第5話 やばい状況

 次の日、仕事が昼からの私は10時頃に起床し、昨日の事を振り返っていた。まさか、二次元でしか起きないと思っていた事象が現実に起こりうるとは。如月君と愛斗君。被害が二人だけとは到底思えなかった。しかし、いつどこで謎の女性が現れるかわからないのに、被害を防ぎようがない。


「昨日の夜に家に来た女性の事をお母さんに聞かないと」


 家を訪れた女性は今回の如月君や愛斗君の件に関わっていそうだ。いや、確実に関係しているだろう。私の家を訪れるタイミングが良すぎる。



「お母さん、昨日の夜、家に来た女の人の事だけど……」

「昨日?ああ、あれは私の勘違いだったみたい。ごめんね、仕事中に電話しちゃって」


 おそめの朝食を食べていたら母親がリビングにやってきた。インターホンが鳴って女性が映っていたというのに勘違いということなどありえないだろう。


「ねえ、昨日のインターホンの画像、確認してもいい?」

「ええ、別に構わないけど」


『確認しなくても、昨日、私はお前の家に向かった』


 リビングにあるインターホンの画面を確認しようと立ち上がった時、昨日と同じ女性の声が頭の中に響き渡る。あたりを見わたすが、女性の姿はない。母親がソファに座っているだけだった。


『昨日のお前の行動をしかと観察させてもらった』

「はあ」


『そこで私は考えた。お前を私と同じ存在にしてやっても良いと』

「お断りします」


『なぜ?お前のような社会からのはみ出し者は生きるのがつらいだろう?その点、私のような存在になれば、自分の思い通りに人を操ることが出来るぞ。姿かたち、言動を意のままにできる。これは、お前にとって魅力的なことだろう?』


「いきなりどうしたの?」


 母親は娘が突然、独り言をつぶやいたと思っているだろう。頭の中の声との会話は気を付けなければならない。まあ、こんな現象が人生で起こると想定する人はいないだろうが。


『ああ、煩わしい。だからこうやって話すのは苦手だ。とりあえず、考えておけ』


 母親の介入で私の頭の中の声は聞こえなくなった。とはいえ、私の独り言については弁解しておく必要がある。


「急に昨日の面倒な保護者の電話を思い出して。インターホンは確認しなくていいや。お母さんの勘違いならそれでいいし」

「それならいいけど。ちょっと顔色が悪いわよ。今日もこれから仕事でしょう?無理はしちゃだめよ」


「わかってる」


 昨日家に来たのも、成人男性を少年の姿に変えたのも同じ女性だった。いったい、彼女は何者だろうか。二次元によくある女神様、とかだろうか。第三者から見たら面白い展開だが、実際に関わるとかなり面倒なことがよくわかった。


 そんなことを考えながら、私は仕事に向かうための準備を始めた。




 塾は如月君がいない以外は通常通りだった。如月君が塾の生徒からかなり人気があったのは知っていたが、彼のいないことを伝えた時の生徒たちの反応は、昨日と同じで面白くない。


「如月先生、今日も休みなの?」

「如月先生、彼女と旅行でもしているのかな?イケメンだからありえそう」


「ああ、如月先生がいないとやる気が出ないなあ」

「私も、折笠先生だけじゃあね」


 本来なら、如月君はアルバイトで私は正社員。私の方が立場は上のはずだが、生徒達から見たら、私はただのおまけみたいな扱いになっている。


「そんなこと言わないほうがいいよ。折笠先生が傷ついて泣きそうになってる」

「愛斗君……」


 如月先生ロスで嘆く生徒達だったが、その中で唯一、私の味方になってくれた生徒がいた。とはいえ、それはただ純粋に私の事を思ってではないだろう。だって、その生徒は。


「折笠先生まで休んだら、まったく知らない先生が来ることになるだろ?初めての先生より、折笠先生の方が絶対にいい」


 慣れた先生の方がいいという発言だったのだが、きっと私が彼の秘密を知っているので休まれては困ると内心では思っているのだ。生徒たちはそれを知らない。自分たちの中に成人男性の中身が入った子供がそばにいるとは考えもしないだろう。


 ちなみに、愛斗君は週に二日という契約で塾に来てもらっている。それなのに二日連続で来ているのは、彼が理由を付けて今日に当塾日を変更してもらったからだ。学校に関しては市外からの生徒ということで、近隣の小学生や中学生に怪しまれないような設定になっている。


「愛斗ってすごいな。女からモテるだろ?」

「愛斗君、優しいね」


「まあね。これくらいの事、フォローできなくちゃ大人になってやっていけないよ」


 すました顔でほかの生徒の言葉を流す愛斗君だが、見た目は中学生の姿なので、ただただ大人びた可愛らしい少年にしか見えない。思わずじっと眺めていたら、生徒たちにわからないようにちっと舌打ちされた。愛斗君は表裏の激しい人間のようだ。生徒に対する態度と私に対する態度が全然違う。


