彼は本心を偽るのが上手



「イライジャ様がどなたと結婚するのか気になりますか?」

「それは、なりますよ」


 イーサンにはもう筆談する必要はない。ナターシャはそのまま答えた。

「彼とは幼なじみですので。幸せになって欲しいと思っています」

「イライジャ様も言ってましたよ。ナターシャ様には幸せになって欲しいと、おっと、危ない」


 たくさんの商品を載せた大きな荷台とすれ違うとき、イーサンはナターシャの肩を抱き引き寄せた。


「大丈夫ですか?」

「はい、ありがとうございます」

 シトラス系の香りがした。イライジャとは違う匂いを嗅いで身体を強張らせると、イーサンはすぐにナターシャを離した。


「もう少し、道の端へ寄りましょう」

 イーサンはスマートで大人だ。やさしい笑顔でさりげなくナターシャをエスコートしてくれる。話は楽しく、尊敬できる。非の打ち所がない彼が婚約者として一番良いのはわかっている。しかし、ナターシャの胸はときめく様子がない。


 彼のような立派な人ですら胸が熱くならないのなら、もう、恋は出来ないかも知れない。

そう思ったときだった。


「イライジャ様は、誰とも結婚しないと思いますよ」

 イーサンの言葉に下を向いていたナターシャは顔を上げた。辺境伯子息は、眉尻を下げて困った様子で笑った。


「実は今朝、彼に女性を紹介しようと言ったんです。ですが、きっぱり断られました」

 いつの間にそんな話をしたんだろうかと、目を見張った。 イーサンは、やさしく目を細めると続けた。


「愛せる女性は生涯一人だけだそうです」

熱くならないと思ったナターシャの胸に火が灯る。鼓動がとくとくと速くなっていく。


 イライジャは昨夜、忘れると言っていた。だけど、彼は本心を偽るのが上手だ。

 ……自惚れではなく、きっとそうだわ。イライジャさまが生涯愛するのは、わたくしだけ。

 

 ナターシャの分まで陛下に尽くすつもりでいるのは本当だろう。きっと生涯独身でいるつもりだ。だが、必要なら、陛下のために結婚だってしかねない。


「貴族の結婚は、本人たちの意思ではどうにもないことが多いでしょう。結婚が幸せのゴールとも思いません。陛下のために生涯身を捧げる、それも幸せの一つでしょう。ですが、彼は愛する人がいるのに結ばれないようだ。イライジャ様は、もっと幸せになっても良いと思いませんか?」


ナターシャもイーサンと同じ意見だった。


「しかたなくした結婚だとしても、イライジャ様の心が別にあるのなら、彼の妻や子どもは幸せとは言えないでしょうね」

 

 イライジャはナターシャに、陛下への想いは置いて行けと言ったが、自分は置いて行くつもりはないようだ。

 ナターシャは、溜め息と一緒に項垂れた。


……あの日、本心を聞き出せなかった私の負けだわ。

 いや、たとえ本心を聞き出し、酷い女となって振ったとしても結果は一緒だっただろう。

 彼の重い愛は誰よりも自分が知っている。


「イライジャ様が、好きでもない人と結婚するのは嫌です」

 ナターシャの口からは本心がこぼれた。


 リアムはミーシャが好きだった。ミーシャと一緒になることでリアムが幸せになると確信したから身を引くことができた。だが、イライジャは違う。

 彼が結婚をするときは、好きでもない人とだ。それは、誰も幸せにしない選択のように思えた。


「私もですよ、ナターシャさま。あなたが好きでもない私と結婚するのは嫌です」


 どきっとした。目が合ったイーサンはまっすぐな眼差しをナターシャに向けている。彼が今まで独身の理由も分かった気がした。


「あなたは、やさしすぎるのですね」

 ナターシャの言葉に彼は朗らかに笑った。男装だが、イーサンに向かってカーテシーをする。


「イーサン様からの結婚申し出は大変光栄です。ですが、わたくしナターシャ・アルベルトは誰からも尊敬される辺境伯子息の奥方に、ふさわしくありません。身に余りますので、謹んで断りすることを、お許し頂きたいと思います」


 イーサンは胸に手を当てると頭を傾けた。

「はい、ナターシャ様、そしてイライジャ様のためにも、それが宜しいと思います」


 彼は、これからも良き友人になりましょう。と快活に笑い、最後まで大人で立派だった。



「さてと。アレクサさまたちの元に戻るためにも、本当にお土産を買いましょう。何がよろしいですか?」

「イーサン様。購入は自分でしますわ」


イーサンは本気で土産代を払うつもりでついて来てくれたらしい。結構ですと断ったが「そう言わずに」と彼は引き下がらなかった。

ナターシャは結婚を断った身で申し訳ないと思いながらも、彼からの好意に甘えることにした。


「お土産はご自分用ですか?」

「義姉にです。この地域にしか手に入らないものをと考えているんです。織物とか、工芸品とか」

「宰相さまの奥様に? でしたらちゃんとした業者を呼びますので、お屋敷に帰りませんか? この市場は食品や生活用品がメインなので、一級品を扱っている店は一部だけですよ?」

「いえ、ここでかまいません。珍しいものがあれば喜ぶと思いますので」


 アリシアは高価な物よりも見たことがない珍しい物を好む。高いアクセサリーよりも民芸品を買って帰るつもりだった。


「わかりました。ではとりあえず、片っ端から見てまわりますか?」

「そうですね。あの店から、覗いて見てもいいですか?」


 ナターシャは工芸品や装飾品を扱っている店の前へ向かった。

 簡易のテーブルの上にクロスを敷き、大きな宝石がついたネックレスやイヤリングが並べられ売られていた。


「いらっしゃい。これはこれは、辺境伯子息! ようこそ。ぜひうちの自慢の商品を見ていって下さい。これらはすべて、カルディア国から輸入したどれも一級品だ。いかがですか?」 


 中年の男性はえびす顔でにこにこと話しかけてきた。珍しい工芸品が見たかったが、しつこくルビーが埋め込まれたブレスレットを進められ、ナターシャはしかたなく手に取って眺めた。


「カルディア国産? これ全部が?」

 ナターシャは眉間にしわを寄せた。


「隣国は貧しいのかしら。これ、偽物よ」

 指摘すると、店主はえびす顔のまま固まった。

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