第十八話~真実~


桜幡町からむつ市へと向かうバイパスを走る一台の黒塗りの高級車。

車内は八塚繋の母、聖子の咽び声が響いていた。そんな彼女を宥めようと夫である寛は優しく妻の背中を擦っていた。



「お願い猛さんっ、あの子を助けでやってぇぇっ!」


「よしなさい聖子。繋なら絶対に大丈夫だ」


「何が大丈夫よ!

あの子、本当に死んでもナガメちゃんたちを助けようって顔だったっ!

いつだってあの子はナガメちゃんのこととなったら簡単に命懸けるんだがら!!」



繋が中学1年生の時、信号無視のトラックにはねられそうになったナガメちゃんを庇って繋は10メートル近くも跳ね飛ばされた。電話で警察から最悪の事態も考えておけと伝えられ……聖子は全身の力が抜けてその場で倒れてしまった。


だが、電話を受けて数分もしない内に繋はけろっとした顔で家に帰ってきた。



「わがってる、わがってるよ。

あの子が普通じゃないことなんて、わがってたんだ!

ワイは繋をお腹を痛めて産んだわけでねえけどっ、それでもあの子が一人前になるまでずっと手塩にかけて育ててきたんだがらっ!!

だのに、どうして男はそうやって簡単に命ば懸けるの!!」


「……繋は俺たちの大事な息子だ。血が繋がってなかろうが、あいつのことを今まで他人の子だと思ったことなんて一度もない。

聖子、俺たちにとって繋が命に代えても守りたい存在であるように、あいつにとってもナガメちゃんとダシィちゃんは命懸けで守らなければならない存在なんだよ。

あいつは……もう立派な一人の男。そして大人なんだ。俺たちが手出しできることじゃあない」



聖子が再び泣き崩れ、寛がそれを強く抱き締める姿を、ハンドルを握る百目鬼猛はバックミラーを通して見ていた。



「すまないな二人とも。繋坊との約束でな、もしもの時はお前たちを保護しろと頼まれていたのだ」


「ありがとう猛さん。

しかし、あなたは立場上あそこで神話級怪異とやらを討伐しなければならなかったのでは……。

それに、私たちを匿って本当に大丈夫なのですか」


「ガハハ、心配するな寛よ!

今回の件は明らかに京都総本部の暴走だ。

下北半島の管轄である下北支部を通り越して奴らは動いた。……焦っているのだよ奴らは。

故に、何が起きてるか知らねえ俺は何しようが問題ねえってこった!」


「かなり無茶苦茶な理屈だな……」


「俺たち下北支部に話を通さねえ上の連中が悪いのよ!

それに、安心しろ。繋坊なら必ず生きて帰ってくる。ナガメちゃんとダシィちゃんのことも、絶対に助けてくれるさ。

奴は……俺よりずっと強い男なのだからな」


「ああ、俺は繋を信じている。

……猛さん、ひとつ……俺の我が儘を聞いてくれるかな」



複数の車を追い越した黒塗りの高級車は更に速度を上げ、市街地へと突き進んでいくのだった。




────────────────────



の牙が上総先輩に届くことはなかった。

無数の鋭い牙は先輩の手前数十センチのところで透明な壁に阻まれているかのように静止している。



「……繋クン、ドウシテデスカ?


ドウシテ……ドウシテソノ女ヲ庇ウンデスカッッ!!!!」



恐ろしい轟音が耳をつんざき、大地を揺らす。


俺の糸がナガメの頭を捕らえ、動きを封じ込めたが、これはあくまで一時的な措置に過ぎない。

予想通り、ナガメの鋭い牙が糸を簡単に断ち切り、拘束は解かれてしまった。



「ヤッパリ……ソノ女ハ繋クンノ大切ナ人ナンデスネ!!

