第九話~昨夜の余韻~


ダシィを我が家に迎え入れてから明くる日の早朝、俺は荒脛あらはばき神社の境内で竹刀を振るっていた。

中学校では剣道を少し囓っていたのだが、何せ俺は妖怪。相手の剣撃はスローモーションに見えて容易く避けられるし、事あるごとに相手の面や胴をぶっ壊して殺しかけたりと危険すぎたため満足に指導されることなく辞めてしまった。

結局その後はバスケットだったりの応援に加わる程度でまともに運動部に携わることはなかった。


今振るっている剣の型は袖山部落に伝わる神楽の演舞を真似て独自に練り上げた我流だ。

これが結構いい運動になるので、中学の頃から今まで欠かさず毎朝行っている。


この剣撃に“蜘蛛の糸”による動作も加え、あらゆる技を開発、修得している。

例えば蜘蛛の糸を使いパチンコの要領で己を弾き飛ばし、その勢いで切りつけるといった攻撃などだ。これはかなり強力で、真剣であれば岩をも真っ二つにする威力がある。勿論、パチンコを作る場所の位置エネルギーに左右されるが。


さて、そろそろ朝食の時間だ。

今朝の鍛練はこの一撃で終えるとしよう。



「───フンッ!!」



重く鈍い音が境内にズシンと響き渡る。


境内に生えている大きな松の木を使った蜘蛛の糸による滑空斬撃によって、竹刀を打ちつけていた大きな丸太は一撃で木っ端微塵になった。



「やべっ、掃除しなきゃ」



俺は急いで散らばった木片を箒で片付けた。

神社を汚すと後でナガメに叱られる。



────────────────────



6月とはいえ早朝の風はまだまだ冷たい。だが、鍛練を終える頃にはちょうど良い涼風となる。

石段に腰掛けシャツを脱ぎ、汗を乾かしていると下から登ってくる黒くて長い髪の彼女が目に入った。



「おはようございます繋くん。朝御飯の準備ができましたよ」



そう言ってナガメは手に持ったスポーツドリンクとタオルを差し出してきた。


朝日を背にした彼女はどこか神々しくて、陽に照らされた長い黒髪が風に靡くごとに花の香りが伝わってくる。

身に付けている巫女服が神社の参道と相まって、まるでここが神秘の異世界ではないかと錯覚してしまう。


俺は礼の言葉を呟き、渡されたタオルで体の汗を拭う。そのタオルを首に掛け、封を切ったスポーツドリンクを渇いた喉へ一気に流し込んだ。



「ふぅ……生き返ったよ」


「……繋くん、高校時代より更に逞しくなりましたね」



隣に座ったナガメの視線が俺の体を隅々まで刺す。

やや気恥ずかしいが、彼女に裸を見られることはしょっちゅうなのでまあ気にしない。



「東京にいた間も鍛練してたし、ジムにも通ってたからな」


「……触ってもいいですか」



答えを聞く間もなくナガメの手が俺の腹筋に触れる。

そのまま白い雪のような手は徐々にせり上がっていき、遂には俺の頬へと辿り着いた。



「……昨日から随分積極的だな、ナガメ」


「……繋くんが悪いんですよ」


「俺?」


「あの狐の上司上総煬とは随分仲良しさんなご様子で」



頬を掴むナガメの手に少しだけ力が入る。

俺はその手をそっと握り返し口へ当てると、それを見た彼女の切れ長の目と唇がきゅっと細くなる。



「……何回も言いましたが、許しませんからね浮気は」



そう吐き捨てたナガメは勢いよく俺の胸へと飛び込んでくる。



「……そんなことしないよ」


「それじゃあ、なんであの人のことを今まで話してくれなかったんですか」


「バディを組む上司ができたことは言っていただろう」


「女だなんて聞いていませんっ」



まるで蛇のように彼女の白い手が背中を這い、俺の首筋に爪を突き立てる。

ナガメの細い鼻先が胸から喉仏へと線を描いてせり上がり、最後には俺の鼻先とぶつかった。



「心配するなよ、先輩とは仕事以上の付き合いはないから」


「繋くんがそう思っていても向こうはそうとは限りません」


「いや本当に。むしろ俺嫌われてるだろうし」

 

「……繋くんは女心を知らなすぎです!

