夢での邂逅


 兄ジーンはナターシャが八歳のころにはすでに将来を有望視されていた。しかも誰からも好かれる人垂らしだった。

 親や周りの期待に答え続ける十六歳にして完璧な兄と、何もかも中途半端な自分を比べて、いつも焦っていた。


 ナターシャは雪が降ろうが晴れようが国同士が喧嘩しようが机に向かう日々。人より多い勉強量と、習い事が日常のすべてだった。

『伯爵家の令嬢だから』『兄のようにならなければ』と、頭ではわかっていても集中力はすぐに切れて、勉強は捗らず、習い事もなかなか上達しなかった。


 雪が珍しく止んで快晴の日だった。白銀の雪と青い空に引き寄せられるように、ナターシャは家出をした。といってもアルベルト邸は広い。

 家出先は庭の片隅の大きな木の裏にこっそりと、何日もかけて作ったかまくらだ。中には小さな身体の自分しか入れないが、身を隠すには充分だった。


 三時のティータイムを過ぎると、みんなが自分を探す声が聞こえはじめた。腹が鳴ってもナターシャは出て行かなかった。

 ここにいれば絶対に見つからないという自信があった。


「見つけた」


 金色の西日があたりを照らす中、ナターシャに笑いかけてきたのがリアムだった。


 髪が陽の光を受けて琥珀色にきらきらと輝いている。文字通り、王子様が現れた。


 彼のそばには幼なじみのイライジャもいた。四歳年上の彼は当時、リアムと一緒に父に勉強を教えてもらっていた。

 ナターシャには何も教えてくれないのに。と妬んで二人のことは遠巻きにしか見たことがなかった。関わらないようにしていたし、機会もなかった。


 第二皇子がこんなにかっこいいなんて聞いていない。避けるんじゃなかったと後悔した。


 二人は自分が行方不明と知り、一緒にナターシャを探してくれていたと説明した。兄は別を探しているという。

 兄と比べられるから帰りたくないと家出の理由を説明すると、リアムは無理やりつれて行くようなことはせずに、ナターシャの味方をしてくれた。


「ナターシャはそのままでいいよ。ジーンを意識して、良い子になる必要はない」


 彼の言葉は、自分を見失っていたナターシャの心に深く刺さった。

 期待に応えなければ、良い子でいなければ。もっと頑張らなければとがんじがらめになっていた心を掬ってくれた。


 陽が暮れるまでの短い時間だったが、一緒に雪で遊んでくれた。彼は雪だるまや、クリスタルのような透明で輝く大きな氷を一瞬で作ってくれた。久しぶりにたくさん遊んで、とても楽しかった。


 リアムに一目惚れ、そして夢中になるのはあっという間だった。


 彼の想い人は「クレア様」ただ一人で、リアムにとってナターシャは、親友の妹。八歳年下の女の子。


 何度好きと伝えても子ども扱いで、本気にしてもらえなかった。


――ナターシャ。君がどれだけ俺を想ってくれても、その気持ちに応えることはできない。


 子どもではなく異性として見られるように自分を磨いた。彼の横に立てるように、嫌いな勉強も習い事も、兄を超えるつもりでがんばった。それでも、想いは届かなかった。

 

 恋は叶わなかったが、応えることができないと言われて、やっと、自分を異性として認識してくれたと嬉しかった。

 ただ、好きな人の幸せを邪魔するような、困らせる存在にはなりたくない。


 引き際は潔く。なけなしのプライドで、フルラ国に旅立つリアムとミーシャを笑顔で見送った。


……リアム様、お願い行かないで。ここに、そばにいて……。


 伝えられなかった言葉を放ち、彼の背に手を伸す。すると、自分よりずいぶんと背が高い彼は、ゆっくりと振り返った。


 ナターシャに微笑むその顔はリアムではなく、イライジャだった。



「ナターシャ。大丈夫? 魘されていたけど」


 ぱっと開けたナターシャの目には、夢ではなく、本物のイライジャが映った。驚きのあまり、飛び起きた。


 やけに寒いと思い下を向くと、胸があらわになっている。着替えずに眠っていたことを忘れていた。シーツをたぐり寄せ、今更で隠した。

 