私ナンカヨリモッ!!!」


「違う、ナガメ……そうじゃない……そうじゃないんだ」



否、お前にそう思われても仕方ないのかもしれない。

咄嗟に上総先輩を庇ってしまうくらいに、俺の中では彼女の存在が大きくなりすぎたのだ。


俺は、お前の夫なのに。


だのに……俺は対策局員としての責務を全うしようとしたのだから。



「八塚、お前はあいつを討伐する覚悟があるのか」



俺の背中で先輩が語りかける。


いつか彼女に言った、“半端者”という言葉。

その鋭利な刃物言葉が今、俺自身へと跳ね返ってくる。



「私だって最初は櫛田が怪物だと信じたくはなかったさ。

でも、あいつがやってきたことを点と線で結んだ時、真実が浮かび上がっちまった」



先輩は語る。

ダシィが畑を訪れた折、ナガメは真っ先にダシィが山にいることを看破したこと。


『安心してください繋くん、“山”は私の庭ですよ?私がいた方が捜索しやすいと思います』


ナガメはダシィの匂いを嗅ぎ、どこから来たのかを既に見破っていたのだ。

人間離れしたで。


これだけならただの偶然だったろう。


だが、ヨウコウを討伐した後───。


『あんな“死角からの攻撃”……命がいくつあっても足りません!』


……ナガメはまるで戦う俺を傍で見ていたかのような口振りだった。

あの時、俺が感じていた“背筋に氷を当てられたような鋭い視線”と、“規格外の巨体”を思わせる気配……。


パズルのピースがひとつずつハマっていくような感覚を覚える。


極めつけは山菜採りでの巨熊との遭遇。

大きなリュックを八つ裂きにするほどの巨大な熊を、か弱いはずのナガメがダシィを避難させてまで対処できるものか───。



「なあ八塚……今のお前はあいつの、櫛田ナガメの恋人か?

それとも……下北支部桜幡庁舎鎮圧課所属の一等官か?」



ナガメが人を喰った八俣遠呂智と判明した今、対策局員である俺は彼女を討伐する義務がある。

このまま彼女が暴れたら、この小さな桜幡町など簡単に壊滅するだろう。


否、桜幡だけに留まるだろうか。


機甲鎮圧隊が出動しているくらいだ。きっと国家的危機に陥る寸前なのだ。


……だから、俺はナガメを討伐しなければならない。


仕事だから。


そう、俺はプロだから───。































「……ふざけるな」



俺は先輩の胸倉を渾身の力で掴み上げる。

ギリギリと音を立て彼女の首が絞まり、俺の手にはドクドクと脈打つ彼女の鼓動が直に伝わる。




「ナガメには絶対に手出しさせない。

それに、あんたを傷つけるようなことも絶対にさせないっ!!」




「……甘ちゃんがっ!

テメェの対策局員としての覚悟はそんなもんか!!

お前はこの職に就いた時点で決めてなきゃならねえんだよっ!!

例え身内だろうが恋人だろうが、人を殺めた怪異は討伐しなきゃらならねえっ!!


でなきゃ……お前が罪に問われるんだぞ……っ!!」



……そうか、だからあんたは挑発して、ナガメの方から手を出させたのか。確実に討伐目標に選定するために。


俺とその家族がナガメを匿う犯罪者にしないために、ナガメを生け贄にして、自分が悪者になってまで。



「……言ったはずだ。俺は“厄介な奴”だと。


俺はどっちも取る。


ナガメを助けて、対策局員としての仕事も全うする!!」


「馬鹿かテメェは!?

そんなこと無理に決まってんだろ!!」


「できる!

今、“点と線が繋がった”……!」



猛さんへのがまさかここで真価を発揮することになるなんて。

……だとしたなら京都の奴等……絶対に許してはおけない。


お前らの描いた通りになんて絶対にさせん……!!



「先輩、あんたは騙されてる。

京都の連中の討伐目標はナガメだけじゃあない、この俺もなんだ!」


「は、はぁ!?

意味わかんねえぞ!どういうこと───」



「コンナ時マデ二人デ仲良クオシャベリスルンジャアリマセンッ!!!」



再び先輩を狙って喰らいついてくるナガメ。

その大きな牙が先輩を噛み砕こうとした瞬間……咄嗟に俺は先輩とダシィを抱え、糸を使い空中へと避難した。

そして糸の収縮に合わせ、大きなブナの木の天辺に体を固定する。



「パパすごーい!」


「おいおいスパイダーマンかよオメェは!?」


「ええ、今真実を打ち明けます。

俺の正体は土蜘蛛つちぐも、或いは……八束脛やつかはぎ……!」


「……嘘だろっ!?