 如月君が休みの間、他の講師が来ることは無く、一人で生徒を対応することになった。二人でしていた仕事を一人で回すのは大変だ。生徒たちを迎えては送り出す。その合間に勉強を見てあげる。そんなことをしているうちに、あっという間に生徒たちが帰る時刻となった。



 愛斗君は授業時間が終わっても家に帰ることなく、最後まで塾の教室に居座っていた。本来なら決められたコース時間外まで居座ってはいけないが、彼の場合それが当てはまったとしても、年齢の問題があるので、大目に見たほうがいいだろう。他の生徒に怪しまれていたが、持ち前のコミュニケーション力を使って華麗にごまかしていた。


「折笠先生、今日は如月先生来ないの?」

「来ないよ。愛斗君は、時間は大丈夫なの?昨日みたいにお迎えが来てくれるのならいいけど」

「あいつらのことは口にするな」


 迎えに来た相手に対してひどい言い様である。


「僕はこの身体で生活するのが苦痛で仕方ない」

「まあ、普通はそうですよね」


「だから、昨日のように元に戻れたのは喜ばしいことだ。でも、その元に戻る方法が……」

「同じように少年姿になってしまった人間とのキス」


「恥ずかしいから口に出すな!」


 顔を真っ赤にしている愛斗君はずいぶんと可愛らしい。キスなんて成人男性だったら経験済みではないだろうか。私に関してはノーコメントだが。それをこんなに顔を赤くして悶えているということは。


「もしかして、どうて」

「違う!」


 即座に否定するところが怪しい。とはいえ、人の事を言えた立場ではないので黙っておく。


「日曜日だが、僕が今住んでいる家に来い。如月先生も連れて」


 赤い頬をしながらも、少し冷静になった愛斗君が偉そうに私に指さして命令口調で告げる。指をさすのは失礼だが、それよりも気になることがある。


「赤の他人を家に呼ぶなんて、ずいぶんと不用心というか、警戒心が薄いですね」


 愛斗君は「今住んでいる家」と言っていた。もしかしなくても、それは兄夫婦の家ではなかろうか。それにしても。


「ひとり暮らしをしていないのならまあ、いいですけど。ひとり暮らしの家に他人を呼ぶときは注意したほうがいいですよ。しかも、同性ではなく異性を呼ぶのならなおさら」


「何を言い出すかと思えば。先生なんかに負ける僕だと思うか?」


 自分の体型を理解していないとは恐ろしい子供だ。身体の成長が未発達な少年は、犯罪者の格好の餌食だ。反抗的な態度をとられることに興奮する犯罪者に出会ったらすぐにやられてしまう。


「ち、近いから」


 つい、私は愛斗君の顔に近付けて忠告してしまう。私の顔がそんなに怖かっただろうか。顔を赤くして私の顔をぐいぐい通して離れようとしている。仕方なく離れてみると、愛斗君は荒い息で呼吸をしながら胸を押さえている。


「もしかして、女性に対してトラウマとかありましたか?」

「ち、ちが。これは」


 よく考えてみると、私は今、愛斗君にとんでもないことをしてしまったのではないか。先生が生徒を襲うという、二次元の王道シチュエーション。それを自分自身で実行してしまった。そういえば、同じシチュエーションをどこかで体験した気がする。塾内ではなかったが。


「ご、ごめんなさい!」


 そう考えると、急に私の頬が熱くなる。しかも、私が襲いかけた相手は美少年で私の好みドンピシャの少年である。やばすぎることをしてしまった。謝っても謝りきれないが、忘れろといわれても忘れることが出来ない。


「と、とりあえずこの状況がいけないということです。愛斗君、この紙に家の住所を書いてください。そして、今すぐお帰り願います」


 密室に二人きりだから変なことが起こるのだ。そもそも、今までは如月君が成人男性だったから私は平然としていられたのだ。今は私の性癖ど真ん中の少年と二人きり。これがいけない。私にとって、成人男性と二人きりより少年と二人きりのほうが危ない。


「何を慌てているんですか?さっきのは不慮の事故にしておきます。住所は……。連絡先を交換しましょう」

「?」


 さらっと重要なことを言い放った愛斗君だが、彼は陽の人間なのかもしれない。連絡先をこんなに簡単に交換することに違和感しかない。私が怪しい人でないと彼の中で認定されているのは嬉しいが、これはいただけない。


「スマホを忘れたんですか?それなら仕方ありませんが」

「いえ、スマホはカバンに入っていますが、そんな簡単に連絡先を伝えて大丈夫なのかと」


「だって先生、僕の少年姿にしか興味ないでしょう?ていうか、僕も如月先生も元の姿では恋愛対象にならないみたいですし」


 まったくの正論である。それが現在の私の人生の岐路に立たされて居る理由でもあった。


「早く貸してください。迎えが来ますから」

「わかった」


 私と愛斗君は互いの連絡先を交換した。





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