけだ」


「だからって……!」


「八束彦、先ほど我に言ったことを忘れたか。

我に重き荷を背負わせておきながら、貴様は何も背負わず死ぬつもりかッ」



喀血しながら我の肩を握り潰さんばかりに掴む田村麻呂様の必死の形相に、我は天下の大将軍の器を確かに感じ取った。



「……案ずるな。

姫を助ける手段は……ここにある!」



田村麻呂様が懐からそれを取り出した。

それはまるで木の枝のように、方々に刃が伸びた小さな、所謂七枝刀のようなものであった。



「これこそ、大和が出雲より奪った秘宝“天叢雲あめのむらくものつるぎ”よ」


「そ、それは尾張おわり熱田神宮あつたじんぐうに納められているはずの……!」



大和朝廷やまとちょうていみかどが皇位継承する際に必要とされる三種さんしゅ神器じんぎのひとつ。


元々は出雲王が王である証として祀っていた祭儀用の神器であった。


伝聞を聞く限り、十拳剣とつかのつるぎをも凌ぐとてつもない妖力ようりょくを秘めているとされている。



「櫛名田比売を探す際、これが役に立ったのだ。この剣が出雲の血族に敏感に反応する故な。

つまり、出雲の血族と深く繋がっているこの剣の妖力を姫へと移すことができれば……命を救うことができるやもしれん」


「姫は……助かるのか?」


「これは賭けだ。

あやかしが十拳剣でつけられた傷を癒すには長い年月が必要になる。いくら天叢雲剣の妖力が強力だとしても、完全に姫を癒すまでにはお前たちの寿命が尽きてしまうかもしれん……」


「そんな……」



それでは結局死ぬのと同義ではないか……!

やはり、我にはどうすることも……。





「だいじょうぶだよパパ。

ダシィがママを助けるから」





「……ダシィ?」



大きく見開かれたダシィの瞳は金色に輝いており、その小さな体からは神々しい光が放出されていく。

そして、ダシィはみるみる内に境内を囲う木々よりも大きくなっていった。


その雄大な姿はまるで、あの東大寺とうだいじ盧遮那仏るしゃなぶつのようではないか。


地を揺るがすダシィに共鳴するかのように、袖山の里を囲う山々から木霊こだま猩々しょうじょう山犬といった大小の神々や獣たちが一斉に声をあげた。



『ダシィ様ダ!

ダシィ様ガ御目覚メダ!!』

『偉大ナル地母神じぼしんガ!

英雄神えいゆうしんガ開眼ナサレタッ!!』

様ガ櫛名田比売ヲオ救イニナラレルッ!!』



「アラハバキ……まさか……!

この神社の名も……荒脛アラハバキ……!

八束彦、お前たちの娘はとんでもない神であるぞ!?」



田村麻呂様が驚嘆の声をあげる。


荒脛アラハバキ

蛇神へびがみとも客人マレビト神とも、石神いしのかみともされる謎の神。

櫛名田比売たちがこの袖山に落ち延びて来た時には既にこの神社は建てられていて、姫はこの神社の神主が匿ったのだという。



「アラハバキ……都の陰陽師が話していたのを聞いたことがあるのだ。

それは日の本の国々が出来上がるより遥か昔、面妖な紋様をしつらえた土の器と黒曜石の鏃を使う謎の民族縄文人たちが信仰していた旧き神であると。


そしてその神は、“原初の地母神”にして“英雄”。

あらゆる生命をつかさどるのだと……!」



田村麻呂様の言うことが真実ならば、本当に姫を救うことができるのかもしれない。

我は……姫を救うならこの命を差し出しても構わない。



「ダシィ!否、偉大なるアラハバキ神よ!!

我の命を捧げる!

だから、だから姫を……我が愛する櫛名田比売を救い給えッ!!」


「……パパとママをバラバラになんてしないよ。

でも、このままママを助けても、きっとまた悪い人たちがママたちの命を狙いに来る……。


だからね、パパとママを平和な時代が来るまであげる。


……ダシィ、力使ったら……きっとパパとママのこと忘れちゃう。

でも……でもね、パパとママはきっとダシィのこと見つけてくれるって信じてる。


だから……大丈夫!」



そんな……ダシィが俺たちのことを忘れてしまう……?

そんなのは嫌だ。

せっかく、せっかく家族になれたのに!



「ダシィ……ダシィ!我は必ず、必ずお前を見つけ出す!