そいつらは大昔に討伐されて絶滅したはずっ!」


「そう、だがそれはナガメも同じだ。

俺とナガメは古代日本において英雄たちに葬られたはずの怪異───」



だが、“俺たち”はこの地で生きている。

そして、それを快く思わないがいるとしたらどうだ。


───例えば、この日本という国家。

そして……怪異庁。


“古代大和朝廷やまとちょうてい”。

律令りつりょう国家としての日本の始まりはここにある。


古墳こふん時代の末期、彼らは日本全国を支配するために、各地で“まつろわぬ民”と呼ばれた部族、地方豪族ごうぞくたちとの戦いに勝利し、大和日本というひとつの国に取り込んでいった歴史がある。


土蜘蛛……八束脛と呼ばれた存在も元々はこの“まつろわぬ民”だった。

大和はそれらを“妖怪”と揶揄し、討伐されて然るべき存在だと人々に広めた。


そして、それは八俣遠呂智ヤマタノオロチも同じだったのではないか。



「結局神話なんてものは古代における“プロパガンダ”に過ぎない。

八俣遠呂智の正体も元々は水害が多発する暴れ川がモチーフだとされている……が、彼らが“被征服民ひせいふくみん”だったとしたらどうです」


「……大和という国に攻め滅ぼされた出雲いずもの民」



出雲の国島根県には元々“出雲政権”なる大和朝廷とは別の強大な国家が存在していた。

彼らは大陸から渡来した製鉄の技術、そして豊富な鉄資源を持っており、大和の国の脅威となっていたのだろう。


つまり、出雲の国の有力部族や豪族たちこそが八俣遠呂智ヤマタノオロチだったのではないか。


大和素戔嗚尊はその首を取り、天叢雲あめのむらくものつるぎ……つまりは製鉄技術と鉄資源を奪った。

それこそがこの八俣遠呂智伝説の真実。

だからこそ、ナガメの姿は八俣遠呂智の特徴を捉えているものの、“頭が八つ”ではないことに説明がつく。


そして、英雄・素戔嗚尊スサノオノミコトが娶ったとされる櫛名田比売クシナダヒメの正体───。


『お慕い申し上げます“八束彦ヤツカヒコ”様』

オレもだ……“櫛名田比売クシナダヒメ”』



「もし、ナガメが八俣遠呂智なのだとして……そのうえ櫛名田比売なのだとしたら」


「櫛田が櫛名田比売!?

確かに似たような名前だが、あいつはご覧の通りオロチだろ!」


「こうは考えられませんか。

櫛名田比売は……八俣遠呂智とされた出雲の一族から大和素戔嗚尊に“略奪された姫君”」


そして、何らかの理由で櫛名田比売とその一族は大和からこの地まで逃れ、子孫が根づいた。


だとしたら、この国の根幹である神話が崩れ去る。

日本神話を代表する英雄譚が、ただの下衆な略奪の物語と化す。

信仰心などあっという間に廃れてしまうだろう。


そしてその負債を負うのは……。



「素戔嗚尊……!」



この国最高の英雄神がただの略奪者となる。

だとしたら京都総本部が直接動いたのも頷ける。


対策局員には神々の加護を受けて戦っている者たちが数多くいる。

幹部クラスとなれば素戔嗚尊などの高名で強力な神々からの恩恵を受けていることも少なくはない。


もし、ナガメや俺の存在が明るみとなり、そのお偉いさんたちの足元が脅かされるとしたならば……。



「話が飛躍しすぎだろ八塚!?

