生涯を共にする相手
知らない男たちだった。
羽交い締めにされ、すぐそばの細い路地へ引きずり込まれる。抵抗しているとイライジャが貸してくれた帽子が落ちた。結っていた髪がはらりと乱れ零れる。
店主と話しているイーサンの後ろ姿は、数人の男たちによって見えなくなった。
地面は日が当たらないせいで雪が溶けきらずに踏まれ、黒く固まっている。ナターシャは暗くてかび臭い堅い地面に雑に転がされ、肩と腰をぶつけた。
痛みに耐えていると、ひげ面の男がしゃがみ込み、ナターシャの頬を汚い手で掴んだ。
無礼者と叫びたかったが、口元は布で塞がれてしまい、くぐもった声が出るだけだった。きっと睨み上げる。男は卑しい目つきでナターシャを見下ろした。
「あーあ。兄ちゃん、気をつけろって言っただろ?」
ナターシャは目を見張った。ひげ面の男の横に座り込んだ小柄な男に見覚えがある。
さっきすれ違いざまに思いっきり肩をぶつけられた。そのとき落としたナターシャの変装用の帽子を被っていた。
「この娘、やっぱり宰相の妹だ」
「兄貴、それ本当かよ?」
「ああ、間違いない。王都で一度だけ見たことがある。宰相と顔が似ている」
「令嬢が、男の格好して物見遊山か? 言い身分だな」
小柄の男はナターシャの帽子を指先でくるくると回しながら言った。
「世間知らずのお嬢さんだからしかたない」
ひげ面男は仲間と一緒にせせら笑った。
世間知らずなのは認めよう。だが、この者たちに雑に扱われるいわれはない。
身の危険にともなう恐怖がないわけじゃない。それでも、馬鹿にされた怒りの方が勝っていた。一泡吹かせてやりたいという思いがナターシャの中で沸々と起こる。
「とりあえず、ここを離れるぞ。荷台で運べ」
ナターシャは頭から大きな布を被せられそうになった。男たちに好き勝手させたくないと、身体を捻って逃げる。
「この女、生意気な。おとなしくろ!」
男が拳を振り上げた。殴られるとわかり、襲いくる痛みに備えるため、ぎゅっと目を瞑った。
――こんなの、いや! 誰か、助けて。
助けて、イライジャ様……!
刹那、だんっと激しい音が聞こえた。
覚悟した痛みはこない。目を開くと、ナターシャを殴ろうとしていた小柄の男は吹き飛び、倒れていた。
男の怒号と物が壊れる音が聞こえ、顔を向けると、ひげ面の男は腕をひねり上げられ、地面に倒されたいた。上に乗り、抑えつけているのはイライジャだった。
「ナターシャ!」
男が気を失うと、イライジャは駆け寄ってきた。ナターシャの身体を抱き起こし、口の布を外した。
「怪我は?」
「平気……大丈夫」
イライジャはナターシャを見つめ、辛そうに顔を歪めた。
「ごめん! 俺がついていながら、怖い思いをさせた」
ナターシャは首を横に振った。
「イライジャ様……」
理不尽に陵辱してくる男たちに屈しないと、思っていた。仕返しをする機会も狙っていたがいざ助けられてみると、心底ほっとした。自分の無力さに涙が溢れる。
ナターシャはイライジャの大きな胸に飛び込んだ。背に手を回してぎゅっと抱きしめる。
「ナターシャ……もし君に、何かあれば、俺は……っ」
彼の身体は微かに震えていた。
――イライジャ様が、私を案じて震えている……
ナターシャは彼が取り乱している姿を見たことがなかった。常に冷静で、任務遂行のためならばどんなことでも淡々とこなす彼しか知らない。
埋めていた胸から顔を上げ、イライジャを見つめた。
「イライジャ様、さっき私ね、殴られるとわかって、すごく怖かった。そのとき頭に浮かんだのは、あなただった。……イライジャ様しか、浮かばなかった」
イライジャは目を見開いた。
「でも信じてた。あなたはきっと来てくれるって。助けにきてくれて、ありがとう」
微笑みかけると彼は、愛しむようにナターシャの頬に触れた。
「君が、無事でよかった」
イライジャは、ナターシャを確かめるように強く抱きしめた。
