想像したくない
眩しい日差しと、鳥の賑やかな囀りで目が覚めた。
風の国が近い。隣国は鳥の種類が多いのだろうかと思いながら、気だるく寝返りを打つ。
「まだナターシャ様は寝ています」
階下から声が聞こえ、ナターシャは跳ね起きた。
部屋は吹き抜けで中二階に居るため、柵から顔を出せば下が覗ける。暖炉の前でイライジャとイーサンの侍従が立ち話をしていた。
「起きているわ。おはようございます」
上を見上げた二人と目が合う。
「朝早くに申し訳ございません。今日よかったら街を案内させてもらえたらと思って」
侍従の女性はぺこりと頭を下げた。
「イーサン様が直々に案内したいそうだ」
イライジャに頷きを返す。
「分かりましたわ。支度してお屋敷に向かいますとお伝えください」
ナターシャは急いでシャワーを浴びた。一人でする身支度にもすっかり慣れた。男の格好に着替え、宿を後にした。
外は昨日の吹雪が嘘のように止み、快晴だった。
イーサンと合流し向かったのは領地内の市場だ。
「雪が、どこにもないわ」
市場は予想よりも規模が大きかった。広場に雪はなく、いくつもの露店が所狭しと並び、たくさんの人で賑わっていた。
「雪が明け方には止んだので、なんとか午前中に除雪できました」
イーサンは横に並ぶとにこりとナターシャに笑いかけてきた。イライジャは昨日と同じように素顔を隠し、後ろに控えている。
彼には自分たちの素性を打ち明けたが、ナターシャはまだここに嫁ぐかどうかを決めていない。身分を晒して街を探索すると混乱を招くと思い、伏せたままだ。
「辺境伯子息! 新鮮な魚が入ったんです、お屋敷にお持ちいたしましょうか?」
「あら、じゃあ、うちの果物もいかがです? カルディア王国産で美味しいですよ!」
領主の息子のイーサンは歩くだけでみんなに声をかけられた。
「イーサン様は領民に慕われていらっしゃいますね」
少数だが、貴族だからと偉ぶる人がグレシャー帝国にもいる。ナターシャはリアムのように、民と親しいイーサンに好感が持てた。
「隣国と接するこの地域では地元の民との結束が大事なんです。ふんぞり返っていても人々の心は動きませんからね」
市場の賑わいを眺めるイーサンの横顔は威厳と誇らしさが滲んでいた。尊敬できる人だなと、素直に思った。
昼を過ぎると行き交う人々が一気に増えた。まっすぐ歩行ができず、すぐに立ち止まってしまう。
「そろそろ市場を離れましょう。ナターナエル様に何かあったら大変だ」
イーサンの申し出にこくりと頷いた矢先、
「わっ」
「兄ちゃん、気をつけろ!」
すれ違いざまに肩を思いっきりぶつけられ、ナターシャはよろけた。人混みの中に、被っていた帽子が落ちて見失う。
「立ち止まると危ない。このまま前へ進みましょう」
帽子は諦め、人の波から逃れることに集中する。やっと人通りが少ないところへ来たときには、髪は結び目が解け、ぼさぼさだった。
「ナターナエル様、これを被ってください」
頭に乗せられたのは、イライジャが被っていた帽子だった。
「昨日の豪雪の影響ですかね。天気に誘われて人が多いようだ」
イーサンは申し訳ないとナターシャに頭を下げた。
「いえ、活気があって素晴らしいです。賑わいを見せていただきありがとうございます。楽しかったですわ」
にこりと微笑みかけるとイーサンはほっとしたように笑った。
「あれ? 辺境伯子息とイライジャ騎士団長じゃないですか?」
大きな声で話しかけられ振り向くと、恰幅のいい護衛兵が笑顔で近づいて来ていた。
「アレクサ隊長。お久しぶりです」
「隊長も市場へ買い物ですか?」
イライジャもイーサンもアレクサ隊長と面識がるようだった。ナターシャの視線に気がついたイライジャが彼のことを教えてくれた。
「カルディア兵侵攻のときに、この地域の防衛を担当していた隊長だ。ミーシャ様と流氷の様子を見に来たとき世話になったんだ」