櫛田が人を殺めるのを京都の連中はずっと待ってたってのか!?」


「待ってたんですよ。否、そう“仕向け”た。

俺とナガメを合法的に抹殺できるように───」



───猛さんへの野暮用。

それはバスターミナルでの地縛霊騒動の日の朝まで遡る。


あの日、日課である境内での鍛練で木っ端微塵にしてしまった丸太の破片を片付けていた時、神社には不相応な物が転がっているのに気づいた。


それは画面にヒビの入ったスマートフォン。

電源を入れると、不用心にもロックがかけられていなかった。

そして持ち主の手がかりがないかファイルを調べてみると、そこにはとんでもない通話記録が録音されていたのだ。



「内容はこの山にヨウコウを解き放てといった京都の者と思われる奴の命令。

そして土蜘蛛である俺を殺せといったものでした。

恐らく、透視能力者などを使って俺たちの所在をある程度掴んでいたのでしょう」



俺はこれを危険と判断し、直ぐ様この件を下北支部機動鎮圧課の課長である猛さんへと伝え、スマホを預かって貰った。

俺に危険が迫った時、家族を保護してくれと頼んだのはこの為だ。


そして今回の騒動。


京都の黒幕はスマホの持ち主に俺を殺すよう仕向け、それを防ごうとしたナガメに殺人の罪を犯させることにより、実力行使できる土台を作り上げたのだ。


俺を殺せれば良し、殺せなくてもナガメを炙り出せれば尚良し。そしてあわよくば自分たちに繋がる証拠広沢耕太郎も消えてくれれば……。


俺たちは奴らの手の平で踊らされたのだ。



「つ、つまり……今回の事件はお前らに対する京都の自作自演ってわけか……!」






























「君たちのような勘のいいガキは嫌いだよ」



突如、ナガメの大きな体が宙を舞う。

それがとてつもないパワーによってもたらされたものだと理解するのに時間は掛からなかった。



「ウァァァアアァァァアッッ!!?」



境内に響くナガメの絶叫。

そしてこの全てを呑み込んでしまうかの如き殺気───。



「ナガメぇぇぇっ!!」



俺は先輩とダシィを木の上に置いたまま、糸をパチンコのように収縮させ、ナガメを吹き飛ばした相手へと蹴りを喰らわせる。

が、相手はそれを見越したように目映く光る剣で防いだ。



「君が八束脛の生き残りだね。

物凄い力だ……まさか我が“十拳剣とつかのつるぎ”を脚だけで抑え込むとは」



剣を持つ中肉中背の初老の男は対策局のスーツに身を包んでいるが、全身が金色のオーラで覆われており、加えて似つかわしくない幻想的な金髪を靡かせている。

明らかに神の加護を受けている人間だった。



「八塚!!

そいつは京都総本部の機甲鎮圧隊隊長、須佐剛彦すさたけひこ特等だっ!!

素戔嗚尊の加護を受けている対策局最強格の男だぞ!?」



先輩が木の上から大声で叫ぶ。

……なるほど、この男こそが俺たちを抹殺しようとしている張本人か。

ナガメの存在が世間に知られればそれは困るだろう。今までのキャリアに傷がつくことは必至だ。



「悪いが君たち“まつろわぬ民”の生き残りは消し去らなければならないのだよ。


歴史とは勝者の物。世界中のあらゆる怪物討伐譚は君たちのような不穏分子の抹殺が下敷きになっている。


キリスト教に定義される悪魔も、元々は征服された土地の神々であったと聞く。


哀れに思うよ……だが、今となってはもうこそが真実!神話!

今を生きる人々にとって、素戔嗚尊の真の姿が略奪者だろうがなかろうが我々には必要な神なのだ!

国内だけではない、“外国からの怪異の脅威”に備える為にも、素戔嗚尊の力を落とす存在はあってはいけないのだよ!!」



───ふざけるな。


お前たち大和の連中はいつもそうだ。


大義名分だけは一丁前に、自らの罪を認めずに俺たちを“妖怪”にして略奪、虐殺、支配を正当化してきた。


お前らのその思考は現代にまで受け継がれているぞ。


中央集権、中央中心体制は今だって変わっていない。


政治家は票稼ぎの時だけ地方に愛想を振り撒くくせに、地方に住む人々の生活など後回し。

資本家の献金で資本家の思うように政治を動かし、自分たちが肥えることだけを優先する。


俺たちはお前らの“奴隷”じゃあねえ。


そして、お前らは“世界の中心”じゃあねえ。



「ぶち壊す……ッ!!

お前らのその自分本位な世界をッッ」



───この光る剣に触れたことで思い出した。


己が何者であるかを。


オレが何故この地に産まれたのかを。


ナガメ……否、櫛名田比売よ。


俺は、今度こそ……お前を広い世界へと連れ出す!!



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須佐剛彦すさたけひこ

・性別……男

・年齢……41歳

・身長……173cm

・体重……70㎏

・仕事……怪異対策局京都総本部機甲鎮圧隊隊長の特等官

・出身……宮崎県西臼杵郡高千穂町

・能力……素戔嗚尊の加護を受け人間離れした怪力を持つ。宝剣“十拳剣”を顕現させ使用することが可能。神話級怪異に対して無敵の強さを誇る

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