「陛下の夢を見ていた? 名前を呼んでいた」


 まだ頭は夢と現実が混在していた。あわてるナターシャとは違い、イライジャは落ち着いた様子で長い指先で、ナターシャの目尻に触れた。


「ごめん。うわ言を言いながら泣いていたから、起した」


 心配そうに見つめられて、思わず顔を逸らした。


「服、着るから少し待って」

 

 イライジャは頷き、ナターシャに背を向けた。床に座るとベッドにもたれかかるようにして座った。彼があっちを向いている間に服を着る。


「俺は陛下のこと、本当に尊敬している。子どものころからずっと。陛下のためなら何だってできる。汚れ役も、嫌われ役でもいい。死ねと言われた喜んで死ねる。だから、ナターシャが陛下のことを忘れられない気持ち、わかるよ。誰よりも俺が一番わかってあげられると思う」


 ナターシャはイライジャの肩に触れた。


「陛下は死ねなんて絶対言わないと思うわ。あの人はイライジャが死ぬぐらいなら自分が無理してでも何とかする人よ」

「……そうだね」

 振り向いた彼と、同じタイミングでふっと、小さく笑った。


「誰かのもとへ嫁げば、氷の宮殿から離れる。陛下に会う機会は減るだろう。だから、陛下への想いは置いて行け。俺が引き受ける。君の分も陛下に尽くすよ」

「わたくしの分まで? それは大変ね」


「大丈夫。やり遂げるよ。俺に任せて、ナターシャは夫となる人を第一に想い、尽くしてあげて。自分の幸せを考えるんだ」


 イライジャの曇りない瞳をナターシャは見つめた。


「私の幸せは陛下とともにあることだと思ってた。彼なしでも幸せになれるかしら?」

「幸せは自分で掴むものだ。ナターシャが望めばなれるよ。人の心は誰にも操作できないし、できたとしてもしてはならない。自分の意思で前に進むしかない」


 リアムを慕う気持ちは変わらない。だからナターシャは、夫となる人はリアムが好きなままの自分を受け入れてくれる人が条件だった。


 イライジャは、結婚するからには遠くのリアムではなく、そばにいる夫となる人を第一に想い、尽くすこと。それが大事だということを改めて言ってくれた。


「リアム様を好きだという気持ちは、未来の旦那さまを不安にさせるものね。だけどこの気持ちは消えない。なかったことにはできないわ」

「消さなくていい。恋愛対象ではなく陛下を崇高する気持ちならきっとわかってくれるだろう」

「憧れる分には大丈夫ってこと?」

 イライジャは頷いた。

「常に向き合い、尽くすべき人は夫だ。この人のそばにいたいと想う人を候補者の中から選んで欲しい」


 婚約者を決める前に、まず、自分の気持ちにけじめを付けるべきね。この旅が終わるまでに……。


 ナターシャは、ふうっと大きく息を吐くとそのままベッドに仰向けに倒れた。


「ナターシャ、大丈夫?」

 心配そうに顔をのぞき込むイライジャをじっと見つめ返す。


「イライジャ様は失恋した私の心の隙に付け入るとか考えなかったの?」

「言っただろ、付け入って手に入れた所でナターシャが幸せにならなければ意味がない」

 ナターシャは眉尻を下げた。


「本当融通の効かない頑固な人ね」

「誠実だと言ってくれ」

 イライジャはふっと笑うとナターシャの頭をなでた。

「旅はまだ続くんだろ。起して悪かった。ゆっくり寝て」


 頭を撫でられたのはいつぶりだろう。

 子どもみたいにあやされて、一瞬恥ずかしくなったが、大きくてあたたかい手が気持ちよく、すぐに瞼が重くなってきた。


「イライジャ様も、たまにはベッドでゆっくり寝てね」

 ナターシャは夢の中へ落ちていきながら、彼と一緒にいられる時間が少しでも長引けばいいなと思った。

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