あなたを婚約者候補から外します⑵
「結婚の申し込みはこちら側がしているんだ。断る権利がナターシャ様にはある」
「ええ。家同士の問題。もちろん理解していますわ」
ナターシャは扇子を広げ、口元を隠すと彼をじっと見た。
リアムの重臣として兄ジーンとイライジャ、そしてナターシャは幼いころから良く行動を共にさせられた。
イライジャとの付き合いの長さは留学していたリアム以上だ。気心が知れた相手で、同じ
だからこそ、ナターシャは遠慮しない。
「あなた、わたくしのことが好きなんでしょう? だったら外して欲しくないのなら、そう言えばよろしいんじゃなくて?」
「俺の気持ちは関係ない」
イライジャは誇り高き騎士で、感情を表に出さない。さらに最近は二重スパイまでしていたことで無表情スキルが上がっている。
遠回しに聞いてもはぐらかしてしまう。欲しい情報を引き出すにはまっすぐぶつかるのが早い。
「本当に関係ないのですか? わたくしが他の方の伴侶になっても平気なのですね。イライジャ様のわたくしへのお気持ちは、その程度ってこと?」
彼の想いは充分伝わっている。それでも納得がいかないのだ。
欲しいものをなぜ欲しいと言わない?
「あなた様がどう思うかは自由です。お好きなように解釈していただいてかまいませんよ。ジーン宰相が選んだ方だ。あなたならどなたを選んでも、きっと幸せになれる」
普段笑わないイライジャがにこりと微笑んだ。
……ここで表情を和らげるなんて。意味がわからないわ。
攻めた問いにもイライジャは涼しい顔ですぐに切り返してくる。本音なのか建て前なのか、彼の鉄壁の守りは崩せず、ナターシャの胸に苦いものが広がった。
――あなたならどなたを選んでも、きっと幸せになれる。
違う。聞きたかった言葉はそれじゃない。
ナターシャはぱちんと音を立てて扇子を閉じた。
「わたくし、あなたといるとイライラするの」
「すみません」
「欲しいなら、はっきり言えばいいでしょう?」
「それじゃあ、意味がないんです」
「どうして? どういう意味?」
「欲しいと駄々をこねても手に入らない物があるって、ナターシャ様も学んだでしょう?」
塞がりはじめていた胸の傷に、イライジャの言葉は刺さった。
『好き』だと幼いころから何度もリアムに伝えた。振り向いて欲しくて、あの手この手をつくしたが、まったく響かなかった。
好きな人の気持ちは、駄々をこねても手に入らない。
「ええ。そうね。でも私なら、最後のときまで欲しいものは欲しいと言い続けるわ」
振り切るように、イライジャに背を向けた。
「言われなくても自由にするわ。さよなら、イライジャ様」
玄関ホールを抜けて銀世界に出る。まぶしさに目を細めながらナターシャは待たせていた馬車に乗り込んだ。イライジャは、追ってこなかった。
*
馬車で十五分ほどの邸宅に戻ると、ナターシャはすぐに準備に取りかかった。
「侍従長。お願いしていた物の準備はできてて?」
「はい。お嬢様」
侍従長のサイラスはアルベルト家に長く務めてくれている、初老の男性だ。白くなった髪を撫で付け、ビシッとしたきれいな身なりと姿勢でナターシャにお辞儀をする。
小うるさい兄様は、リアム様たちと一緒にフルラ国へ向かったわ。今しかない。
ナターシャが自室に戻ると、メイドが三人待機していた。
サイラスが用意してくれた衣装にすぐに着替えはじめる。コルセットを脱ぎ、代わりに胸を長い布で巻いて抑える。白いシャツの袖を通し、ズボンを履く。
「髪は
侍女は手際よく、ナターシャのさらさらの髪をまとめ後頭部に団子を作ると、その上に帽子をかぶせた。
口元はスカーフとマフラーで隠し、肌の露出を抑える。氷の国では厚着をしていても不自然ではない。
ナターシャは、姿見の鏡の前に立つと腰を捻ってみた。
「どこからどう見ても『男』よね? いいかんじ。これで女ってわらかないわね」
「ジーンさまにそっくりです。ナターシャ様」
背が高く、目元が兄とそっくりなナターシャは、ジーンと似ていると言われて複雑な気分になった。変装のできには満足で侍女たちに「いいできだわ」と褒め言葉を伝える。
「みんないい? お父様とお母様には内緒よ。もちろん兄が帰って来ても告げ口しないように」
「かしこまりました。お嬢様」
「では、行って参ります」
「ご無事をお祈りしております」
ナターシャは、ぺこりと頭を下げる侍女たちに背を向けた。いつもは淑やかに歩くが、男に見えるように大股で歩き、勢いよくドアを開けた。
「きゃっ! え、ジーン様?」
兄の嫁、アリシアが目を丸くして立っていた。
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