「おい、あいつら誰だ。仲間がやられてるぞ!」
ぱっと振り向くと、他にも仲間がいたらしく男が数人、路地の中へ入ってくる。
緊張で身体を強張らせているとイライジャがナターシャを抱き上げた。男たちが現れた方向とは反対の方へ走り出した。
「しっかり捕まってろ!」
ナターシャは頷き、彼の首元にしがみついた。
イライジャは走りながら立てかけてある廃材を蹴って追っ手の足止めを作っていく。角を曲がると、大きな通りを行き交う人の姿が見え、そこまで一気に走り抜けた。
通りの向こう側は川だ。イライジャは人混みを避けて進み、大きな身体を曲げて橋梁下に潜りこんだ。気づかれないように息を潜める。
「いたか? 探せ! おまえは橋を渡れ」
しばらく橋の上で騒がしかった追っ手は二手に分かれ、去って行った。
音が聞こえなくなるとイライジャは「もう大丈夫」と静かに言った。
「君のことは絶対に守る。ひとまず、イーサンたちに合流しよう」
「待って」
ナターシャはイライジャの手を掴んで止めた。
「歩けないなら俺が運ぶ」
「そうじゃないわ。聞いて欲しいことがあるの」
腰を浮かせていたイライジャは元の位置に座り直した。
「なに? 手短にし……、」
「愛されて守られるなら他の誰でもなく、あなたがいい」
彼の目を見て伝えた。
「この旅で色んな場所へ行き、たくさんの人と出会ったわ。危険なことはなくて、イライジャ様に守られて私は幸せだった」
「ちょっと、待って」
目を見開き驚いている彼の手をナターシャは両手でぎゅっと掴む。
「他の女性ではなく、ずっと私の傍にて欲しい。独占したい。私が尽くし幸せにしたいと思う人は、イライジャ様、ただ一人です」
イライジャは、ナターシャの手に自分の手を重ねた。
「ナターシャ。君は襲われたショックで動揺している。たまたま俺が現れたから、恩を感じそう思いこんでいるだけだ」
ナターシャは首を横に振って否定した。
「気が動転して言っているんじゃないわ。ずっと、考えてた。あなたが愛せる女性は生涯一人だけなのでしょう? 私もです。生涯を共にするなら私はイライジャ様がいい。あなたを夫に選ぶわ」
イライジャの瞳が揺れた。信じられないらしく顔を逸らしてしまった。
「イライジャ様、私はあなたが好きです」
はっきり伝えると、逸らされていた瞳がナターシャに向いた。じっと見つめ、しばらくしてから彼は口を開いた。
「義務ではなく、本当に?」
「ええ、信じて。同情や慰みなんかでもない。心から、あなたに惹かれてる」
ナターシャはイライジャに近づいた。そっと、キスをする。鼻先が触れる距離で、彼の瞳をのぞき込む。
「イライジャ様、私はあなたに決めた。だがら、あなたもその口で、ナターシャ・アルベルトが欲しいと言って。イライジャ様が私を望んで幸せになってくれないと、私は幸せでいられなくなる」
固まってしまっている彼の頬に触れる。もう一度顔を寄せ、唇に触れようとすると、イライジャのほうから唇を重ねてきた。
「ナターシャ……好きだ」
溺れそうなキスのあと、彼は苦しそうに呟いた。
「君が誰を好きだろうが、この気持ちは変わらない」
「相変わらず、想いが重いわね……」
「……軽くするのは無理だ」
ナターシャは彼が愛しくて、思わずふっと笑った。
「イライジャ様、覚えておいて。あなたの愛を受け止められるのは、私だけよ」
イライジャは、一瞬嬉しそうに目を細めた。彼の手がナターシャの背中に回る。 触れているところから想いが伝わってくる。すべてが熱く、加速していく。
気づくと心が満たされて、胸に空いていた大きな穴がイライジャで埋まっていた。注がれた愛情を、それ以上にして彼に返してあげたかった。
少しの隙間も作りたくなくて、お互いを確かめるように、きつく抱き合った。
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