そして……また我たちの娘として帰ってきてくれ!!」



「……ありがとう、パパ。

パパとママは運命の糸で結ばれてる。

そして……ダシィも」



目映い光が我たちを包み込む。

そして地面から巨大な黒曜石の壁が突き出し、我と姫、ダシィを覆った。


……我と姫の体が少しずつ幼く……小さくなっていく。

それに……凄く眠い。



「……くしなだひめ……オレは……なんどうまれかわろうと……また、あなたを……つまに……」


「……おしたいもうしあげます、やつかひこさま。

わたしも……なんどうまれかわっても……あなたを……おっとに……」



重たい瞼をなんとか抉じ開けダシィの方に目をやると、いつもの大きさに戻っていた彼女が足元から徐々に石へと変わってくではないか。



「ダシィ……!」


「ダシィ、ちゃん……!」



「大丈夫。

ダシィはパパとママと……ずっと一緒だから」 



幼児へと退行していく我と姫は、渾身の力を振り絞ってダシィを抱き締めた。

ずっと、ずっと一緒だ。

お前は、俺たちの娘なのだから。



「また、さんにんでおいしいごはんをたべよう」


「はい……おいしいおさかなや……サンサイをたべましょう」


「ダシシ!たのしみ!」



───我たちは……運命の糸で結ばれている。


それが……家族というものなのだから。


抱き合いながら目を閉じた我たちは……深い眠りへとついた───。



────────────────────



巨大な黒曜石は三人を覆うと再び地中へと沈み、先端の部分だけが地表に残った。

残された我はそれを静かに見守ることしかできない。



「……八束彦め、別れの挨拶くらいしていけ」



まったく、お前は昔から好いた女のこととなると周りが見えなくなる性質たちではあったが……まさかこれ程とはな。


まさか躊躇することもなく悠久の時を過ごす覚悟を決めるなど、我であれば到底できぬ。


さて、我に残された役目はまだある。

京の都へと帰り、この里を保護することに努めねば───。



「う、うわあああ!鬼だぁぁあ!!」



「田村麻呂……!死ねぇぇっ!!」



何かに驚いた里の者たちが一斉に我の背中へと逃げ出してきた。

そこにいたのは鬼の形相をした、おぼつかない足ながら此方へと駆け寄る血にまみれた須佐彦であった。


貴奴は虫の息。

いくら十拳剣を持っていても、最早我には敵わぬ。


手に持った天叢雲剣で奴の振るう十拳剣を弾き飛ばし、我は……迷いなく須佐彦の心の臓へと剣を突き立てた。



「さらばだ……息子よっ」


「がっ……はっ……!!」



胸から抜き払った天叢雲剣を手放し、我は倒れかかってくる須佐彦を受け止めた。



「おの……れ……母の……仇……」


「……恨め須佐彦。

悪い父であった……すまぬ……すまぬ……!」



瞳が虚ろになっていく須佐彦の頭を胸に、我は力強く抱き締めてやることしかできなんだ。



「須佐彦や、お主の母は我の思い人でもあった。

先の帝に気に入られお主を身籠ったものの、お前が産まれてすぐに皇后の手先に見つかり命を断たれたのだ。

……我は、お主の母の警護を仰せつかりながら守ることが叶わなかった。

故に、我が殺したも同じなのだ」


「……なんだ……それでは……恨めないではありませぬか……」


「否、恨め!恨んでくれ!

我は心のどこかでお前たち親子を憎んでいたのだ!だから、我はお主の母を守れなんだ!」


「……憎んでいたら……俺を引き取ってここまで好き勝手させられますかな……」


「須佐彦……!

待っていろ……我も近くそちらへ逝く。

……一人にはさせぬ故、安心して逝け」


「……はは、地獄で……来るのを待たねばならない者が……多すぎますな───」



そう言って須佐彦は事切れた。

我は開けられたままの瞼をそっと閉じ、須佐彦を丁重に葬ることを決意した。



「……っ!?

天叢雲剣が……ない!?」



須佐彦を受け止めるために咄嗟に放り投げた天叢雲剣がどこにもないことに気づき、我は里の者たちに確認したが……。



「実は……あなた様が放った剣は地面に刺さったかと思うと、まるで池に沈んだかのように地中へと消えてしまったのです」


「馬鹿な……!」



急いで土を掘り返したが、とても人の手では辿り着けないほど奥深くにそれは没してしまったようだった。



「不吉な……。

何事もなければよいのだが……」



───後にこの天叢雲剣が世紀の怪異奇譚フェアリーテイルを巻き起こすことになろうとは、田村麻呂が知る由もなかった。





────────────────────





須佐彦すさひこ


・性別……男

・年齢……35歳

・身長……180㎝

・体重……80㎏

・仕事……坂上田村麻呂率いる軍団の副将。残忍な性格で戦では敵は女こどもは皆殺し、女を犯すこともよくあった。

・出身……母は日向国の産まれで自身は大和国で産まれる。先の帝の落胤であり、政争に巻き込まれ母を殺された後は田村麻呂に引き取られる。

・能力……西国随一の怪力を誇り、宝剣十拳剣を使いこなしあらゆる妖怪退治も行ってきた。

・好物……酒、肉、口では嫌がっているが八束彦の料理は母の味を思い出す

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