「アレクサと申します」
「彼は、ナターナエル様です。詳しいことは言えませんが、私の今の任務は彼の護衛です」
イライジャに紹介され、喋れない設定はそのままにナターシャは頭を下げて挨拶をした。
「イライジャ様。ミーシャ様は息災ですか?」
「元気ですよ。今陛下と婚前旅行中です」
「それは何よりです。それで、イライジャ様はいつ結婚して身を固めるおつもりですか?」
「この身体と命は陛下のもの。いつ死ぬか分からない身です。特別な人は作れませんよ」
さらりと言って退けたイライジャの横顔をナターシャは思わず見つめた。
「陛下の盾となるお覚悟は本当にご立派だと思います。ですが、国の未来を考えると、やはりあなた様も妻子がいた方が宜しいかと思いますよ」
アレクサは豪快な笑顔を浮かべながら言った。
「未だ独身の私が言うのもなんですが、アレクサ隊長の意見に私も賛成です」
イライジャはアレクサとイーサンに詰め寄られ「ですが……」と、たじたじだ。
「ジーン宰相とイライジャ様は、リアム陛下の幼少期からのご友人というのは有名な話です。陛下の御子が産まれたあかつきには同じようにご友人が必要でしょう?」
「イーサン様の仰るとおりです。陛下の子どもにも身近で頼れるご友人が多い方がいいんじゃないか?」
「二人とも、子煩悩というか、子どもが好きなんですね」
イライジャは苦笑いを浮かべた。
「ナターナエル様もそう思うでしょう? 陛下の御子には、ご友人がいたほうがいい」
アレクサはナターシャにも話題を振った。
子どもについてはもっと先の未来だと思っていた。しかし、実際にもうすぐ兄夫婦の間に子どもが産まれる。ナターシャは首を縦に振った。
【そうですね。陛下の御子にはご友人が多い方が良いと思います】
筆談して答える。
自分たちは幼少期から切磋琢磨して育った。おかげで今の絆がある。
【陛下とミーシャ様の御子の誕生はとても楽しみですね。どちらに似てもご立派になられることでしょう】
すらすらと答えるナターシャをイライジャは心配そうに見つめた。だけど本心だ。二人には幸せになって欲しい。
「陛下の御子のご友人を作るのも、イライジャ様の務めですよ」
ペンを握るナターシャの手が止まった。
兄夫婦、そしてリアムとミーシャの間に子どもが産まれるのは楽しみで、喜ばしく思える。歳が近いご友人が多い方がいいのも確かだ。
しかし、イライジャの子どもは具体的に想像できない。考えを拒む気持ちが瞬間、過ぎった。
なんて答えるのだろう。と、顔を上げる。速くなる鼓動を感じながらイライジャを見た。
「今の任務が落ち着くまでは何も考えられない」
ナターシャの胸に痛みが走った。
つまりイライジャは落ち着けば、義務のためならばどこかの令嬢と結婚、そして子をなすことも有りえるということだ。
イライジャは次男で、家督を継ぐ必要はない。だが、普通に考えれば結婚はごく自然なこと。
ナターシャは幼なじみの彼の幸せを願っている。彼の気持ちに応えられない以上、自分への気持ちを吹っ切ってもらいたかった。報われない気持ちが辛いのをよく知っているからだ。
その自分がなぜか今、彼の結婚を喜べなくなっている。
陛下のために命を投げ出す覚悟なのも知っている。なのに、彼のいない未来は受け入れられない。
ナターシャはペンをぎゅっと握ると文字を書き殴った。
【妹にお土産を買ってくるように言われていました。見てきます】
文字を見せるとすぐにナターシャは男性陣に背を向けた。
「ナターナエル様、お待ちを。お店なら私がご案内します。イライジャ様とアレクサ様は募る話もあるでしょう、ここで待っていてください」
イーサンはナターシャに追いつくと、「女性が喜ぶかわいいお店はこちらです」と案内した。
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