第三話~桜幡川のヌシ~


上総先輩の後を追い、俺は南食堂のある東町ひがしまちから新町しんまち商店街を突っ切り、町の西側を流れている桜幡川へと向かう。


日本三大霊場の一つである“恐山おそれざん”。その周辺の沢水が集まりできた二級河川であり、時期が来れば鮎や鮭も遡上する豊かな川だ。

一年を通して釣り人で賑わう場所だが、この川にはとてつもない“ヌシ”がいる。



「うわぁぁぁ!!助けてぇぇぇ!!」


「誰かぁぁぁ!!」



ちょうど上桜幡かみおうはた橋に差し掛かった時、どこからか悲鳴が響いた。

橋から川へ目を移すと、そこには体表のところどころに苔むした体長10メートルはあろうかという大ナマズと、その大きなヒゲに捕縛された二人の小学生ほどの男子がいるではないか。



「おいおい八塚くん。ありゃブラックリストにあった桜幡川のヌシ、“大ナマズ様”じゃねえか」



俺より一足先に現場へと到着していた先輩の額には汗が浮かんでいる。

現場は既に他の対策局の人間と警察が辺りを封鎖しており、厳戒態勢が取られていた。


あの大ナマズはかつてこの地で地震を起こしては川を氾濫させ人々を困らせていたという民話に語られる伝説の存在。

伝承では、人々の祈りによって顕現した春日神社かすがさまの化身によってなんとか鎮められたという。



「まさかここまで規格外だとは……。いいね、腕が鳴るよ」


「え、戦う気ですか先輩」


「当たり前だろ!人質を取るなんて汚ねえ真似しやがって!ぶっ飛ばす!!」


「ちょっ!?」



一気に戦闘モードへと移行した先輩は火炎を身に纒いながら橋から飛び降りようと欄干に手を掛け身を乗り出す。

まずい、酒が入ったせいでいつもの倍好戦的になってしまっている。



「ま、待ってください!まだ鎮圧しなければならないと決まったわけじゃありません!」


「んなっ!?どこ触ってんだコラ!!」



寸でのところで俺はなんとか先輩の腰に手を回し静止させる。

このまま酔っ払った先輩に任せれば人質が死にかねない。



「まずは話し合いをしましょう!ここは僕に任せてくれませんか!?」


「うぐぐっ、わかった!わかったから手を離せ変態!」



先輩をなんとか落ち着かせた俺は橋から川の淵へと移動し、ナマズへと向かって大声で呼び掛ける。



「おーいナマズ様!俺だー!八塚繋だ!!」



声が聞こえたのかナマズはゆっくりと近付いて来ると、こちらへ長いヒゲを寄越して捕まえていた子どもたちを丁寧に解放した。

安堵した子どもたちはそのままへたりこみ、上総先輩に介抱される。



「ヤツカ……八塚ノボウズカ。オオキクナッタナ」


「ええ、お陰様で。お久しぶりです」



野太く腹に響く声で大ナマズは話し掛けてきた。

そう、俺は彼と面識がある。

小さい頃はよくナガメや他の友達と一緒にこの桜幡川で彼と遊んでいたのだ。

本来であれば彼の住処は川の上流であり、こんな河口近くの下流にまで下りて来ることはまずないはずなのだが。



「ナマズ様、どうしてこんな下流にまで下りて来られたんですか?子どもたちとは……遊んでただけなんですよね」


「……ヒサカタブリニわらべガオッタノデアソンデヤッタノダ。

イマデハ川デアソブ童ハダレモオラヌ。川ヲクダレバ童ニアエルトオモイオリテキタノダ。

アァ、サビシイ……サビシイ……」


「……そうですか、寂しかったのですね」



どうやら子どもたちとはただじゃれ合っているつもりだったらしい。昔からこのナマズは子どもと遊ぶのが大好きなのだ。

それもそのはず、伝説に語られるような悪さをするナマズは人間たちの創作に過ぎない。


むしろ彼は大雨の日にその巨体で上流の増水をせき止め、天然ダムの要領で下流の水害を防ぐ役割を担う護り神のような存在なのだ。