……んっ」



深い口づけが交わされ、お互いの唇が高い湿度を帯びていく。それに合わせ彼女の指が俺の首、そして髪を激しく掻き乱す。

手持ち無沙汰な俺の手が彼女の袴の隙間へと侵入すると、どこからか艶のある声音が俺の耳を掠め、唇が別たれた。



「ハァ……ハァ……け、繋くん……それは、ダメっ」


「それはないんじゃないかナガメ……お前が“仕掛け”てきたんだろ」


「ひあっ」



ナガメの顔が見るみる内に紅く染まっていく。額からは汗が滲み、耐えるように噛んだ唇は益々紅みを帯びてゆく。



「そ、そうやって東京でも色んな女性を弄んできたんですね……!」


「まさか……俺が“イジメる”のはお前だけだよ」


「だ、ダメっ、本当に……ッ」



ブルブルと震える彼女の口を再び塞ぐ。

声にならない声を発しながら俺の肩を掴み引き剥がそうとするが、力は弱々しくまるで抵抗する気がない。



「繋……くん……昨晩の……つづき……っ」


「……してほしい?」


「もうっ……!」


「ごめんごめん。

……本当は俺がしたいんだ」


「……っ♡」



耳元での囁きに体がびくりと跳ねたナガメを俺は力強く抱き締める。


……ダシィは家の中。こんな早くに参拝に来る人もいない。

ここはもう……俺たちだけの世界。



「繋くんっ」


「ナガメ……っ」
























「おーい八塚ぁ~!いるかぁぁー!?」



「「ファッ!?」」



またしてもとんだ邪魔が入ってしまう俺たちなのだった。



────────────────────



朝っぱらから俺の家を訪ねて来たのは対策局の同僚で小学校からの同級生でもある“寺生まれのTさん”こと寺山輝雄てらやまてるおであった。

……こいつ、親父やかっちゃ母さんと楽しく談笑しながらちゃっかりウチの朝飯を呼ばれてやがる。


時間は朝の7時を回ったところ。

我が家のリビングの食卓には昨日のBBQの残り物やナガメが作ったであろう卵焼きや豆腐とワカメの味噌汁が並んでいた。



「輝雄くんどうよこれ!この間、陸奥湾むつわんで釣った真鯛!」


「おお!メーターオーバーじゃないっすか!

いいなぁ~、俺も船釣り行きてぇ~」


「来週の土日で連れてってやるよ。

……ウチの職場の若い子誘ってるんだ、新卒のイケイケギャルを……グフフ」


「……是非ご一緒させてくださいッ!

いやぁ~それにしても八塚んとこのご飯呼ばれるのなんて何年ぶりかなぁ?

あ、おばさん昨日のYouTwobeユーツーブの配信見ましたよ。相変わらずの萌声っすね!」


「あら嬉しい♡

今度リスナー参加の対戦ゲー配信するしてから参加してけろちょうだい


「了解っす!」



寺山、昔からウチの両親と仲良いんだよな。高校時代はよく一緒に釣りに行ったりゲーム実況動画とか上げてたらしいし。


ふと隣に座るナガメのテーブルを見ると、いつもあるはずのどんぶり飯と卵焼きの山盛りがなく、小さなおにぎり一つとお茶だけがあった。



「あれ、ナガメは朝飯食わないのか?」


「え?あ、あぁ、昨日は少し食べ過ぎてしまったので……」



……まあ、確かに昨日はイワナも肉もたくさん食ってたしな。酒も浴びるように飲んでたし。

ナガメが不定期にダイエットをするのはよくあることなので特に気にしないことにした。



「おはよう、パパ、ママ……おにいさんだぁれ?」



目を擦りながらリビングへと入ってきたダシィが寺山と鉢合わせる。

……おっと、これはまずいかも。



「え……この子、今パパママって……。

ま、まさかおばさん、この子、八塚の妹ちゃん!?」


「まさか。ウチの孫だよ」


「ま……っ!?

ちょっ、そんな冗談笑えねっすよ!あの万年煮え切らないカップルの八塚と櫛田がまさかそんな」


「ダシィはパパとママのこ!

それにパパとママはすっごくナカヨシ!

きのうのよるもいっぱいちゅっちゅしてたもん!」


「え、ええええええッ!?!?」



誰と誰が万年煮え切らないカップルだこら。

顔から湯気を出すナガメを他所に、俺は寺山をしばくついでにダシィのことを説明するのだった。



「ぐふっ、なるほど、事情はわかった!

取り敢えず結婚式の日程は早めに教えてくれや!」


「ちがぁぁぁう!今の説明でどこをどう解釈したらそうなる!?

俺たちはあくまでこの子の親代わりってだけで……」


「あのなぁ、ダシィちゃんはお前らのことを心の底からパパママって呼んでるんだぜ?

それなのに当のお前らが煮え切らないままでどうするよ。

なあ、ダシィちゃん」


「ダシィ、パパとママのこじゃない……?

ダシィいらないこ……?」

  

「うぐっ……」



ダシィを盾にされるとどうすることもできない……。

頼むからそんな潤んだ瞳で俺を刺さないでくれ!

あわあわしている俺を見かねたのか、ナガメが泣きそうになるダシィをそっと抱き締めた。



「うふふ、ダシィちゃんは大事なママとパパの子ですよ。

でも、パパはパパになる覚悟がまだないみたいなんです……きっと他に女がいるんでしょう……。

きっとパパはママとダシィちゃんを捨ててその女のところへ……ううっ」


「パパさいてー」


「息子最低!」


バガ息子出でげ馬鹿息子出ていけ!」


「屑すぎるぜ八塚……」


「お前ら変な小芝居すな!洒落にならんから!

心配せずともナガメのことはちゃんとめとる!!」



……あっ、やべっ。

ついうっかり口が滑ってしまった。



「け、繋くん……っ♡」


「あ、いやっ」


「よし母さん、来月には式を挙げさせるから準備をしよう」


「この日のために貯めてきたワイの貯金が火を噴く」


「俺の方で同級生全員に連絡しときますわ」


「皆頼むから落ち着いてくれぇぇぇ!!」



寺山がウチに来た理由を聞く間もなく、我が家は昨日に引き続きお祭り騒ぎとなるのだった。

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