俺の小さい頃はまだ自然の中で遊ぶ子どもたちが大勢いた。自然と遊び、妖怪や神様と友達になり、そうやって子どもは成長してきた。

しかし時代は変わってしまった。

少子高齢化で地方は過疎化が進み、昨今の流行病の影響もあり外に出て遊ぶことも減り、子どもたちが彼らと交流する機会そのものがなくなってきている。



「八塚ノボウズ、ムカシノヨウニ我トアソバヌカ。オオキナ岩魚ヤ山女ノイルバショモオシエヨウ。マタアノトキノヨウニ皆トアソボウ、アソボウ……」


「……すみませんナマズ様。俺はもう大人になってしまったので、昔のようには遊ぶことはできません」


「……ソウダナ。オヌシハモウ童デハナイカラナ」



拳大の大粒の涙を流すナマズの顔を俺は優しく撫でる。


伝説と現実は違う。

地震が起こる原因はナマズではなく大陸プレートであると証明された現代において、今一度伝説を見返すとそれに伴った真実が見えてくる。


地震の原因として罪を擦り付けられ、迫害されてきた哀れな大ナマズがそれだ。


ただ長く生き、超常の存在となっただけでそれ以上の害などなかったのだ。ただ、人間と遊びたかっただけ。


確かに人間に害を成す怪異がいるのも事実。しかし、人間もまた彼ら妖怪や神に対しても害を成してきた。

森林伐採、河川・海洋・大気汚染による環境破壊。

本来は互いに生きる場所が線引きされ、持ちつ持たれつであったはずの人間と怪異の関係は人間の手によって崩れてきているのだ。



「あの……お兄さんすみません、ナマズさんとお話してもいいですか」



不意に先程の小学生たちが話し掛けてくる。

まだ体が震え、恐怖が滲んだ顔であるにも関わらず、彼らはナマズの元へと近寄っていく。



「さっきはいきなりでびっくりしたけど、俺たちで良ければまた遊んでくれませんか」


「僕も、今度は他の友達も連れてくるんで。一緒に遊びましょう」


「オ、オヌシラ……アソンデクレルノカ」


「はい、俺たち釣り大好きなんで!イワナやヤマメ釣れるところ教えてください」


「……アァ、オシエヨウ。アソボウ、アソボウ……」


「俺も時折会いに行きますよ。貴方の大好きなおにぎりを持って」


「アリガトウ、アリガトウ。八塚ヨ、人ノ子ラヨ」



子どもたちの頭を大きなヒゲが優しく撫でる。表情などないはずのナマズが、何故だかとても良い笑顔を浮かべているように見えた。


約束を交わし満足したのか、大ナマズは再び上流へと帰っていった。

それを見届けた子どもたちはというと、今度の学校行事に大ナマズとの交流を盛り込むことを検討してくれるそうだ。



────────────────────



「子どもの無邪気さってのはある意味恐ろしいな。

本来であれば鎮圧課総出でも退散させることが難しいあの大ナマズをこうも簡単に巣に戻しちまうとは」


「妖怪や神様ってのは純粋ですからね。子どもと相性が良いのも頷けます」



子どもたちを念のため病院にまで送り親御さんたちへの説明を終えた後、俺たちは庁舎への帰途につく。

結局報告書は手付かずどころか更に仕事が増えた形になったが、まあ悪い気分ではない。

昔馴染みにも再会できたわけだし。



「つーか、お前がまさかあの大ナマズと知り合いだったとはな。あいつは大暴れしたら町がぶっ壊れてもおかしくない神話級の危険怪異だぞ」


「そんな危ない存在じゃないですよ。伝説に尾ひれがついて、対策局の人間がよく調べもせず勝手にブラックリストに入れただけの実際は優しいやつなんです。

事実、彼が悪さをしたなんて記述は伝説にしか存在しません」


「お前なぁ、怪異に対して認識が甘すぎるんじゃないか?

あんなデカくて知能も高い怪異は普通は封印されてなきゃいけないもんだ。今回だって話が通じたから良かったものの、一歩間違えれば大惨事だ」


「……本当に危ない奴はブラックリストになんて載りませんよ。存在が知られているってことは誰かがそれを五感で確認して“生きて”その情報を持って帰ったからです。

心霊スポットと同じです。“大丈夫”だからその情報が存在する」


「……お前、変に達観してるところあるよな」



怪異と密接に生きてきた者たちにはそれ特有の“嗅覚”が備わる。

関わって“よい”ものと“いけない”ものを嗅ぎ分ける力だ。


残念ながら今の若い世代にはこの力を備えている者は限りなく少ない。


都会の人間ともなれば尚更だ。

それらの無垢な人間の恐怖を餌にし増えてきた存在、“都市伝説から生まれた異形”は妖怪や神よりもたちが悪く、根源も曖昧で対処が難しいうえ、人間社会に溶け込み直接的な危害を加え続けている。

奴等には妖怪や神のような“人間との線引き境界”が存在しないからだ。



「妖怪や神様はある程度話が通じる。だが“都市伝説から生まれた異形”は話す間もなく喰らいついてくる」



大学時代、俺は嫌という程“そいつら”のおぞましさ、狡猾さを味わった。

奴等は日々生まれ、進化する。

リストに名が載る間もなく、人を喰い殺す。



「……まあ、私はここに来て日が浅い。地元出のお前とバディが組めて正直助かってるよ」



庁舎の正面入口に差し掛かると、先輩が俺の肩を抱き体を寄せてきた。



「ちょっ、酒臭っ」


「んだと~?レディに向かってこの野郎!つかお前さっき私の尻に手回したよな?!

この痴漢野郎!」


「あれは不可抗力!」



ここまで先輩が俺に信頼を寄せてくれるまでにはいくつかの紆余曲折があった。


能力評価試験の結果、新卒一等官の誕生という前例のない事態に対し、怪異対策局総本部からの打診は、試験で敗れた教官とそれを倒した一等官のバディ結成。


当然先輩は荒れに荒れたが、この二ヶ月間を共に過ごし、今回のような任務をこなしてきたことで互いに信頼を置けるパートナーとなることができたことは素直に嬉しく思う。



「ま、これからもよろしくな相棒バディ


「……こちらこそ、先輩」


「んひひ、私ら結構相性いいかもな。

どうする?どうせなら付き合っちゃう?」


「ちょっ、変なこと言わないでくださ───」



「繋くん……?」



「!?」



大蛇に睨まれたかのような殺気が全身を駆け巡る。

庁舎の正面入口にはいつもの巫女服ではなく他所行きの洋服に身を包んだ俺の幼馴染、櫛田くしなだナガメが立っていた。



「繋くん、その女は誰ですか」


「あ、いやその」


「それに今言っていたこと、どういう意味かな?

付き合う……とかって聞こえたけど」



ナガメの切れ長の目が更に細く鋭くなっていく。俺はまるで蛇に睨まれた蛙のように体が固くなり動けない。



「許せない……繋くんを誑かして……繋くんを誘惑する薄汚い売女めッッ」



カッと見開かれた目は真っ赤に充血し、今にも血の涙が噴き出す勢いだ。

うわぁ、あいつがブチギレるとこ久々に見たなぁ。

確か前は高校の時、ナガメが大切に取っておいた卵を俺が食っちまった時だったか。

あの時は殺されるかと思った。


……いや、今回はマジに殺されるかも。


一難去ってまた一難。

ぶっちゃけありえないこの展開に俺はついていける気がしないのだった。



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大ナマズの伝説は実在します。

まんが日本昔ばなしにも取り上げられました。



八塚繋やつかけい


・性別……男

・年齢……22歳

・身長……188㎝。

・体重……88㎏

・仕事……青森県怪異対策局下北支部桜幡庁舎鎮圧課所属の一等官。

・出身……青森県下北郡桜幡町

・能力……生まれついての怪異耐性。高い身体能力。【検閲済み】。

・好物……カツ丼、ナガメの手料理全般。

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